耳納の神々

この山から見る平野も川も壮大です。やっぱりこの山には神々がいらっしゃいます。
山の神にご挨拶するために今年も登るぞ~

荒穂神社

2008年08月24日 | 県外の神社
佐賀県基山町 荒穂神社

祭神 瓊々杵尊 五十猛命 他六社
 当社は「日本三代実録」貞観二年(八六〇)の項の荒穂天神の名で神階昇叙の記事がみえ、延喜五年(九二七)撰進の「延喜式」神名帳に社名がみえる式内社(肥前国では四社)で由緒が古く格式の高い古社である。
 藩政時代は基肄郡上郷総社・明治六年郷社昭和三年県社・戦前は、基山村(町)の産土神社であった。
 祭神は古来諸説があるが民俗学上の原初は基肄山山頂の玉々石を盤座として農業に恵みを与え、豊穣をもたらす、自然神・産霊神であると考えられる。貞享元年(一六八四)の「荒穂神社縁起」には、中央に荒穂大明神左一に下鴨大神、左二に八幡大神、右一に宝満大神、右二に春日大明神、右三に住吉大明神の六社としている。
 創建は同縁起に人皇第三十七代孝徳天皇の御代(六四五~六五四)基肄国造物部金連の後裔金村臣によるとされている。社殿は最初基山山頂にあったが、戦国の兵火にかかって転々とし、当地に造営されたのは貞享二年である。現社殿(流れ造り)の拝殿は文政二年(一八一九)神殿・中殿は安政五年(一八五八)の改建になる。神課は十二人であった。(看板より)
↑山の上のご神体とはあの石か?!


本殿。流れ造りってこのことかな?


そして拝殿右手に伝説の石が。なんと説明文には高良の神の文字が

【伝説の石】
右 子宝石
この石に腰を掛け祈願すると子が授かると言ます
中 荒穂の神と高良の神の投合された石と伝えられ石の上部に指の跡形がついてゐます
荒穂の神の投げた石は高良の神の神殿下に有る言ます
左 荒穂の神の馬が基山の頂上より飛降りた石と伝えられ馬の蹄の跡形がついてゐます
この謂れが斎祭の起りと伝えられてゐます(看板より)


この神社でもなんだけど、私たちが車を降りているときは雨が殆ど降っていない。
でも車に乗っている最中はすごい雨なんだよね~
山でもきゃ~って声が聞こえたからふっと見ると、その声の方は雨が降っているの。あれっ?木があるから私は濡れないのかな?って思っても見たけど、どうもすぐそこは大雨なの。道が濡れているところと濡れていないところと分れているから分ったんだけどね。
今日は、降りそうで雨には当たらずにすみました。ありがとうございます。神様






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基肄(椽)城

2008年08月24日 | 県外の神社
2時間弱、3k弱歩いて、やっと山頂へ。405m

ここは基肄(椽)城跡。

さすが教育委員会。詳しく載せていますので、こちらをみて

本当は携帯の run&walk の GPS で記録していた。
途中なんども確認して、こんなところを通っているのね~と楽しんでいた。
帰宅したら、画像としてUPしようと思っていたのに・・・

途中で充電が切れて・・・すべてパーです
でもそれも教育委員会のサイトにのっていました。

城跡からみる筑紫方面

そして反対側はどうなっているのかな???と、登ってみてびっくり。

すぐそこで子どもたちが遊んでいます。
が~~~ん(T_T)
あ~ここが草そりをするところなのね。
子どもたちが小さい頃、何度か予定していたけど来ず終いだったんだ。


そして山頂の三角点

 
そして霊霊石と天智天皇欽仰之碑
霊霊石とは昔荒穂神社の神(五十猛・イタケル)がこの山に鎮座した頃のご神体。
この石の裏側には、仏様が祀ってあって何組もの人が拝んでいます。かなり驚き
『天智天皇となる中大兄皇子は大宰府政庁を守るため、664年に水城を、665年には朝鮮式山城「基肄(椽)城」と大野城の2城を築き防備を固めた』とあるからここに立って平野を眺めていたのね。

あっちが耳納連山。

そして山頂でおにぎりを食べ、下山。
帰りは直行コース。豪雨なら絶対に下りられない、雨に削られた道を下ること30分程度。

帰宅後復習していて分ったのだけど、この山への登り口は沢山あるのね。
そしてほとんど標識はない。だから迷ったのよ。
この地図をみたってわからないでしょ。この程度の地図はわたしだって持っていた。
でも分りづらい細い道が沢山あるんだもの(-"-;)


汗びっしょりになったけど、さすが基山、黒い雲がモクモクと出てきて、そんなに日照りではありませんでした。よかった~

明日の筋肉痛が心配だけど 






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基山 住吉神社

2008年08月24日 | 県外の神社
急にどこかへ行こうとなって、決めた山。
地名は「きやま」だけど山の名前は「きざん」

ネットで調べて、本も持っていった。地図もある。
この辺りなら、何度も来ているからわかる・・・はず。

しかし、やっぱり道に迷う。
携帯のナビでは、すぐ近くまで来ているのに行けない。
結局下まで戻って、やり直し。
道で草刈りをしていた方に聞き、やっとの事で水門跡まで。

そこにあった住吉神社。ここから出発。
歩き始めてすぐ、水汲み場があり何組もの方が大量に水をくんでいる。
私も車にあったペットボトルに1本だけ頂き、それをもって山へ。




10分も歩かないうちに分岐点。本当は左に行けば、すぐ山頂らしい。
しかしちょっとお勉強したからね、史跡コースって行ってみたいじゃない。

と言うわけで右に入っていくわけだけど・・・
山道を登って、下って登って
 
があって、又下って登って

があって、又下って登って

まぁ、このような史跡を10箇所ほど巡って稜線にでるのです。

次回につづく・・・
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