19日訪問:南禅寺、金地院、天授庵、南禅院、永観堂、無鄰庵、圓徳院
(写真は南禅院)
7時に宿を出発。蹴上から散策しながら南禅寺を目指す。風情のある界隈。境内は地元の人たちがのんびり。水路閣のレンガは山科産だというおじいさんが撮影スポットを教えてくれる。水路閣をくぐって坂道を上り最勝院へ。濡れた延段に光が射して輝いている。境内のダルマ形の石がチャーミング。8:40の拝観時間前に団体客が数組現れる。団体とやや距離を置いて拝観。北庭の紅葉7~8分で美しい。狩野派による虎の襖絵も見事。
<南禅寺>
瑞龍山太平興国南禅禅寺(臨済宗南禅寺派大本山)
京都市左京区南禅寺福地町86
拝観時間:8:40~17:00
作庭者:小堀遠州、賢庭
作庭時期:江戸時代
南禅寺の地には、もともと亀山天皇が1263年に造営した離宮「禅林寺殿」があった。1274年に退位した亀山天皇は、1291年に法皇となり、無関普門(大明国師)を開山の祖として離宮を寺に改め、龍安山禅林禅寺と名付けた。これが南禅寺の起こり。方丈南庭は「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、徳川幕府のブレーンであり南禅寺住職であった金地院崇殿に依頼された小堀遠州により作庭、賢庭により石組みがなされたとされる。西欧技術を学んだ遠州らしく、方丈南庭は東西方向に遠近感が強調されたパースペクティブの手法が取り入れられている。ちなみに、虎の子は中国の説話で、虎が三頭の子を産むと一頭は「彪(ヒョウ)」という鬼子になり、母虎がいないと他の子を食べてしまう。そこで、母虎が川を渡る時は、まず彪を対岸に渡し、次に一頭を渡して彪を連れ戻し、再び一頭を渡し、最後に彪とともに渡るというもの。方丈の西には「真如庭」とよばれる、白砂と石のみで構成される枯山水庭園がある。この石はどの方向から眺めても心の字を表しているとされている。さらに、方丈の北側には、衆生の世界を表現した「六道庭」がある。
~以下、詳細は後程~
宿泊:吉水旅館@円山公園
(写真は南禅院)
7時に宿を出発。蹴上から散策しながら南禅寺を目指す。風情のある界隈。境内は地元の人たちがのんびり。水路閣のレンガは山科産だというおじいさんが撮影スポットを教えてくれる。水路閣をくぐって坂道を上り最勝院へ。濡れた延段に光が射して輝いている。境内のダルマ形の石がチャーミング。8:40の拝観時間前に団体客が数組現れる。団体とやや距離を置いて拝観。北庭の紅葉7~8分で美しい。狩野派による虎の襖絵も見事。
<南禅寺>
瑞龍山太平興国南禅禅寺(臨済宗南禅寺派大本山)
京都市左京区南禅寺福地町86
拝観時間:8:40~17:00
作庭者:小堀遠州、賢庭
作庭時期:江戸時代
南禅寺の地には、もともと亀山天皇が1263年に造営した離宮「禅林寺殿」があった。1274年に退位した亀山天皇は、1291年に法皇となり、無関普門(大明国師)を開山の祖として離宮を寺に改め、龍安山禅林禅寺と名付けた。これが南禅寺の起こり。方丈南庭は「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、徳川幕府のブレーンであり南禅寺住職であった金地院崇殿に依頼された小堀遠州により作庭、賢庭により石組みがなされたとされる。西欧技術を学んだ遠州らしく、方丈南庭は東西方向に遠近感が強調されたパースペクティブの手法が取り入れられている。ちなみに、虎の子は中国の説話で、虎が三頭の子を産むと一頭は「彪(ヒョウ)」という鬼子になり、母虎がいないと他の子を食べてしまう。そこで、母虎が川を渡る時は、まず彪を対岸に渡し、次に一頭を渡して彪を連れ戻し、再び一頭を渡し、最後に彪とともに渡るというもの。方丈の西には「真如庭」とよばれる、白砂と石のみで構成される枯山水庭園がある。この石はどの方向から眺めても心の字を表しているとされている。さらに、方丈の北側には、衆生の世界を表現した「六道庭」がある。
~以下、詳細は後程~
宿泊:吉水旅館@円山公園