今年も、残り1ヶ月となった。此の時期になると毎年思う事だが、1年が経つのは本当に早い。「今年は、此れを成し遂げよう。」と年初に決意するも、1年が終わってみれば「駄目だった。」というのの繰り返しなのが、本当に情けない。
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「ASKA容疑者 テレヴィ局に乗車映像提供 タクシー会社厳罰処分へ」(12月1日、毎日新聞)
ASKA容疑者が逮捕直前に乗っていたタクシーの車内映像が、テレヴィ番組でオンエアされていた事が「プライヴァシーの侵害」等とインターネット上で指摘されていた事を受け、都内最大のタクシー・グループ「チェッカーキャブ」が11月30日、公式サイトで「グループ加盟の1社より、マスコミへ提供された物。」と明らかにした。
車内映像を記録する目的は防犯や事故原因の解明に在るとし、外部への映像提供も照会の在った捜査機関や事故の当事者及び保険会社等に限られる。報道機関への映像提供は「上記の様な事案には当たらない。」との見解を示し、映像を提供した加盟社へ「厳罰をもって対応する。」とした。
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当該映像が流れた際、「此れは、問題在りだな。」と自分も思った。犯行状況が映っている等なら判るのだが、今回の映像は「ASKA容疑者がタクシーに乗っていた際の物。」で在り、“プライヴァシーの侵害”としか考えられなかったので。
記事「自分を晒す人々」等、過去に何度か触れて来たが、「犯罪が発生し、加害者が捕まると、卒業アルバムやら卒業文集から、加害者の写真や文章が、マスメディアで取り上げられる。」という状況に、ずっと疑問を感じている。加害者(と確定した者)が“常識的な範囲内で”批判されるのは仕方無いけれど、だからと言って、飽く迄も“閉ざされた空間”で配られた卒業アルバムや卒業文集から、加害者の写真や文章をマスメディアが勝手に取り上げ、大勢の目に触れさせるというのは、どうかと思うからだ。
「マスメディアは、何をしても許される。」とか、「注目を集められるので在れば、何をしても構わない。」といった思い上がりが、こういった報道姿勢から感じられる。今回の場合なんぞは、提供する側も馬鹿だが、提供されて放送する側も馬鹿。タクシー会社だけでは無く、マスメディアの側も厳罰が課されて当然の事態だ。
私はこの録画の放映に関して、甘い判断をしていました。
というのも、ASKA容疑者が当初から容疑を否認していること、証拠となるものが今のところ見つかっていないことなどから、警察によるでっち上げ・冤罪の可能性も捨てきれないし、前科があるという事で最初から犯罪と決めつけるマスコミの報道姿勢、などに疑問を持ったので、ASKA被告の覚せい剤使用否定が「演技」なのかどうか、このタクシーの録画も判断する材料のひとつになるのかな、と思っていましたので。
先に警察に渡っていれば、警察の判断に都合の良い証拠は出し、都合の悪いものは隠す、という事がこれまでも裁判でもたびたび明らかにされていたので、つい警察の方も疑ってしまっていて・・・(苦笑)。
薬物中毒がどれだけ深刻なのか、私には実際のところ分からないので、つい甘い判断をしてしまうのですが、疑わしいから「容疑者」なのに、コメンテーターを含めたマスコミの「犯人確定」的な報道にはどうしても疑問を持ってしまいます。
警察発表を丸呑みしてさんざん「犯人」然と決めつけておきながら、裁判などで冤罪と決まれば、今度は手のひらを反して警察の捜査手法を非難する、これまでの報道姿勢に、マスコミへの不信感もあります。
少なくとも、裁判で犯罪が確定するまでは「容疑者」であり、「疑わしきは罰せず」の姿勢をマスコミには求めたいのですが。
これって変かなあ・・・。
「『疑わしきは罰せず。』の姿勢を、マスコミには求めたい。」、其通りだと思います。警察が作り出した冤罪事件を声高に攻める一方で、自分達が其の冤罪作りに加担している可能性を意図的に排除しているかの様なマスメディア。法律に基づき、最終的に犯罪者と確定した時点なら未だしも、容疑者の段階で犯罪者として扱うのは、法治国家として不味い。
又、今回の件、警察サイドの対応に疑問を感じる点が在ります。ASKA氏自身の発言が事実という前提になりますが、逮捕される可成り以前に、尿検査から検出された“具体的な薬物名”を彼に伝えていたというのは、若し彼が本当に薬物を使用していたならば、当該薬物を処分する時間を与えてしまうと思うし、「ASKA氏逮捕へ!」という速報が流れてから、実際に逮捕される迄の時間が結構在ったのも、警察サイドからマスメディアへのリークが早過ぎたのではないかという気がしてなりません。「煽情的報道に警察サイドが加担している。」と迄は言わないけれど・・・。