出張先のマレーシアでは、仕事後に同僚達と行く屋台が楽しみの一つだった。美味いアジア飯や酒類を鱈腹飲食しても、日本では考えられない程安価な料金。
或る日の夜、何時もの様に屋台で飲食していた際、隣のテーブルに付いていた現地人が中国系の新聞を読んでいた。其の一面には「大勢の警察官が写った写真」が載り、「日本」や「沙林」という文字が大きく踊っていた。「日本で何か起きたみたいだけど、『沙林』って何の事だろう?」と思い、拙い英語で彼に聞いた所、「日本でテロ事件が発生した。」と言うではないか。「三菱重工爆破事件」の報道をリアル・タイムで見聞しているが、何分幼かった頃の話。其れ故、「日本でのテロ事件」というのはピンと来なかった。
「『沙林』が『サリン』を意味し、其のサリンを用いた無差別テロ事件が日本で発生した。」というのを知ったのは、宿泊先のホテルに戻り、TVでニュースを見ての事。所謂「地下鉄サリン事件」で在る。「後遺症は残らなかったものの、サリンが散布された当該電車に知人が乗り合わせていた。」事も在り、一連の「オウム真理教事件」は強く心に刻み込まれている。
地下鉄サリン事件発生から16年が経過し、21日の最高裁判決にて、オウム真理教を巡る刑事裁判は終結を迎えた。関連事件で死刑が確定するのは麻原彰晃死刑囚(56歳)を始めとする合計13人。事件発生から16年での刑事裁判終結をどう捉えるかは人其れ其れだろうが、個人的には「余りに長く掛かり過ぎた。」と思っている。司法の場で「真相究明」を図るのは重要な事だし、拙速に裁判を推し進めるのは好ましくないけれど、其れにしても長過ぎた。こんなにも長い時間を費やし乍ら、最高権力者だった麻原死刑囚が“狂人”を装い続けた(「死刑逃れのを目的とした見苦しさ」しか感じ得ない!)事で、結局、殆ど真相は究明されなかったし。
「死刑制度は絶対に維持すべし!」と考える自分だが、オウム真理教事件で死刑が確定した者達、特に麻原死刑囚は直ちに死刑に処して欲しいと思っている。「麻原死刑囚を死刑に処す事で、オウム信者の中で彼が『聖人』と化してしまう。」等の死刑反対論も在るが、彼だけの残忍な犯行を為した以上は、其の死を以て償わせなければいけないだろう。
地下鉄サリン事件の事を知らない世代も増えて来ており、オウム真理教の流れを汲む宗教団体には、毎年100人近くの信者が増加しているとも言われている。「麻原回帰」路線も強まっているとかで、実に不気味だ。
「弱者救済」を声高に訴え乍ら、実際には「信者の弱みに付け込んで、次から次へと金銭を巻き上げている。」だけの宗教団体が少なくない。「宗教団体の暴走に歯止めを掛ける意味からも、適切な課税をすべき。」と思うのだが、様々な面で多くの便宜を図って貰っている政治家の間から、そういった声が上がらないのは腹立たしい事だ。
悪質な宗教団体が少なからず存在し、被害に遭う者達が多く居る現状を考えると、子供達に対して義務教育期間中に「身を守る術」を教えた方が良いのではないかと思っている。「信教の自由」の観点からも、特定の宗教を褒め称えたり批判したりするのでは無く、例えば「本当に困った時には、御先祖様に心の中で相談すれば良い。相談する際には、形式に拘る必要は無いのだ。」みたいな事だけでも先ずは良い。其の上で、「典型的な騙しのテクニック」を紹介すれば、悪質な宗教団体から身を守る術が自ずと涵養されよう。