
「詰まらないミスが多過ぎるし、両チーム共に決め手に欠ける凡戦ばかり。」といった酷評も一部には在ったが、個人的には「今年の日本シリーズは非常に見応えが在った。」と思っている。マリーンズが日本一を決めた昨夜の第7戦、勝利を決めた岡田幸文選手は「打ちも打ったり。」だが、連投に次ぐ連投の浅尾拓也投手も「投げも投げたり。」と拍手を送りたい。
両チームの選手達、本当に御疲れ様。そしてマリーンズの選手達、日本一おめでとう!!
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「犯人捜しをしてどうするのか。捜し出して中国に送り付けるとでも言うのか。」
「流出させた人は遊び半分で遣ったとは思えない。寧ろ人生を賭けて出した可能性が高い。ウォーターゲート事件をスクープしたワシントン・ポスト紙記者みたいな物ですよ。政府が事件後、もう少し早く公開してくれるものと思っていたのに、止むに止まれず日本の為に遣った。其の気持ちが痛い程判る。」
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尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に中国の漁船が衝突した事件で、海上保安庁が撮影したビデオの一部と思われる映像がインターネット上に流出した件。11月7日付けの東京スポーツでは「尖閣ビデオ 犯人捜し中止だ」というタイトルで、演出家のテリー伊藤氏が冒頭の発言をしていた。*1先日の記事「流出問題」でも記したが、「多くの国民が今回の映像を見られる様になった事は、“結果として”良かった。」と自分も思っている。又、「政府は一刻も早く、政府として映像を公開すべきだった。」とも。しかし今回の「映像流出」を盲目的に「正義の行為」として捉えたり、流出者を「英雄視」するのはどうかとも思っている。
政府が「機密扱い」した事物を流出させたという点は、明白に違法行為。流出が誰によって為されたのかは判らないけれど、公務員が故意に流出させたので在れば「国家公務員法」の守秘義務違反に、海上保安庁等から不正に持ち出していた場合には窃盗罪等に、電子データ化された映像を保管したパソコンに不正侵入して映像を流出させたならば「不正アクセス禁止法」にと、幾つかの罪に問われる可能性が高い犯罪行為なのだ。テリー氏は「流出させた人は遊び半分で遣ったとは思えない。寧ろ人生を賭けて出した可能性が高い。」とか「止むに止まれず日本の為に遣った。」等と主張しているけれど、「流出問題」でも指摘した様に「義憤に駆られての正義の行動」と言うよりも、「政府に対する悪意」という感じを、自分は強く受ける。
自分自身も「正義」を持ち出して論じてしまう事も無い訳では無いので非常に書き辛くは在るのだけれど、「正義」で全てを正当化してしまうのは非常に危険な事だ。「違法行為で在っても、今回の流出は『正義』の為なのだから正しい。」とするならば、「中国の領海内に入り込んだ日本船は違法で在り、其れに体当たりした自分は正しい。」といった主張をし、晴れやかな表情でⅤサインをしていた中国船の船長も、自身が信じる「正義」を貫いた意味では「正しい。」という事になってしまう。彼の愚かな言動は批判されて当然と思うが、同時に批判する以上は「違法行為は違法行為として、厳格に罰しなければいけない。」という当たり前の事を我々も念頭に置かなければいけないだろう。
抑「正義」とは極めて曖昧な概念で在り、人が10人居れば10人其れ其れの正義が在っておかしくない。松坂慶子さんのヒット曲「愛の水中花」(動画)の歌詞じゃないけれど、「此れも『正義』、彼も『正義』、多分『正義』、屹度『正義』♪」なのだ。「自分が正義と信じて行った事だから、何等罪に問われるべき物では無い。」が正しいとなってしまうと、殺人だって正当化されてしまうだろう。(抑「戦争」も、其れ其れが掲げる「正義」の結果とも言えるけれど。)
中国の様な「人治国家」ならいざ知らず、苟も「法治国家」たる日本で、「法律」よりも「正義」という曖昧な概念が優先されてはいけない。
*1 再選される前には石原慎太郎都知事の事を襤褸糞に批判していた癖に、再選された彼を前にすると只管阿る言動を見せていたテリー伊藤氏。無理無理に目立つ様な言動をし、コロコロと態度を変える無節操な彼だけに、今回の流出が単なる愉快犯の所業と判明したとしても、完全無視を決め込む事だろう。
両チームの選手達、本当に御疲れ様。そしてマリーンズの選手達、日本一おめでとう!!
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「犯人捜しをしてどうするのか。捜し出して中国に送り付けるとでも言うのか。」
「流出させた人は遊び半分で遣ったとは思えない。寧ろ人生を賭けて出した可能性が高い。ウォーターゲート事件をスクープしたワシントン・ポスト紙記者みたいな物ですよ。政府が事件後、もう少し早く公開してくれるものと思っていたのに、止むに止まれず日本の為に遣った。其の気持ちが痛い程判る。」
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尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に中国の漁船が衝突した事件で、海上保安庁が撮影したビデオの一部と思われる映像がインターネット上に流出した件。11月7日付けの東京スポーツでは「尖閣ビデオ 犯人捜し中止だ」というタイトルで、演出家のテリー伊藤氏が冒頭の発言をしていた。*1先日の記事「流出問題」でも記したが、「多くの国民が今回の映像を見られる様になった事は、“結果として”良かった。」と自分も思っている。又、「政府は一刻も早く、政府として映像を公開すべきだった。」とも。しかし今回の「映像流出」を盲目的に「正義の行為」として捉えたり、流出者を「英雄視」するのはどうかとも思っている。
政府が「機密扱い」した事物を流出させたという点は、明白に違法行為。流出が誰によって為されたのかは判らないけれど、公務員が故意に流出させたので在れば「国家公務員法」の守秘義務違反に、海上保安庁等から不正に持ち出していた場合には窃盗罪等に、電子データ化された映像を保管したパソコンに不正侵入して映像を流出させたならば「不正アクセス禁止法」にと、幾つかの罪に問われる可能性が高い犯罪行為なのだ。テリー氏は「流出させた人は遊び半分で遣ったとは思えない。寧ろ人生を賭けて出した可能性が高い。」とか「止むに止まれず日本の為に遣った。」等と主張しているけれど、「流出問題」でも指摘した様に「義憤に駆られての正義の行動」と言うよりも、「政府に対する悪意」という感じを、自分は強く受ける。
自分自身も「正義」を持ち出して論じてしまう事も無い訳では無いので非常に書き辛くは在るのだけれど、「正義」で全てを正当化してしまうのは非常に危険な事だ。「違法行為で在っても、今回の流出は『正義』の為なのだから正しい。」とするならば、「中国の領海内に入り込んだ日本船は違法で在り、其れに体当たりした自分は正しい。」といった主張をし、晴れやかな表情でⅤサインをしていた中国船の船長も、自身が信じる「正義」を貫いた意味では「正しい。」という事になってしまう。彼の愚かな言動は批判されて当然と思うが、同時に批判する以上は「違法行為は違法行為として、厳格に罰しなければいけない。」という当たり前の事を我々も念頭に置かなければいけないだろう。
抑「正義」とは極めて曖昧な概念で在り、人が10人居れば10人其れ其れの正義が在っておかしくない。松坂慶子さんのヒット曲「愛の水中花」(動画)の歌詞じゃないけれど、「此れも『正義』、彼も『正義』、多分『正義』、屹度『正義』♪」なのだ。「自分が正義と信じて行った事だから、何等罪に問われるべき物では無い。」が正しいとなってしまうと、殺人だって正当化されてしまうだろう。(抑「戦争」も、其れ其れが掲げる「正義」の結果とも言えるけれど。)
中国の様な「人治国家」ならいざ知らず、苟も「法治国家」たる日本で、「法律」よりも「正義」という曖昧な概念が優先されてはいけない。

*1 再選される前には石原慎太郎都知事の事を襤褸糞に批判していた癖に、再選された彼を前にすると只管阿る言動を見せていたテリー伊藤氏。無理無理に目立つ様な言動をし、コロコロと態度を変える無節操な彼だけに、今回の流出が単なる愉快犯の所業と判明したとしても、完全無視を決め込む事だろう。

おっしゃる通り日本は法治国家です。そして民主国家です。
政府が非公開との意志を持っているのなら、それを尊重しなくてはなりません。なぜなら、そんな政府選んだのは私たちなのですから。ただ、政府のやることに批判を加える自由も保証すべきです。現政府が落第との判断を下す人が多ければ、次の総選挙で政権交代させればいいです。
「あそび半分でやったのではない。人生を賭けて正義のためにやった」が許されるなら非常に危険なことです。オウムだって連合赤軍だって、遊び半分ではなく、本人たちはよかれと思っていたでしょう。
だいたいが、「正義」という言葉ほど、便利で危険であいまいな言葉はありません。日本には「勝てば官軍」と言葉があります。
もし1970年代連合赤軍の革命が成功していて「日本人民共和国」が成立していたら、森恒夫や永田洋子は英雄で、犯罪者の彼らが「正義」で、当時の政権党自民党は悪だったでしょう。もしオウムが天下をとっていたら、死刑囚の松本智津男は日本の元首になっていたでしょう。
言論統制が敷かれ、周りには常に監視の目が光っている・・・そんな独裁国家に在るならば、法律は為政者の思いのままに作られた物でしょうし、其の法律に完全服従する必要は無いでしょう。しかし乍ら日本はそういった国では無いし、苟も法治国家で在る以上、法律遵守が最優先されるべきだと思うのです。そうで無かったら、北朝鮮等の無法国家と何等変わらなくなってしまいますから。
雫石様が書かれた内容に、100%同感です。「正義」とか「愛国心」という言葉は非常に耳触りは良いのだけれど、此れ程曖昧な概念も無い。特に力を持った存在がこういった言葉を声高に叫び、強いて来る時には警戒を要すると思っています。
第二次大戦時、家族や国を心から思って戦い、無念の内に亡くなられた人々の事は心から哀悼している。しかし、だからと言って、「彼等の生き方こそが最善で在り、皆が皆彼等の様に生きなければならない。」と強いられる様な環境というのは非常に危ういと同時に考えています。「一つの思考こそが正しく、其れ以外は許さない。」といった環境が出来上がってしまうと、誰もが物を言えなくなってしまい、妙な方向に突っ走ってしまい兼ねないから。
過去に捉われ過ぎるのは良くない。でも過去から何も学ばないのは、もっと良くない。過去に先人達が、どういった過ちを犯してしまったのか?其れを深く知らないと、同じ過ちを繰り返してしまうと思うから。
ロッテの気力がわずかに上回ったということでしょう。ちなみに私も、監督落合は好きになれません。
投手王国の中日相手にナゴド4試合で計16得点。延長ありとはいえ中日が圧倒的勝率を誇る地で、ホームランに頼らず得点を稼ぎ出したロッテの戦い方は、巨砲・長打力重視の編成でねじ伏せられた巨人・阪神にとって参考になると思います。もちろん長打力も脅威だし、ロッテのスタイルも一朝一夕に身につくものではありませんが。
不人気カードと蔑まれ、1,2戦地上波放送されないなど徹底してネガキャンを張られた視聴率についても、6戦・7戦はかなりの数字を取れたようで、その意味でも両球団は世間を見返してやりましたね。あれだけの長時間放送をしながら平均視聴率で20を超えるのは大変なことです。
さて、話題のsengokuさんについて。恥ずかしながら私は親米保守ナベツネ愛?で現政権を支持しない者ですが(すみません)、当事者を盲目的に英雄視するのは危険であり、動機や悪意の有無はどうであれ、法に則った罰が適用されるべきと考えます。
義憤による行動であれ、良くいるネット上の賑やかし犯であれ、罪は罪であり、それ以上でもそれ以下でもありません。「研修資料」を流出させた事について、現行の規定に則った裁きが下されてこそ法治国家だと思います。
ただ、本物のsengokuさんたちが、やれ「クーデター」だの「国家への反逆」だのと物騒な言葉を繰り返し、今まさに国家が言論統制せんばかりの勢いで急速な厳罰化を図って本件を吊るし上げようするのは、だっせーし冷静さを欠いた反応です。日本人が持つ判官贔屓感情が刺激されて、かえって英雄視に繋がります。
今でも「CS不要。」のスタンスに変わりが無い自分ですけれど、少なくとも今年に関しては「どちらのリーグも、1位から3位の勝率がほぼ変わらなかった。」事も在ったし、何よりもマリーンズの選手達の頑張り(此れはドラゴンズにも言えますが。)がひしひしと伝わって来たので「レギュラー・シーズンでは3位だったのに・・・。」云々は言いたくないと思っています。其れ程、見る者を魅了する好シリーズだったと自分は捉えている。(でも、CSは廃止して欲しい。)
自分もマリーンズの闘い方を見ていて、「セ・リーグの他のチームにとっては、来季の対ドラゴンズ戦への参考になるのではないか。」と思いました。非常にシンプルですが、「好球必打」と「徹底したセンター返し」というのが目に付きましたね。又、球に喰らい付いて行く姿勢というのも素晴らしかった。
平均視聴率は20%を超えたんですか!?其れは嬉しいですね。野球評論家の中にですら今回のシリーズを酷評する者が居たし、「こんなに白熱した試合なのに、何故そう批判的なんだろう?」という残念な思いが在ったから。又、「沈む船から逃げ出す鼠」の如く、プロ野球中継から撤退する放送局が続く中、後半はCM無しでも延長を続けたフジテレビの“英断”にはプロ野球ファンの一人として敬意を覚え、だからこそより高い視聴率で報わせて上げたかったので。
菅政権の件、謝って戴く必要なんか全く無いですよ。「過去の反省を全くしないまま、自分達の事は棚上げして批判し捲る自民党。」には、現状では全く信を置く事が出来ないけれど、だからと言って自分は別段菅政権を評価している訳でも無いので。
中国の“無様な”反日デモに対抗し、日本でも反中デモが数回されました。従来は此の手のデモに対して「純粋な気持ちからの抗議活動」と言うよりも、「中国という仮想敵先ず在りきで、口汚く罵倒する事が目的。」だったり、「『こんなに激しく抗議している自分って、何て愛国の士なんだろう。』といった自己陶酔。」が目立ったりするのでシンパシーを感じ得ないのだけれど、今回に関しては「中国の無様さと同じ事をしてはいけない。」という思いが強かった為か、「物を壊さない。」、「粛々と抗議する。」という主催者の意思が徹底されて、“全体的に”良いデモ(デモに良いor悪いを言うのも妙ですが。
「悔し涙を流す姿を誰にも見せたくないからとった行動。」
と見るのは、贔屓目が過ぎるでしょうか?
勝者を祝福する敗者といえば、3年前の大阪の世界陸上で、自らはメダルに届かずに6位で終わりながら、メダリストたちのウイニングランに加わっていた室伏広治選手を思い出します。当時、僕は別の名義で書いているサイトで、
「これが“品格”というものだ。」
と書きました。思えば、自身で納得している敗戦だからこそできたのではないかとも思います。
さて、正義というものが一つではないということを最初ら教わったのは、元フォークルで、作詞家として多くのフォークソングの名曲を残し、現在は精神科医である北山修氏が40年近く前に書いたエッセイでした。(エッセイ集「さすらいびとの子守唄」所収)
子供の頃に見た、正義の味方、「月光仮面」の思い出を語ったエッセイで、
「三里塚の闘争を見た月光仮面は、どちらの味方になるだろう。」
という言葉で締めくくっていたのです。当時、大学生だった姉にたずねると、
「やっぱり、(空港反対派の)農民の方じゃないの?月光仮面は権力の味方はしないわよ。」
と答えていたことを覚えています。
ちょうど、タイミング良く、「週刊ポスト」に、ウルトラマンのビデオを教材にして、正義とは何かと言う授業をしている中学校の先生のことが記事になっていました。おかげで、中断していた、「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」について語る記事を完結させることが出来ました。
http://orange.ap.teacup.com/applet/iyokakun1961/20101112/archive
ウルトラマン・シリーズを教材にして授業を行われている先生の事は、数年前にTVで取り上げているのを見ました。思えば自分が「正義」という概念に薄らと疑問を感じる様になったのも、ウルトラ・シリーズを見た時から。「ウルトラマン」では「同朋の人類に捨てられ、怪獣の形で復讐するジャミラ。」(http://blog.goo.ne.jp/get_better4u/e/9a7ea906811d12de9369350e20ca7007)に、そして「ウルトラセブン」では「先住民の自分達を異分子として一方的に排除しようとする人類に、反撃をしたノンマルト。」(http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page42.htm)、「帰ってきたウルトラマン」では「自分達と姿かたちが異なるというだけの理由から、人間に殺害されてしまったメイツ星人」(ttp://takenami1967.blog64.fc2.com/blog-entry-45.html)等々、「『正義』というのは非常に曖昧で危うい概念で、悪意を以って此の言葉を利用すれば、幾らでもおかしな方向へと人を導けるのだなあ。」とい子供心に思ったものでした。
そういった実に曖昧で危うい概念を持ち出し、法律をも無視しようとする元首相や弁護士の肩書を持つ議員の言動には、何とも言えない怖さを感じるし、そういった言動を盲目的に支持する人が少なくないとしたら、「中国と何等変わらないのではないか?」という気すらします。
P.S. 落合監督、流石に表彰式の際にはベンチ前に立っていましたね。