山梨県で19歳の女性が刺殺された。コンビニでのアルバイトを終え、店を出た所での惨事だった。犯人の49歳の男性は、この被害者と全く面識が無かったという事で、犯行動機に付いてこう述べたという。
「樹海で自殺しようと思って来たが、死に切れなかった。人を殺して刑務所に入れば、生活が出来ると思った。男だと抵抗されるので、女であれば誰でも良かった。」
敢えて言う。「死にたいのなら、勝手に死ね!」と。自分の人生に見切りを付けるのは勝手だが、無関係な人間を巻き添えにする権利が誰に在ろうか。
ましてや、「人を殺したら刑務所に入れば、”生活出来る”と思った。」とは何たる言い種か。刑務所はホテルじゃない!
身勝手で卑劣極まりないこの犯人だが、供述に意味不明な点が有る為、刑事責任能力の有無が問われるという。「又か・・・」という思い。「ブラックジャックによろしく」でも、「精神病患者と殺人事件」を題材に取り上げていたが、今回の様に身勝手とはいえ、自分なりの理屈で殺人を成した者迄刑事責任能力を問えないという事になったら、世も末ではないか?
以前書いた「刑罰体系の見直し案 ~「罪と罰、だが償いはどこに?」より~」の中でも、「加害者に甘く、被害者に厳しい」今の刑罰体系に疑問を呈した。今回の事件で、その思いは一層深まる。
死の概念が希薄になって来ているのだから、死刑が犯罪の抑止力に成り得ないと思う気持ちもなくはない。しかし、卑劣で残虐な行為を前にしては、死刑反対を掲げる人に問うてしまうのだ。
「これでも死刑反対ですか?」と・・・。
「樹海で自殺しようと思って来たが、死に切れなかった。人を殺して刑務所に入れば、生活が出来ると思った。男だと抵抗されるので、女であれば誰でも良かった。」
敢えて言う。「死にたいのなら、勝手に死ね!」と。自分の人生に見切りを付けるのは勝手だが、無関係な人間を巻き添えにする権利が誰に在ろうか。
ましてや、「人を殺したら刑務所に入れば、”生活出来る”と思った。」とは何たる言い種か。刑務所はホテルじゃない!
身勝手で卑劣極まりないこの犯人だが、供述に意味不明な点が有る為、刑事責任能力の有無が問われるという。「又か・・・」という思い。「ブラックジャックによろしく」でも、「精神病患者と殺人事件」を題材に取り上げていたが、今回の様に身勝手とはいえ、自分なりの理屈で殺人を成した者迄刑事責任能力を問えないという事になったら、世も末ではないか?
以前書いた「刑罰体系の見直し案 ~「罪と罰、だが償いはどこに?」より~」の中でも、「加害者に甘く、被害者に厳しい」今の刑罰体系に疑問を呈した。今回の事件で、その思いは一層深まる。
死の概念が希薄になって来ているのだから、死刑が犯罪の抑止力に成り得ないと思う気持ちもなくはない。しかし、卑劣で残虐な行為を前にしては、死刑反対を掲げる人に問うてしまうのだ。
「これでも死刑反対ですか?」と・・・。
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とりあえず死刑制度の賛否には関係ないコメントで恐縮ですが。
この男性犯人は、生活保護ちゅうもんを知らんかったんでしょうかねぇ…。何も殺人犯にならなくても今日明日の飯代くらいはその関係でなんとななるでしょうし、そういう線で働き口を探してというのがまっとうな生活苦からの脱出方法ではないかと思うのですが。
もし生活保護をもらうのをためらわせるものがあったとすればそれは何なのか。その点から、この事件は見ていく必要があるのではないかと、僕個人的には思っております。
死刑制度と関係ない話でスミマセンでした。
今日はあまりにびっくりな記事だったので
私なりに思ったことをTBさせてもらいました。
本当にひどい話ですよね・・・。
本当に死刑なんだろうか.勿論,生かしておくのにも血税が掛かるのは事実です.
刑法の応報性を鑑みると,私個人的には,(広義で)“生かしたままの人権剥奪”が最も適当だと思うのですが...残虐ですか?
以前、別の方のブラグにも書かせて頂いたのですが、
(あ、ジャイアンツさんのとこにも書いたかも…ボケてます)
ぁたしの友人は、求刑死刑、判決は無期でしたから20年すればシャバに戻ってきます。
本人が社会の変化についていけず、また、戻ると思うのですが、4人をゲーム感覚で、まさか死ぬとは思わなかったけど死んだから捨てにいこう!とか、凄く、次元の低いラインで人を殺せるんですよ。
もちろん、私も、友人本人も、死刑は免れないと思っていました。
が、主犯格は死刑判決でしたが、執行前に病死しました。
ぁたしは、死刑判決をくだされて、いつ執行されるか解らなくて、その日を、死と対面する恐怖を感じながら、独居で死ぬまで苦しんで欲しいです。
だから池田小学校の殺傷事件の宅間って奴は、最初、本人は異常者を演じて、刑法39条で、『死』の恐怖から逃れようなんて姑息な事をしたようで、でもやはり、異常者ではなかったんですよね、きっと罪の重さを感じたのだと思います、計画的な犯行と認めたらしい。
で、判決は「死刑」
死刑について、後、先に触れました、刑法39条においてもですよ。
ハンムラビ法典をぁたしは、推奨したいです。
目には目を!歯に歯を。
宅間に関して言わせてもらえるならば、なぜ、もっと、死の恐怖との時間を長くしなかったのか!って事です。
宅間自身、早く執行してくれと訴え、まんま執行されてるんですから。
毎日、真っ暗で誰もいない狭い部屋で、いつ来るかわからない、死を待たせるってのがぁたしの考えです。
いつも、主観的な意見ばかり書き込みすみません。
アタシが言いたいのもそこなのです.
罪を犯しておいて,マンションの屋上から飛び降りたり,早々死刑を手に入れたり...卑怯な奴らです.
もはや、人を殺すという事がどういうことなのかから
子供のうちから教えることが大切なのでしょう。
なぜ人を殺してはいけないのか?(そんなことだれがきめたのか?)
まぁ、心のブレーキになる「何か」がもっと必要なんでしょう。
TBさせていただきました。
死刑の問題は、「人が人を裁けるのか、人は平等に創られているのではないのか」という問題だと言われますが、私的には、「なぜ人を殺してはいけないか」につながると思います。「他人を殺していい、ということは、自分も殺されていい、ということにつながる」のであり、その状況は避けたい、というのが、「なぜ人を殺してはいけないか」への私なりの回答です。
同様に、他人に対して殺人の権利を与えない以上、国家権力に対してその権利を与えないのも当然、という考え方が出てきます。国家権力によるあらゆる殺人を否定できれば戦争も軍隊も否定でき、戦争放棄につながり平和な世界が築けます。これが死刑廃止論の基礎ではないかと勝手に考えています。
ですので、死刑廃止論は説得力があると思うのです。
しかし私は、限定的に国家権力に対して暴力を許容するのは仕方ない、と考えています。世の中に悪い人もいるし悪い国があるのも現実なのかなあと思っていて、それらに対応できるのは国家権力による暴力だけなのかなあ、と思っています。大多数の国民の安全を少数の暴力から護るのも国家の役割でありないかと。ですので私もgiants-55様の考えに全面的に賛成します。
もちろん国家権力に対する監視は非常に重要です。同様にマスコミという権力による暴力(多くの場合被害者に対する)に対する監視も必要になってきた、と思っています。長くなり失礼致しました。
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ、直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、貴ブログが見当たりませんでしたので、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
以前、死刑囚が死刑の日を迎える迄の、心の揺れを書き記した書簡を読んだ事が有ります。
「夜、床に就いて朝を迎える迄が怖くて堪らなかった。そして、朝、刑務所員の足音が聞こえると、「今日こそは執行されるのか。」と恐怖に震え、そうでなかったらホッとする。そして、夜を迎えて、又同じ思いを繰り返す・・・。」
そんな様な事が書かれていました。その意味で言えば、死刑を待つ迄の期間というのが、最も辛く、恐怖を感じる”刑罰”なのでしょうね。
基本的に死刑賛成論者の自分ですが、記事にも書きました様に、昨今の「死を軽んじる」風潮を考え合わせると、死刑が犯罪抑止力になり得るのか疑問を感じる部分も少なからず有ります。唯、今回の事件は、一面識も無い無関係な人間を、自分の身勝手な理屈で殺害したという、到底許し難いもので、それが刑事責任すらも問えない様になってしまうのであれば、本当に世も末だと思います。聞けば、被害者の女性は看護士になるのを夢見ていたとか。イラクで殺害された香田氏もそうですが、どんな理由があれ、人の夢を無残に奪う権限は誰にもないし、許せない行為だと思います。人心がどんどん荒んで来ている様で、空恐ろしい気がします・・・。
これからも宜しく御願い致します。
でも、時間がたつと、
「恩恵」「特赦」が適用されてしまう
という可能性も出てくるのですよね。
それから、年末は、
犯罪もですが、自殺も増える傾向にあるそうです。
ここのところ、また集団自殺流行りですね。。。
こんなヤツを生かす意味がわからない。確信的に人を殺す人間が真人間に生まれ変わる、そんな考えの出所もわからない。
しかも囚人の刑務所での生活を税金で負担しているわけだし、犯罪者を擁護するもんだから刑務所も足りないとか言ってるし…
古い概念が通用しなくなっている昨今、法の改正を急いでいただきたいものです。