ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

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2004年11月04日 | 其の他
夕刊フジ」のコラムの一つに「今も昔も 事件簿タイムトンネル」というのが在る。発行日翌日の日付に着目し、過去にその日に起きた事件を振り返るという趣旨の記事なのだが、10月21日付のタイトルは「竹の槍が金網の目をすり抜けた」というものだった。記事の概要は下記の通りである。

昭和26年10月21日、都内の運動場で母親と男児(3歳)が女子高生のダンスを見ていた所、隣接するグラウンドから竹製の槍が飛んで来て、子供の胸に突き刺さった。子供は即死状態だった。直ぐに槍を投げた高校生(17歳)が土下座し、泣きながら「勘弁して下さい。」と謝ったが、母親は「謝って済む問題か!」と半狂乱状態だったという。槍投げ専用の施設ではなかったものの、運動場には高い金網の柵が設置されていた。投げた距離も、高校生が今迄に飛ばした最長記録を越えていた。この日に限って風に乗り、遠くに飛んでしまったのではないかと。飛んだ距離といい、網の細かい目をすり抜けた事といい、普通では柵越えが考えられない状況下で、最悪の偶然が重なってしまったと言える。亡くなった男児は子供が居なかった夫婦が親類から貰い受けた養子で、実の子の様に可愛がっていたという。両親は怒りを爆発させ、加害者の高校生は「死んで御詫びするしかない。」と呟き続ける等、自殺の心配が有った為、当分の間両親が付きっ切りでケアしていたという文章で締め括られている。

歴史を振り返る中で、幾つもの”if”を想定する事が有る。「もし、あの時~だったら、この歴史はどう変わっていただろうか?」、「もし、~が違う決断をしていたら、今の歴史はどう変わっていただろうか?」等々。

この事件で亡くなった子が”もし”生きていたら、今56歳。そこに到る迄に、彼及び両親はどんな人生を送っただろうか?そして、加害者の高校生も今は70歳を迎えているだろう。その後、”心の傷”を負いながら、どの様な人生を過ごして来たのだろうか?”もし”この事件が起きなかったら、人生はどう変わっていたのだろうか?

同様に思う。今回の新潟地震で、ドライブ中にがけ崩れに遭遇し、生死を分けた親子3人も、”もし”現場を通り過ぎる時間が少しでもずれていたら・・・。そして、イラクで命を落した彼が、”もし”イラク入りを止まっていたら・・・。結局、思考はそこに帰結してしまう。

”if”を幾つ並べて思っても詮無い事は重々判っている。それでも、思わずにはいられない・・・。
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1 コメント

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やっぱり「自己責任」ですかね (まなりん)
2004-11-05 00:20:36
 人生の中に「たら」「れば」という思いは常にありますよね。

特に、それが天災・事故などの「予測できないこと」の場合は

その思いは一層強くなると思います。

 

 一方、イラクで命を落とした彼の場合は、「自分の判断」であったわけで、

そういう意味でも「防げた」ハズですからね。

 だから死んだのも仕方ない、という気持ちではないですが。



 僕がこれから何かを決断する時は、自分の責任において判断し、

決して後悔はしない、というように、防げる「たら」「れば」は防ぎたい、と思います。
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