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・俺は家に帰った時、銚子で働いた。毎日、電波とテープと映像に引っ付かれた。泣きたくも無いのに電波でメソメソさせられた。笑いたくも無いのにニヤニヤさせられた。考えたくも無い事をテープで考えさせられた。想像したくも無い事を想像させられた。今でも其れは続いている。俺が引っ付かれているのを知り乍ら、まさか親兄弟迄一緒になってコソコソ言うとは思わなかった。他人もコソコソ言ったりおかしな演技を何回かしている。
・私が彼の様な悲惨な事件を引き起こしましたのも、今迄述べた様な、目に見えない電波やテープによる男と女の声が、私の耳から頭の中に流れ、在りと在らゆる方法で私を虐め続け、私の同僚や一般の人間、そして実の親兄弟迄が、其の張本人とグルになって職場迄奪った事に、心底から自分の将来に絶望した事が原因なのです。
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1981年6月17日午前11時35分頃、東京都江東区森下2丁目の商店街の路上で、無差別殺人事件が発生した。1人の男が柳刃包丁で通行人を次々と刺した後、通行中の1人の女性をの中華料理店に引き連れ、彼女を人質に取って立て籠もった。約7時間後、男の隙を見て人質の女性は逃走し、此れを機会に警察官が室内に突入。柳刃包丁を振り回して抵抗する男を取り押さえ、現行犯逮捕した。児童1人と乳児1人を含む4人が死亡、2人が怪我を負うという悲惨な事件。
「深川通り魔殺人事件」と呼ばれる事になる此の無差別殺人事件を引き起こしたのは、当時29歳で元寿司職人等の経歴を持つ男だった。男の名前は「川俣軍司(かわまた ぐんじ)」。
例に挙げて申し訳無いのだが、例えば「鈴木一郎」とか「田中次郎」とかいう良く在る名前だったら、時間が経てば人の記憶から消えて行くだろうが、「軍司」という名前は珍しい。なので、其の名前は当時を知る人達の記憶から消え難い事だろうが、其れにも増して、逮捕時の彼の姿が余りにも異様だった事が、今も多くの人達が覚えている原因だろう。
「白いブリーフにハイソックス姿、猿轡を噛まされ、とても29歳には見えない老けた風貌の男が、後ろ手に手錠を掛けられて連行される。」という映像は、「豊田商事会長刺殺事件」同様の異様さが在った。
そんな事件に付いて著されたのが、佐木隆三氏の「深川通り魔殺人事件」。軍司の生い立ちから事件及び裁判の経緯に付いて記された此の本は、事件発生から2年後の1983年に上梓された。もう35年前の事だ。
冒頭で紹介したのは、「軍司が事件前、実兄に渡した手紙に書かれていた内容。」と「裁判で彼が語った内容。」の一部。判決が下された際、「犯行時、覚醒剤中毒で心神耗弱状態に在った。」とされた彼。「荒唐無稽な妄想や主張を周囲に向かって公言する人。」の事を“電波系”と呼んだりするが、逮捕時の彼の異様な風体に加え、“電波”等の言葉を彼が多用した事から、此の用語は一般化して行ったとも言える。
「深川通り魔殺人事件」を読んでいて感じたのは、軍司の“心の弱さ”だ。言葉遣いや行動は荒いが、実際には“強い者”には立ち向かえず、虚勢を張っている様な所が在る。事件で襲ったのが女子供だけだったというのも、そんな証左の様に感じる。心の弱さに加え、余りにも堪え性の無い彼は、尋常で無い程の頻度で職を転々としていた事を、今回初めて知った。
1963年から1964年に掛けて発生した「連続少年切り付け魔事件」や1974年に発生した「ピアノ騒音殺人事件」等、過去の殺人事件を紹介した上で、「深川通り魔殺人事件」を分析しているのは興味深い。又、裁判の様子も生々しい。(使用されている用語に難解な物が結構在り、読み進めるのがしんどい面も在るけれど。)
「犯行時、覚醒剤中毒で心神耗弱状態に在ったものの、刑事責任能力は問える。」として、無期懲役の判決が下った軍司。個人的には「死刑で無いのはおかしい。」という気持ちがずっと在るのだけれど、今も彼は獄中に在る。
確かに記憶に残りやすい犯人の名前であり事件でしたね。
度々書いていることですが、心神喪失とか心神耗弱を理由に犯罪者が無罪になるのには、凄く違和感があります。
もともと正常な思考判断力があれば、犯罪に走るわけがなく、犯罪を犯すというときには、どこかしら精神に異常をきたしているはずだからです。
また、giants-55さんの先の記事にもリンクしますが、犯罪被害者への賠償金の支払いの面からも、罰は重くしても死刑は無くし終身刑にするべきだと思っています。
懲役刑での労働対価の単価をもっと高いものに従事させ(ある意味過酷な労働?)、出所後の更生のために必要な最低限度の金額を除いて、被害者への弁済に当てさせる。
もちろん死刑ならそれで終わりになるところを、終身刑なら「出所後」は無いので、全額を弁済金にできるわけです。
凶悪犯罪者を刑務所の中で「税金を使って生きながらえさせる」ことになる、と反対する意見もあるようですが、犯罪が起きる背景には社会にはびこる多くの「理不尽な矛盾」の影響も無関係と言えません。
このような犯罪を世に生み出した私たちの社会への「無関心・見て見ぬふりへの罰」としてとらえ直してみることも必要ではないでしょうか。
「心神喪失とか心神耗弱を理由に犯罪者が無罪になるのには、凄く違和感が在ります。」というのは、全く同感です。「飲酒運転で人を轢き殺した事に付いて、『飲酒によって真面な判断能力が失われていたのだから、罪は軽減されるべきで在る。」という考え方が以前在りましたけれど、「『飲酒して運転してはいけない。』という罪の上に、『人を轢き殺した。』という罪を重ねたのだから、普通の轢き逃げ殺人よりも罪を重くしなければおかしい。」という思いがずっと在りました。其れと同様ですね。
「死刑」という制度に対する考え方、此れは十人十色で在り、「此れが唯一無二的に正しい。」という物では無いし、悠々遊様の御考えも理解出来ます。唯、死刑に関しては、どうしても被害者側の感情というのを考えてしまうし、自分が被害者側だったらという仮定をした場合も、矢張り「死刑は存在し続けるべき。」という考えは、否定出来なかったりします。
犯した罪を真摯に反省し、真っ当に生き様としている加害者も当然居ましょうが、そうで無い者が少なく無いのも、そういう思いを強くさせる要因ですね。
いずれにしても、誰の為の裁判であり、人権保護があるのか、被告人は、裁判では追及される弱い立場だし、社会的にも弱いのかも知れない。時に、他者への評価やゴシップが、その人を追い詰める事もある事を知るべきと思います。有名人は、噂されたり、公の場で注目されたりという事は、「有名税」とも言いますが、一般人を裁く事は、無名ながらその人の立場になり切る事で、それは、多数の懸案を裁く裁判官にとっては、ハードワークでもあるでしょう。
こういった大きな事件は、裁判員によって変わると思いますが、被告人の、裁判員に対する共感能力や自己表現力によって、罪の軽重が変わるのもおかしなことだと思います。上手く自分を表せないから、人付き合いが出来ず、それが高じて反社会的になる、という事だと思いますので。
「情状酌量の余地」というのは、自分も認めるべきだと思っています。過去に何度か書きましたけれど、永山則夫元死刑囚(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/534f2ed49c6a5032012f000614523976)の様に、“過酷”という一語で済ませられない様な幼少期を送る等、情状酌量の余地を残さないと、余りに遣り切れない“現実”というのも在るからです。又、犯行以降の贖罪意識の有無というのも考慮すべきで、そういう点でも永山元死刑囚の場合は死刑に処されるには忍びない面が在った。
唯、川俣軍司の場合は今回の本を読んでも、「果たして本当に、心神耗弱状態に在ったのだろうか?」と思ってしまう“冷静さ”を彼の中に感じてしまうし、贖罪意識も薄い。死刑逃れの為、心神耗弱状態等を“装っている”様な被告、又、そういった入れ知恵をしている様な弁護士が存在している様に思われるのも、“精神鑑定”に依存する事の危うさを感じる要因。
飽く迄も私見ですが、「人を1人殺したら、“原則的に”死刑。但し、情状酌量の余地及び冤罪の可能性の有無を十二分に考慮した上で、死刑の可否を判断しなければ駄目。」と考えています。