60代の方が書いていたのだけれど、どうしても欲しかった或る“記念品”を、泣く泣く断念したそうだ。其の記念品はネット経由でしか購入出来ないそうで、インターネットを全くしない彼としては、購入を断念するしか無かったと。恐らくだけれど、周りにインターネットをしている知人も居ないのだろう。
彼の悔しい気持ち、非常に理解出来る。黎明期からインターネットを使っている自分だけれど、或る面ではマイノリティーなので、「したいけれど、出来ない。」という事が最近増えているので。
過去、懸賞で海外旅行を2回当てている。ハワイ旅行とニューヨーク旅行で、共にネットで応募した物。子供の頃より、葉書で懸賞に応募する事が結構在ったのだけれど、近年は専らネット経由で応募して来た。ネット経由で応募といっても、「応募サイトにアクセスし、答えや名前、住所等の必須事項を入力した上で、応募ボタンをクリックする。」という形だ。
ところが最近は、「ツイッターやインスタグラム経由でないと、応募出来ないスタイルの懸賞。」が増えている。ツイッター等を全くしていない自分は、そういうスタイルの応募が出来ない。
「だったら、ツイッター等を利用すれば良いだけの話では?」と言う方も居られるだろうが、個人的には「そういう物を利用する必要性を全く感じていないし、利用したいと思わせない理由が在ったりもする。」のだ。
ツイッターやインスタグラムを利用する人が非常に多い中、其れ等を全く利用しない自分の様な者は、完全にマイノリティーな存在。矢張り同様の理由から、“スマホ”では無く、“ガラケー”を利用し続けている事でも、マイノリティー感を良く感じる。(利用するのは電話機能とメール機能だけで充分で在り、高額な料金を払ってスマホを利用する必要性が全く無いので。)
「マジョリティーを重視し、マイノリティーは無視。」という考え方が社会に在るとも言えるが、マイノリティーへの配慮がもう少し在っても良いのではないか?
以前はライヴの申し込みを、メールで行っていたバンドが在る。一般的にメジャーとは言えないバンドなので、チケットぴあ等では申し込みが出来ないのだ。ところが今年から、其のバンドのライヴの申し込みは、ツイッターで“しか”出来ないシステムになってしまった。なので、泣く泣く申し込みを断念。ツイッターでの申し込みを導入するのは構わないけれど、メールでの申し込み“も”残して欲しかった。マイノリティーは、どうでも良いという事なのだろう。
いわゆる「情報弱者」という範疇の話かと思います。
かくいう私もgiants-55さんと全く同じ立ち位置で、例えばQRコードを使えば便利そうと思うことがあっても、その為だけに通信料が跳ね上がる方向に乗り換える気はしないですね。
LGBTなど社会的少数者への配慮といった、一定の前進はあるものの、情報弱者の切り捨ては逆にひどくなる一方と感じています。
手間がかかり金にならないものは消えゆく運命でしょうか。
そういう視点では、キャッシュレス化にもその傾向を感じています。
キャッシュレスでポイント加算や、割引特典を喧伝して、現金を時代遅れとみる風潮が、国の施策からも感じますが、現金なら盗まれたり奪われても、手持ちの範囲内で済むところが、個人情報と一緒に口座経由やられると、預けている預貯金が一瞬にして根こそぎ奪われる、そんなリスクは一切周知しようとしていませんから。
“買い物弱者”という言葉が在りますけれど、今回の場合は仰る様に、“情報弱者”という範疇になりますね。
自分もQRコードだナヴィ・システムだというのに御得感や便利さを感じるけれど、だからと言ってそんなには使わない機能の為に、年間でウン万円も多く料金を払いたくない。公私共々ネットはPCで充分事足りており、スマホを敢えて利用する必要性が感じられないので。
キャッシュレス、仰る様にメリットが必要以上に叫ばれ、現金使用が時代遅れの様にイメージ操作されている感が在りますね。良く言われている事ですが、中国ではキャッシュレスが非常に進んでいるけれど、其の背景には彼の国の(偽造等による)紙幣に対する国民の不信感が在る。翻って我が国の場合は、幸いな事にそういう環境では無い。キャッシュレスのメリットを全面否定する気は無いけれど、キャッシュレスの危険性(個人情報流出や不正利用等。)は看過出来ない。
「彼の国は楽園だ!」と国が喧伝し、多くが移民したものの、行ってみれば実は“地獄”が待っていただけでは無く、帰国も出来なかった。そんな事が過去に在ったけれど、メリット許りを喧伝し、キャッシュレスを推し進めて国は、大事が発生したら同様の立場を取るのではないか?
私も、giants-55さんと同じくガラケー愛用者で、スマホはまったく持つ気はありません。格安スマホなら携帯と料金変らないからと勧める人もいますが、料金の問題じゃないんです。
これ、前にも書いたかと思いますが、電車に乗ると、周囲がほとんど皆、黙ってスマホ画面を一心不乱に操作してるので不気味に感じる事があります。
何だか、スマホ弄ってないと不安で仕方がないような空気です。ほとんど依存症に近い気がします。若い人だと多い人は1日6時間もスマホを使っているとの調査もあります。
最近のニュースで、スマホの長時間使用で、20歳以下の若い人の中に、黒目が内側に寄って戻らなくなる「急性内斜視」という症状が増えている事が伝えられています。スマホをずっと15~20cmくらいの距離で見ている為、目が、いわゆるやぶ睨み状態になって筋肉が戻らなくなり、遠くのものが二重に見えてしまう症状です。ひどい場合は手術でやっと治ったという話もあります。
また、歩きスマホも多いですが、時には自転車乗りながらスマホ見たり、自動車や電車の運転手までもが運転中にスマホ見ていて客に見咎められたりという呆れた事象も。下手すれば大事故に繋がります。事実自転車走行中やトラック運転中のスマホ操作が原因の死亡事故も起きています。
こういう状況を見ていると極論になりますが、スマホ依存は、便利だけれどハマッてしまうと抜け出せなくなる、一種の薬物中毒に近いものだと言っても過言ではないでしょう。私はゲームはやりませんから中毒にはならないとは思いますが、こんな危ないものには近寄りたくない、というのが私のポリシーです。
スマホは確かにメリットも多いですが、デメリット、危険性についてももっと政府やマスコミは広く発信すべきではないでしょうか。また、スマホを使わない人の為に、申込・応募・予約方法もパソコンやコンビニ設置の発券機等、いろんな方法を残しておいて欲しいと思います。
急性内斜視の件、自分も先日、ニュース番組で知りました。過度なスマホ依存により、重い肩凝りの症状が出る事が在るというのは知っていたし、「そうだろうなあ。」という思いが在りましたけれど、急性内斜視というのは思いもしなかっただけに、「へー。」と驚いた次第。
以前、訪れたファミレスで、“表面的には”ずっと無言状態のカップルが、スマホでメールを遣り取りする事で“会話”しているのを目にして、唖然とさせられた事を書きましたけれど、一心不乱にスマホを弄っている人の多さを目にする度に、自分も不気味さを感じるし、又、「真面なコミュニケーションが取れなくなるのでは・・・。」と懸念を覚えたりも。
企業の側も“目先の金儲け”に走るのでは無く、“自国民の未来”というのも考慮した上で、きちんとした“安全策”をもっと打ち出して貰いたい。
一国のトップが平然と嘘を吐いたり、誤魔化し続けたりしている事で、国民の道徳観がどんどんおかしくなり、“嘘を言った者勝ち”の様な風潮が広がっているけれど、特定の物への過度な依存も、此の国をどんどん傾かせて行っている様な気がしてならないです。
面倒くさいからだけでは?
それは自己責任では?
「本当に欲しいなら、ネットでも何でも学んで挑戦すると思います。」というのは其の通りだと思うのですが、「自己責任」の一言で片づけてしまうのは、少し違う気がしています。
「自身でじっくり考えた上で、其の選択肢を選ばない。」というのは「在り。」だと思うし、件の方の場合、金銭的な余裕等の面から、ネット環境を取り入れられなかったという可能性も在ると思うのです。最初からネット環境しか無かったというならば話は別ですが、此れ迄はネット以外で普通に購入出来ていた物が、或る日を境に全く出来なくなったというのは、矢張り気の毒な気が。
流行り廃りは世の常ですので、新しいテクノロジーに完全移行してしまうのは仕方無いけれど、従来の形も残すという“猶予期間”は必要な気がします。
今後も、何卒宜しく御願い致します。