大人になってからは読まなくなったが、子供の頃はSF小説を読み漁っていた。近所の図書館に毎日の様に通い、ジュヴナイル向けの物を中心に、次から次へと読んでいたもの。“SF御三家”と呼ばれた星新一氏、小松左京氏、筒井康隆氏の他、光瀬龍氏、豊田有恒氏、そして眉村卓氏等の作品に、“未来の世界”を想像しつつ、夢中になったっけ。
SF作家の眉村卓氏が今日、誤嚥性肺炎により85歳で亡くなられた。眉村氏と言えば、「なぞの転校生」や「ねらわれた学園」が非常に有名。
1972年から1983年に掛けて、NHKで「少年ドラマ・シリーズというのが放送されており、SF作品が取り上げられる事が結構在った。眉村作品で言えば「まぼろしのペンフレンド」(1974年4月15日~5月1日放送)、「なぞの転校生」(1975年11月17日~12月3日放送)、「未来からの挑戦[「ねらわれた学園」と「地獄の才能」が原作。]」(1977年1月10日~2月11日放送)、そして「幕末未来人[「思い上がりの夏」と「名残の雪」が原作。]」(1977年9月5日~9月29日放送)の4つが取り上げられ、自分は全て見ている。
記憶違いで無ければ、眉村作品に触れた最初は、TVドラマの「まぼろしのペンフレンド」だったと思う。非常に面白かったので、「なぞの転校生」や「ねらわれた学園」を読んだという流れだ。
学生の頃、筒井康隆氏の「時をかける少女」に思いっ切り影響を受けた同級生が、“自主映画”を制作し、文化祭で上映していたのを覚えている。事程左様に自分達の世代は、SF作品に強い影響を受けて育って来た。だから、自分よりも“先輩”のごろりん様や悠々遊様がSF作品に強い愛情を持っておられるのは理解出来るし、今回の訃報に大きなショックを受けられているで在ろう事は、想像に難くない。
SF界の巨匠逝く。子供の頃の楽しい記憶が又1つ、遠ざかって行った様な、何とも言えない寂しさが在る。合掌。
さきほどヤフーニュースを見ていて眉村卓さんが亡くなったことを知りました。
眉村さんは私たちが立ち上げた同人誌、星群の会に初期のころからかかわっていただき、ひとかたならぬお世話になった方です。
私はここ30年ほどSFファンとしての活動をしておらず、眉村さんとも疎遠になっていましたが、それでもこの訃報には少なからぬショックを受けています。
ましてや、ごろりんさん(雫石さん)はそれより前、チャチャヤングのころから現在までお付き合いをされていたようで、その心情を察するにつらいものがあります。
ご冥福をお祈りします。
眉村さんとご厚誼を賜って、40年以上の歳月が経っています。
一番、最近にお会いしたのは、一昨年の秋でした。
食道がんを患いながらも、克服され、またお会いすることを楽しみにしていたのですが、まことに残念です。
ご葬儀には参列します。ご冥福を祈ってきます。
悠々遊様が此れ迄に書き込まれた内容から、SF小説に対する並々ならぬ愛情を感じておりました。ですので、今回の訃報には大きなショックを受けておられるだろうと思っておりましたが・・・矢張りそうでしたね。
“未来”という物が今よりも遥かに遠く感じられた昔、未来に対する様々な思いを掻き立ててくれたのがSF作品でした。其れは良い面だけでは無く、悪い面も含めてですが、読み手の想像力を涵養してくれた存在でも在りました。
最愛の奥様を亡くされ、体調が芳しく無い事は存じておりましたけれど、実際に訃報に接すると、非常に寂しい思いです。
ごろりん様が此れ迄書き込んで来られた内容から、SF小説に対する深い愛情を感じておりましたし、SF作家の方々との御交友も深かった事から、「今回の訃報には、相当ショックを受けておられるだろうな。」と思っておりました。
眉村氏とは、40年以上の御付き合いが在ったのですね。そうなると、身体の一部を失われた様な、途轍も無い喪失感が御在りの事でしょう。
訃報を受け、本棚から「なぞの転校生」と「ねらわれた学園」を取り出し、読みました。(併せて、筒井康隆氏の「時をかける少女」も。)子供の頃に読んだ際の高揚感を、読んでいて思い出した次第です。