今野敏氏の小説「無明 ~警視庁強行犯係・樋口顕~」を読んでいたら、気になる記述が在った。其れは、次の通り。
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「子供を亡くして悲しんでいる両親を恫喝するようなやつなら、署長だろうが副所長だろうが関係ない。やっつけちまえよ。」。「俺を何だと思ってるんだ。」。「正義の味方だ。」。藤本がぽかんとした顔で言った。「何ですか、それ・・・。」。氏家が言った。「そうか。若い連中は、もうそんな言葉を知らないんだな。今風に言うと、ヒーローかな?」。樋口が小さい頃はまだ、テレビのスーパーヒーローなどが「正義の味方」という言い方をされていたように思う。
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深く考えずに使っていた言葉って、結構在る。「正義の味方」という言葉もそうで、子供の頃に見ていたヒーロー物の特撮番組&アニメでは屡々使われていたし、自分を含む当時の子供達も、「言葉を吟味する。」事無く、普通に使っていた。だから、「正義の味方」と言う言葉を知らない藤本に、「えっ!?」と驚いてしまった
樋口と氏家の年齢は40代半ば、そして藤本はどんなに上でも30代前半という設定だろう。自分の場合、当然樋口や氏家の年齢に近い。彼等と藤本とでは、恐らく一回り以上年齢が違うのだろうが、そんなに離れていても、「『正義の味方』なんて、普通に知っているのでは?」と思ったのだ。
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正義の味方:川内康範氏が「月光仮面」の主題歌(1958年)で用いて広まったとされ、彼のの造語だとする説も在るが、19世紀から多数の用例が存在する。中でも徳富蘇峰氏の「国民之友」誌の記事や内村鑑三氏の著作では、「正義の味方」という表現が度々用いられている。
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此方の情報を見ると、2014年(8年前)から現在に到る迄、「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」というニュース情報番組が放送されているので、「正義の味方」が必ずしも“死語”という訳では無い様だ。でも、確かに「正義の味方」という言葉を、昔程見聞しなくなった気もする。
で、改めて「正義の味方」という言葉を深く考えてみると、“不思議な言い回し”という感が。「正義の人」という言葉なら判るのだけれど、「正義の味方」となると“実体の曖昧さ”が否めないので。
気になって更に調べてみた。すると、「川内氏は『正義の味方』という言葉に、『自らを正義其の物とするのでは無く、飽く迄も社会正義に味方する者。』という思いを込めていた。」という記述が見付かった。此の考え方で在れば、「正義の味方」という不思議な言い回しも腑に落ちる。