ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

事実ならば酷い話だ

2013年10月24日 | 歴史関連

此の記事を最初に目にした時、都市伝説類いかとも思ったのだが、色々調べてみると、どうやら事実らしいので、今回紹介させて貰う事にした。

 

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封印された日本タブー・・・人権を無視した集落奇習おじろく・おばさ』」(10月20日、日刊ナックルズ

 

長男以外の人間は、結婚も出来ず、世間との交流すら許されず、死ぬ家の奴隷如く働かされる・・・。一体何時の時代の、何処の国の話だと思われるかもしれない。しかし此れは、日本に20世紀実在したおじろく・おばさという風習なので在る。

 

国土の7割が山で在る日本。山林によって隔絶された村では、独自の文化が発生する場合が多い。昔の長野県神原村(現・下伊那郡天龍村神原)も、其の1つだ。

 

耕地面積が少ない此の村では、家長となる長男より下の子供を養う余裕が無い。其の為、家に残った下の子供は「おじろく(男)・おばさ(女)」と呼ばれ、長男の為に死ぬ迄無償で働かされた。

 

家庭内での地位は家主の妻子よりも下で、自分の甥っこ姪っこからも下男として扱われる。戸籍には「厄介」とだけ記され、他家嫁ぐ婿養子に出ない限り、結婚も禁じられた。村祭りにも参加出来ず、他の村人と交際する事も無かった為、其の殆どが一生童貞処女だった推測される。将来の夢どころか趣味すらも持たず、唯々家の仕事をして一生を終えるので在る。

 

そんな奴隷的な状況が、或る種の精神障害齎すのだろう。おじろく・おばさは無感動のロボットの様な人格となり、言い付けられた事以外の行動は出来なくなってしまう。何時も無表情で、他人が話し掛けても挨拶すら出来ない。

 

1617世紀頃から始まったとされる「おじろく・おばさ」制度だが、勿論、現在の神原では、此の様な制度は存在しない。明治5年でも190人、昭和40年代に入っても3人のおじろく・おばさが生きていたというから驚きだ。

 

此の辺りの状況を報告しているのが、「精神医学」1964年6月号に掲載された近藤廉治レポートで在る。近藤は現存していた男2人、女1人のおじろく・おばさを取材し、彼等の精神状態を診断している。普段の彼等に幾ら話し掛けても無視される為、催眠鎮静剤で在るアミタール投与して、面接を行ったそうだ。すると、固く無表情だった顔が徐々に柔らかくなり、ぽつりぽつりと質問に答える様になったと言う。以下、其の答えを抜粋してみよう。

 

「他家へ行くのは嫌いで在った。親しくもならなかった。話も別にしなかった。面白い事、楽しい思い出も無かった。」、「人に会うのはだ、話し掛けられるのも嫌だ、私は馬鹿だから。」、「自分の家が一番良い、余所へ行っても何も出来ない、働いて許りいて馬鹿らしいとは思わないし、不平も無い。」。(「精神医学」1964年6月号・近藤廉治「未分化社会のアウトサイダー」)

 

何事にも無関心で感情が鈍く自発性が無くなった様子が窺える。

 

此の「おじろく・おばさ」の取材に先立ち、近藤は2つの推論を持っていた様だ。1つは、元々遺伝による精神障害が多い集落で在り、其の様な人々がおじろく・おばさになるのではという説。もう1つは、気概の在る若者は村の外に出てしまい、結果、無気力な者だけが残ったという説。しかし、此の2つ共が間違いで在り、長年の慣習に縛られた環境要因によって、人格が変化してしまったのではというのが近藤の結論だ。彼等の多くが子供時代には普通で、20代に入ってから性格が変わってしまうというのも、其の裏付けとなるだろう。

 

今の我々からすれば非人間的にも思える「おじろく・おばさ」だが、1つの村社会を継続する為に、止むを得ない部分も在ったのだろう。現在の地点から善悪断罪する事は、此処では差し控えよう。

 

唯もう1つ、此の因習から読み取れるのは、疎外された環境が人格に影響を与えてしまうという点だ。此れに付いては、劣悪な労働状況によって精神を病んだり、引き籠もりによるコミュニケーション障害等、現在の日本社会に繋がる部分も在るのではないだろうか。

 

疎外された状況に置かれれば、其れに止む無く適応する為に、人格も変化する。例えばブラック企業の言う様な「本人が納得して働いているのだから、問題は無い。」というのは、視点がずれた言い訳に過ぎない。

 

今は廃絶された「おじろく・おばさ」制度だが、社会が個人に影響を与える1つの例として着目してみれば、様々な示唆を与えてくれるだろう。

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時代や状況によって、「善悪の判断」が変わる事は珍しく無い。判り易い例で言えば、「平時ならば人を殺める事は絶対の『悪』だけれど、戦時に在っては(敵国の)人間を多く殺める事が『善』。」だったりする訳だから。故に、元記事に記されている様に、「現在の観点から『おじろく・おばさ制度』の善悪を問うのは無意味。」と自分も思ってはいるけれど、もし此の制度が事実ならば、人権を一切無視した酷い話なのは確かだ。*1

 

5年前の記事「人柱」で記したけれど、我が国では100年程前迄「人柱風習」が残っていたと言う。祖母や母から聞いた話だけれど、彼女達が暮らしていた某地方では、昭和30年代でも「家に災いを齎す。」として、双子が産まれた際には、密か葬り去る(殺害する)事が結構在ったとも。非人道的としか思えない「ロボトミー手術」だって、日本で廃止が宣言されたのは、僅か40年程の前の話だし。

 

*1 「集落に於ける、人権を一切無視した酷い話。」と言えば、手塚治虫氏の作品「奇子」を思い出してしまう。


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6 コメント

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今のほうがいいかも (雫石鉄也)
2013-10-24 09:01:58
「三丁目の夕日」という漫画、映画が当たったり、クレヨンしんちゃんのこんなアニメがあったり、
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/bc0568479e357c1098d8bac527dd9f28
20世紀や昭和時代を懐かしむブームが昨今ありますね。
過去はそんなにいい時代だったでしょうか。確かに失ったものもあるでしょう。でも、人権ということに関しては、はるかに現代21世紀の方がいいですね。ノスタルジーにかられて過去を美化するのもいいかも知れませんが、過去の暗黒の部分にも目を向けるべきではないでしょうか。
特に女性。子供を生まない女性は「うまずめ」とよばれて100パーセント女性が悪くいわれました。なんら医学的な根拠はないんですね。男性の問題があるかもしれません。
精神の病で、満足に家事のできない女性は「ウチのヨメは怠け者じゃ」と無条件に叱るばかり。病気だから叱っても治りません。叱責するより治療が必要だったのですね。
現代はそっちの研究もすすんで適切な治療がうけられるようになったのではないですか。
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>雫石鉄也様 (giants-55)
2013-10-24 22:45:12
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

「思い出は美化される。」なんて言いますよね。以前にも書いたのですが、下町で育ったビートたけし氏が、「『下町は人情深いし、凄く良い。』なんて言うけれど、実際に住んでた人間からすると、『そんな良いもんじゃないぜ。』って感じだよ。『如何にして子供から、金銭を巻き上げるか。』許りを考えているオヤジがウヨウヨ居たり、自転車を停めてたらかっぱらわれたりと、悪い奴も多かったし。」なんて話をしていました。確かに、そういった面は在るんでしょうね。

人権意識やら環境意識等は、昔に比べたら遥かに良くなっていると自分も思います。勿論、其の一方で昔より悪化している面も在るのでしょうが。
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Unknown (透明人間)
2013-10-24 22:53:24
よく田舎に住んでのんびり暮らしたいと言う人が居ますが田舎は付き合いが大変らしいですね
ちょっとした事でいわゆる村八分にされてのけ者扱い(村八分と言えば「あっ!」は名曲です」
無関心な都会と必要以上に干渉(監視?)される田舎
どちらも嫌ですね

実の子供を長男以外は奴隷の様に扱う事に何の疑問も持たない親と産まれた時から下男下女として扱われる実子・・・安部ちゃんは学校の道徳の授業に力を入れたい様ですが礼儀やボランティアや敬老も大事ですが是非ともこの様な日本で起こった色んな因習も日本人として自戒の意味で取り上げて欲しいですね
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>透明人間様 (giants-55)
2013-10-25 00:38:03
書き込み有難う御座いました。

何事もそうですが、「濃密さ」というのは良くも悪くも在る。田舎は概して人が少なく、地域に於ける人付き合いは濃密になり勝ち。良い関係が築ければ良いのでしょうが、関係が拗れたり、溶け込めなかったりしたら、仰る様に“村八分”という事態が“反動”として待っている。

父方の親族は所謂「家長制度」が厳然と成り立っていて、長男の嫁という事で母は、親族からの過干渉に悩まされて来た。子供だった時分は、大勢の従兄弟と接する機会が多く、楽しかったし、社会勉強が出来たという良い面も在ったのだけれど、一定年齢になると過干渉にウンザリさせられた自分。「親族がそんなにも集まるって、楽しそうだよね。」なんぞと“未経験者”からは言われたりするけれど、「知らぬが仏」と心の中で思ったりします。
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程度の差こそあれ (青空百景)
2013-10-25 11:49:15
同様の発想は日本中にあったものと思われます。
武家社会の言葉で、婿に行かずに実家に残っている男子を指す「厄介叔父」というのがありますし。
また、私の母(昭和10年生まれ)が言っていたことなのですが、親戚の中に「次郎おじさん」と呼ばれている人がいたそうです。次郎という名前ではないのに何故かとずっと思っていたが、「次男」という意味なんだね、と。
「本家の跡取りから見て父の弟である」という以外のことは全く頓着されていない呼称なんだなあとしみじみ感じ入りました。
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>青空百景様 (giants-55)
2013-10-25 14:44:13
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

確かに、長子相続が原則だった武士社会では、次男坊以下は「部屋住み」として飼い殺し状態にされていた・・・なんて話を見聞しますね。「長男以外は存在価値が全く無い。」と言われたも同然な此の扱い、時代が違うとはいえ、全く以て酷い話です。

「次郎おじさん」の話、此れも時代を感じさせる話。今じゃあ当人から「差別だ!」と訴えられてもおかしくない事でしょうね。
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