ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「アンマーとぼくら」

2016年12月13日 | 書籍関連

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休暇で沖縄に帰って来たリョウは、親孝行の、「御母さん」と3日間、島内を観光する。1人目の「御母さん」はリョウが子供の頃に亡くなり、再婚した父も逝ってしまった。観光を続ける内、リョウは何かがおかしい事に気が付く。

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有川浩さんの小説アンマーとぼくら」を読了。“アンマー”とは沖縄の言葉で“母”を意味し、有川さんはかりゆし58の「アンマー」【動画】という曲から着想を得て、此の作品を書き上げたと言う。

 

主人公のリョウは、小学校4年の時に最愛の母をで亡くした。札幌の小学校で教師をしている母は、美人で優しくて、学校中の人気者。友達からも「坂本先生が御母さんなんて良いなあ。」と羨ましがられる程だった。母の実家とは折り合いが良く無かったものの、父は母ととても仲が良かったのだけれど、母が病気になって以降、父は母と距離を置く様に。そして、母が亡くなって1年後、父に連れられて沖縄に行ったリョウは、1人の女性に会わせられる。母とはタイプが違うけれど、綺麗な其の女性は“晴子さん”といい、父はリョウに「新しい御母さんになる人だ。」と言う。病気になって以降、母と距離を置いた事に加えて、「母が亡くなって1年しか経っていないのに、新しい御母さんだなんて。」という怒りから、リョウは新しい母を“御母さん”とは呼ばず、“晴子さん”と呼び続ける。

 

「子供の様な性格で、晴子の事をリョウに“新しい母”として、何とか受け容れさせ様とする父。」、「リョウの心の中に生きる“亡き母”の事を理解し、優しく彼を見守り乍らも、母として受け容れて貰えない寂しさを感じている晴子。」、そして「病気になって以降の母と距離を置いた事には反感を持つも、けれど父の事は嫌いじゃ無く、又、優しい晴子に対しても好感は持っているのだけれど、亡き母が忘れ去られて行く事に抵抗を感じ、晴子を完全に受け容れられないリョウ。」という、複雑な3人家族を描いている。

 

「父の母(リョウからすれば祖母。)は、情が薄い人間だった。」という事を、軈てリョウは知る。好きな男が出来る、子供だった父を親戚に預けて家を出て行く様な、母親よりも1人の女性としての生き方を最優先させていた祖母。意味も無く殴ったり、折檻したりと、癇癪を爆発させて父を“怒る”事は在っても、子供の事を思って“叱る”事が無かったと言う。

 

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「母親になぁ。」。父はそこで言葉を切った。何気ない風を装うのに一瞬。「お前なんか生まなきゃよかったって。」。―気づいたのは、ずっとずっと後のことだ。父が自分の両親の話をしたのは、それが最初で最後だったが、祖母のことを「母親」と言った。ぼくに話をしているのに「おばあちゃん」とは言わなかった。母方の祖母は「おばあちゃん」と言っていたのに。もしかすると父は、情がなかった自分の母親を、「おばあちゃん」という存在として、ぼくに繋げたくなかったのかもしれない。

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「父が亡き母に惹かれたのは、実母が持っていなかった物を亡き母が持っていたから。其の実母が持っていなかった物が、病気になって以降の亡き母からは感じられなくなり、其の結果としてパニック状態になってしまった。」というのが、父が亡き母に距離を置いた理由だったというのだけれど、何か判った様で、良く判らない。すっと理解出来る人にとっては、「良い作品。」と受け取るのかもしれないが・・・。

 

本のに、此れは、現時点での最高傑作です。」という有川さんの言葉が記されている。こういった惹句が付けられた作品は、概して“最高傑作”で無い事が多い。駄作とは思わないが、他の有川作品からすれば、個人的にはぴんと来なかった。

 

ネット上の書評を見ると、「素晴らしい!」という高評価と、「可も無く不可も無し。」という普通評価とに、ハッキリ分かれているのが面白い。「共感出来ない。」、「感情移入出来ない。」、「何を描きたかったのか、良く判らない。」というのが、今一つ評価出来ない人達の理由の様だが、彼等の言いたい事は理解出来る。

 

総合評価は、星3つとしたい。


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