「徒然なるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」吉田兼好が記した随筆「徒然草」の余りにも有名な序文。今日の記事は兼好法師に倣い、取り留めの無い話をつらつらと記してみたい。
毛色の異なる本を同時に複数冊読む事が多々在り、現在は2冊の本を代わる代わる読んでいる。1冊は「たった3行でわかる現代史」(著者:祝田秀全氏)で、「第二次世界大戦前夜の世界恐慌からイラク戦争迄」の重要な歴史事項が判り易く説明されている。歴史、中でも近・現代史が好きな自分だが、特定の歴史事項を他者に対して簡潔に説明するとなると、これがなかなか難しいもの。この本の著者は代々木ゼミナールの世界史講師として評判が高い様だが、それが頷ける”読む側(学ぶ側)の立場に立った”判り易い本。一つ一つの歴史事項を見開き1頁で説明しているのだが、「先ず右側の頁に”3行”で事項の概要を、そして左側の頁では事項の説明や関連事項が質問形式で紹介されている。」というスタイル。例えば「スターリン批判」を例に挙げると右側の頁には、「1953年3月、ソ連の独裁者スターリンが死亡した。 → 1956年2月に開かれた『ソ連共産党第20回大会』で、党第一書記フルシチョフが大量虐殺等を暴露する『スターリン批判』の秘密報告を行った。 → 秘密報告の衝撃的な内容は、外部に漏れ伝わって衝撃を与え、ポーランドやハンガリーでは民主化運動が起こった。」といった按配で概要が記され、それに基づいて左側で突っ込んだ説明がされている。「現代史が良く判らない。」という方は勿論、「現代史はそれなりに知っているつもりだが、他者に簡潔に説明するのが苦手。」という自分の様な人間迄、興味を持って読み通せる本だと思う。
そしてもう1冊は「ビジネスマンが泣いた『唐詩』一○○選」(著者:佐久協氏)。100の唐詩を、堅苦しさの無い”今風の訳”にて紹介している。今はどうなっているか知らないが、一頃は学校で漢文の授業を行わない所が増えて来たという話を耳にした。学生時代、「眠くなる授業。」と一般的に言われていた科目の一つが漢文。理数系を目指すクラスメートの中には、露骨に”内職”に励む者も居た程。でも自分の場合は文系に進むという事も在ったが、「韻を踏むリズム感の心地良さ」と「中国大陸の雄大さを感じさせる内容」に魅せられ、漢文は結構好きな授業だった。返り点等、漢文特有の”仕来りに煩わしさを感じて漢文から離れてしまった人も少なくないと思うが、この本では時に”若者言葉”を用いる等、判り易さ&詩の持つ雰囲気を大事にして訳されており、気楽に読める内容。千年以上前に生きていた人々と現代人の我々が共有する思いの多さに苦笑しつつ、読み進めている。
話はがらっと変わるが、先日TVで作詞家・阿久悠氏を追悼する番組が放送されていた。殆ど全てと言って良い程に番組内で流された曲&詩を空で覚えており、改めて彼の天才性を感じたのだが、「手塚治虫氏や彼が候補にも為り得ない国民栄誉賞って一体何なんだろう?」という思いも。そして「雨の慕情」(動画)や「舟歌」等の作品を提供して貰った八代亜紀さんが阿久氏との思い出を語っていたのだが、この話が又良かった。彼女のデビュー30周年記念コンサートにゲストとして登場した彼が「八代君、今、大人の歌が迷子になってしまっている。是非、王道に戻して下さい。」と言ったというのだ。何時の頃から「意味を成さない英単語が羅列された詩」、「表面的な事柄を描いただけの詩」を持つ歌がヒット・チャートの上位に名を連ねる様になった。後から振り返って「嗚呼、この詩にはこういった意味合い”も”含まれていたのか。」と感じさせる様な阿久氏の紡ぎ出す詩の世界は、今捜し出すのは非常に難しいだろう。「大人の歌が迷子になっている。」この言葉が普通に出る感性、やはり彼は天才だった。
迷子と言えば、自民党も迷子状態に陥っている。「ボクちゃん、もう嫌だ!」とばかりに政権を放り出した安倍首相。その後釜を決めるべく自民党総裁選が行われるが、その候補者を巡ってバタバタしているのは皆さん御承知の通り。最も醜悪だったのは所謂小泉チルドレンによる小泉前首相の担ぎ出し工作。その理由を色々述べている様だが、「国が危機的な状況に在り、それを立て直せるのは小泉前首相しか居ない。」というのの本音は「我々小泉チルドレンが次の選挙で殆どが落選するで在ろう危機的な状況に在り、その存在感で我々を再び表舞台に引っ張り出し、選挙で勝てる様にしてくれるのは小泉前首相しか居ない。」、「全ての柵を断ち切る必要が在り、その為には小泉前首相に出て貰わないと。」というのも「我々が柵を持ち得るのは小泉前首相しか居ない。選挙に勝つ為に何とか出て下さい。」で在るとしか思えず、結局「公」より「私」ばかりを優先させて来た安倍首相のスタイルと何等変わる物では無い。
大体、小泉手法が今の日本の混迷を深めた要素とも言えるのに、その事に目を瞑って私事ばかりを主張している情けなさ。挙句に小泉前首相が「不出馬&総裁選では福田康夫氏を推す。」意向を明らかにすれば「では、我々も福田氏を推します。」というのでは、「あんた達は自分の意思って物が無いの?」と言いたくなる。良い年をした大人というだけでは無く、これが国民を代表する政治家達というのだから、この国がこれからも傾き続けて行く予感すら覚えてしまう。
最後に昨日のジャイアンツ戦に付いて述べたい。9回表を終えて「3対8」とカープに5点差を付けられていた為、「これで又負けか・・・。」と覚悟した。それだからこそ阿部慎之助選手の”控え”で在る加藤健選手が2死満塁から同点ヒットを放った事、そして12回裏に清水隆行選手がサヨナラヒットを放った事には思わず胸がジーンとしてしまった。そして苦労人・清水選手がヒーロー・インタビューで、ヒーローとしてやはり苦労人の加藤選手の名前を挙げていた事に涙腺が緩んだ。相変わらず疑問だらけの原采配*1だが、昨日の勝利は優勝云々を別にして堪能させて貰った。
*1 大仕事をやってのけた坂本勇人選手を何故、その後は全く起用せずに二軍に落としたのか?「一軍だとなかなか試合に出る機会が無いので、それならば二軍の方が良い。」という事なのかもしれないが、折角結果を残したのに使わないままに二軍では選手もやる気を無くすだろう。”大化け”するのを期待して彼の代わりにルイス・ゴンザレス選手を一軍に上げたのかもしれないが、残念乍ら打撃面で彼に大きな期待を寄せる事は難しいと思う。公式戦中盤辺り迄なら未だしも残り試合が10数試合、且つ3チームで優勝を争っている状況で”大博打”を打つ余裕が在るのだろうか?それならばもっと実績を残している選手を起用す可きだと思うが。
毛色の異なる本を同時に複数冊読む事が多々在り、現在は2冊の本を代わる代わる読んでいる。1冊は「たった3行でわかる現代史」(著者:祝田秀全氏)で、「第二次世界大戦前夜の世界恐慌からイラク戦争迄」の重要な歴史事項が判り易く説明されている。歴史、中でも近・現代史が好きな自分だが、特定の歴史事項を他者に対して簡潔に説明するとなると、これがなかなか難しいもの。この本の著者は代々木ゼミナールの世界史講師として評判が高い様だが、それが頷ける”読む側(学ぶ側)の立場に立った”判り易い本。一つ一つの歴史事項を見開き1頁で説明しているのだが、「先ず右側の頁に”3行”で事項の概要を、そして左側の頁では事項の説明や関連事項が質問形式で紹介されている。」というスタイル。例えば「スターリン批判」を例に挙げると右側の頁には、「1953年3月、ソ連の独裁者スターリンが死亡した。 → 1956年2月に開かれた『ソ連共産党第20回大会』で、党第一書記フルシチョフが大量虐殺等を暴露する『スターリン批判』の秘密報告を行った。 → 秘密報告の衝撃的な内容は、外部に漏れ伝わって衝撃を与え、ポーランドやハンガリーでは民主化運動が起こった。」といった按配で概要が記され、それに基づいて左側で突っ込んだ説明がされている。「現代史が良く判らない。」という方は勿論、「現代史はそれなりに知っているつもりだが、他者に簡潔に説明するのが苦手。」という自分の様な人間迄、興味を持って読み通せる本だと思う。
そしてもう1冊は「ビジネスマンが泣いた『唐詩』一○○選」(著者:佐久協氏)。100の唐詩を、堅苦しさの無い”今風の訳”にて紹介している。今はどうなっているか知らないが、一頃は学校で漢文の授業を行わない所が増えて来たという話を耳にした。学生時代、「眠くなる授業。」と一般的に言われていた科目の一つが漢文。理数系を目指すクラスメートの中には、露骨に”内職”に励む者も居た程。でも自分の場合は文系に進むという事も在ったが、「韻を踏むリズム感の心地良さ」と「中国大陸の雄大さを感じさせる内容」に魅せられ、漢文は結構好きな授業だった。返り点等、漢文特有の”仕来りに煩わしさを感じて漢文から離れてしまった人も少なくないと思うが、この本では時に”若者言葉”を用いる等、判り易さ&詩の持つ雰囲気を大事にして訳されており、気楽に読める内容。千年以上前に生きていた人々と現代人の我々が共有する思いの多さに苦笑しつつ、読み進めている。

話はがらっと変わるが、先日TVで作詞家・阿久悠氏を追悼する番組が放送されていた。殆ど全てと言って良い程に番組内で流された曲&詩を空で覚えており、改めて彼の天才性を感じたのだが、「手塚治虫氏や彼が候補にも為り得ない国民栄誉賞って一体何なんだろう?」という思いも。そして「雨の慕情」(動画)や「舟歌」等の作品を提供して貰った八代亜紀さんが阿久氏との思い出を語っていたのだが、この話が又良かった。彼女のデビュー30周年記念コンサートにゲストとして登場した彼が「八代君、今、大人の歌が迷子になってしまっている。是非、王道に戻して下さい。」と言ったというのだ。何時の頃から「意味を成さない英単語が羅列された詩」、「表面的な事柄を描いただけの詩」を持つ歌がヒット・チャートの上位に名を連ねる様になった。後から振り返って「嗚呼、この詩にはこういった意味合い”も”含まれていたのか。」と感じさせる様な阿久氏の紡ぎ出す詩の世界は、今捜し出すのは非常に難しいだろう。「大人の歌が迷子になっている。」この言葉が普通に出る感性、やはり彼は天才だった。

迷子と言えば、自民党も迷子状態に陥っている。「ボクちゃん、もう嫌だ!」とばかりに政権を放り出した安倍首相。その後釜を決めるべく自民党総裁選が行われるが、その候補者を巡ってバタバタしているのは皆さん御承知の通り。最も醜悪だったのは所謂小泉チルドレンによる小泉前首相の担ぎ出し工作。その理由を色々述べている様だが、「国が危機的な状況に在り、それを立て直せるのは小泉前首相しか居ない。」というのの本音は「我々小泉チルドレンが次の選挙で殆どが落選するで在ろう危機的な状況に在り、その存在感で我々を再び表舞台に引っ張り出し、選挙で勝てる様にしてくれるのは小泉前首相しか居ない。」、「全ての柵を断ち切る必要が在り、その為には小泉前首相に出て貰わないと。」というのも「我々が柵を持ち得るのは小泉前首相しか居ない。選挙に勝つ為に何とか出て下さい。」で在るとしか思えず、結局「公」より「私」ばかりを優先させて来た安倍首相のスタイルと何等変わる物では無い。
大体、小泉手法が今の日本の混迷を深めた要素とも言えるのに、その事に目を瞑って私事ばかりを主張している情けなさ。挙句に小泉前首相が「不出馬&総裁選では福田康夫氏を推す。」意向を明らかにすれば「では、我々も福田氏を推します。」というのでは、「あんた達は自分の意思って物が無いの?」と言いたくなる。良い年をした大人というだけでは無く、これが国民を代表する政治家達というのだから、この国がこれからも傾き続けて行く予感すら覚えてしまう。

最後に昨日のジャイアンツ戦に付いて述べたい。9回表を終えて「3対8」とカープに5点差を付けられていた為、「これで又負けか・・・。」と覚悟した。それだからこそ阿部慎之助選手の”控え”で在る加藤健選手が2死満塁から同点ヒットを放った事、そして12回裏に清水隆行選手がサヨナラヒットを放った事には思わず胸がジーンとしてしまった。そして苦労人・清水選手がヒーロー・インタビューで、ヒーローとしてやはり苦労人の加藤選手の名前を挙げていた事に涙腺が緩んだ。相変わらず疑問だらけの原采配*1だが、昨日の勝利は優勝云々を別にして堪能させて貰った。

*1 大仕事をやってのけた坂本勇人選手を何故、その後は全く起用せずに二軍に落としたのか?「一軍だとなかなか試合に出る機会が無いので、それならば二軍の方が良い。」という事なのかもしれないが、折角結果を残したのに使わないままに二軍では選手もやる気を無くすだろう。”大化け”するのを期待して彼の代わりにルイス・ゴンザレス選手を一軍に上げたのかもしれないが、残念乍ら打撃面で彼に大きな期待を寄せる事は難しいと思う。公式戦中盤辺り迄なら未だしも残り試合が10数試合、且つ3チームで優勝を争っている状況で”大博打”を打つ余裕が在るのだろうか?それならばもっと実績を残している選手を起用す可きだと思うが。

私も巨人広島戦、民放で見、9時前の打ち切り後には
ラジオで聞いていましたが、カープ投手陣の例年の「悪い癖」がでてしまったようです。とにかく「俺には守る自信がない、打たれる」という気持ちが見え見えの逃げのピッチングで墓穴を掘るパターンに改めて辟易しました。優勝が関わるかどうかの差もあったような気がしますが、こんな調子ではカープはもうあと10年は優勝と無縁なような気がします(苦笑)。
歌の世界であれ、政治の分野であれ、本当に形骸化が進み、人々が感動するということ自体減りつつありますね。このままでは本来とても豊かであった日本人の感性が駄目になってしまうのではないかと危惧しています。振り返ってみると70年代あたりが私にとって一番面白い時代だったのではないかと思ってます。
アニメにしろ、歌にしろ、何から何まで本当に充実していた。翻って現代を見るとどこか「不完全燃焼」な時代に思えてなりません。
中国の歴史に置き換えれば70年代以前は後漢末の「三国志」の英雄達が活躍していた時代で、現代は実際に三国時代に入り孔明なき後の英雄不在の、どこか爽快感のない時代と適合しているかのようにみえます。
両エース対決だった訳ですが、中1日というコンディション影響は在ったとはいえ若さが出てしまった内海投手と、状態は決して良くなかったとはいえ粘りの投球を見せ続けた黒田投手といった感じでした。3点は取られたものの7回を投げ切って3対8とカープが5点差で買っていましたので、”たられば”を言っても詮無い事ですが黒田投手を完投させるのがベターだった様に思いました。まさか勝てるとは思ってもいませんでしたが、黒田投手が降板してくれた事に「良かった。」と思うジャイアンツ・ファンは自分だけではなかったでしょう。
永川投手と加藤選手、実績で言えば永川投手の方が上だし、実際問題その前に李選手が呆気無く三振に倒れた姿を目にしていましたので「こりゃあ打てない。」と思いましたね。解説していた中畑氏も「打つのを期待しちゃ可哀想。どれだけ球に食らい付いて行くかを見て上げて欲しい。」といった悲観的とも思える意見を述べていましたし(笑)。逃げのピッチングというよりも、リードがやや単調だったかなという気がします。あれだけ球威と切れの在る球を永川投手は持っているのだから(李選手への攻め方は実に上手かったし。)、リードをもっと工夫したらカープは勝っていたと思うんです。あれだけ強いタイガースに対して強いというのは、決して偶然では無いと信じています。セ・リーグでジャイアンツ以外に優勝して欲しいと思っているカープですので、一層の奮起を”ジャイアンツ戦以外で”(笑)期待しています。
「昔は良かった。」という思いは、今の20代の子ですら持っているんだそうですね。自身が身を置いて来た時代を懐かしむというのは、昔から今に到る迄変わらないという事なのでしょう。それは判っていても、やはり1960年~70年代にかけては良い時代だったなあと思いますね。今よりも感性が豊か足り得た時代だったと自分も思いますし。物質面では当時よりも遥かに恵まれた現代ですが、子供達の感性は乾いてしまっている気がして気の毒。
本日は昨日に引き続き日テレ系で巨人VSカープ、そして福岡では北海道と共にテレ東系でファイターズVSホークスの試合の同時中継で、両方見ました。まあカープの場合は優勝戦線から完璧に離れ諦めもついていたのですが、巨人広島戦終了後、それまで1,2点差だった両チームの差が放映終了直前に6点差を引き離され、9時半に気づいてみたら7対1のホークスの大敗。まるで元所属していた小笠原道大選手の1500本安打に呼応しての鮮やかなファイターズの勝利の試合、悔しかったです。
今朝の話の続きですが、一体いつから面白くなくなり始めたのかというと、やはりG党にとっては今もって苦い思いであろう長嶋監督解任劇からだと思います。
永遠のスターで夢であった長嶋さんがあんな辞めさせられ方をしたころからおかしくなり始めた。長嶋関連本によるとこの時から長嶋さんは人を疑うことを知り始め以前のような天真爛漫さはなくなったという記事を目にしましたが、同時に大衆も現実のプロ野球界の厳しさを目にし、夢を見ることもしなくなったのではないかと思います。80年代も豊かさは順調に伸びていったものの、どこか二ヒルさがあって真剣に好きな人にのめりこむという事ができなくなってしまった。
80年代以降のスターも松田聖子を初めダークな部分がクローズアップされたりして、とても純粋にスターを愛し夢の世界に浸ることができなくなりましたね。
貴方も触れておりましたが、中畑氏の王氏に対しての「ワン公」発言にも幻滅し、中畑氏をとことん見損なったほどです。
広島も福岡も見事に東京と北海道のチームに負けましたね。文句のつけようのないほど。まあ東京生まれの札幌育ち、現在福岡在住の私としては痛し痒しでしたが。とにかく小笠原選手には1500本安打おめでとうといわせてもらいます。セパ共々東軍勝利でしたね。(パに関していえば東西というより南北で北軍勝利といった方がいいかもしれませんが。)
政治に関していえば、本当にどいつもこいつも「寄らば大樹の影」ですね。はっきりいって当選したらこっちのもの、後は周囲と上手く折り合いをつければいいって感じで何ら感動を与えない、腐った社会。
人間一人では生きていけないといいますが、こういう人たちを見ると逆に崩壊する時も皆一緒という感じで一気にこの経済大国は滅んでいきそうですね。
安倍さんがとうとう辞任してしまいましたが、参議院選の敗北後にあれだけ頑なに辞任しなかった方がなぜ国会途中、しかも所信演説だけして代表質問前に辞任してしまったのか、無責任と言われても仕方がないと思います。いろいろな憶測も流れておりますが、ご指摘のような安倍さんのもつ「幼児性」のなせる業かもしれませんね。
後任総裁を巡る動きも前回に続いて勝ち馬にのる動きがあからさまですね。小泉チルドレンは小泉さん再登板を望むのではなく(飯島元秘書官の差し金とも言われていますが)、自分のアイデンティティーを確立させることが先決だと思います。しかし小泉さん再登板の動きの中に「マダム・スシ」がいたのにはちょっと笑ってしまいました。
ただ派閥の力が以前より落ちているので、マスコミの票読みが必ずしも当たらないかもしれません。決戦前の多数派工作というのは関が原の合戦でも行われていますので日本の伝統なのかもしれませんが。
ホークス、本当に苦戦していますね。投打共にここぞという所での勝負弱さを今季は感じてしまうのですが、兎に角プレーオフで3年連続涙を呑んでいる訳ですから、万が一公式戦での優勝を逸してもクライマックスシリーズで勝ちを収めて、日本シリーズに進んで欲しいです。(ジャイアンツの場合には公式戦で優勝出来なかったら、クライマックスシリーズでは勝って貰いたくない。何か結果オーライな感じになってしまい、このチームにとっては決して良くないと思うからです。)
それにしても面白いのは、「セ・パ共に上位3チームの中で、総得失点差が最も小さいチームが首位に立っている。」という事実。タイガースは「-6」、ファイターズは「+21」なんですよ。特にタイガースの数字はビックリさせられます。何でもこれ迄に総得失点差が最も低い状態で優勝したのは1999年のホークス(王監督)の「+10」。つまり「-」で優勝したチームは無く、今季のタイガースが初めてになる可能性が在る訳です。
長嶋監督(第一次政権)の解任自体はあの成績を考えると致し方無い部分は在ったと思うのですが、問題はフロントが「今季Aクラス入りを果たしたら、来季も続投させる。」という約束をしていたという噂。もしこれが事実ならば、自らが手塩にかけて育てた選手達がやっと芽を出し始め、約束通りAクラスを果たして「来季は頑張るぞ!」と思っていた矢先の解任だった訳で、人間不信に陥ってしまうのも理解出来ます。読売グループは王さんにも同じ様な非礼を働いたとされていますし、勝負の世界なので結果が悪ければ解任は仕方ないとはいえ、遣り方が最悪です。こういった体質に辟易としてしまい、ジャイアンツ・ファンを辞めた人間は少なくないでしょうね。
選手としての中畑氏は決して嫌いなタイプでは無かったのですが、あの発言は絶対に許せないし、今でも人間的に彼に信を置けない所以です。
小笠原選手、本当におめでとう御座います!
「流れに逆らって泳ぐよりも、流れに従って泳ぐ方が楽。」という気持ちは少なからずの人間が持っている思いでしょうから、「勝ち馬に乗りたがる気持ち」というのも100%は否定しません。唯、政治家で在る以上はそれ”だけ”では困り物で、自らの政策や信念に従って動いて貰いたい。
代打ホームランというのを何度か目にしたことがありますが、カンペキな仕事ブリに「すごい」としか言いようがない状況で、応援するチームであれば大喜びで球場を後にしますが、敵のチームであっても、あれはあっぱれ、仕方ないと、むしろすがすがしい気持ちになることもあります。 代打として起用される場面で120%の仕事ができる選手が期待に応えてくれたときの喜びは大きいですよね。 麻生氏も福田氏も解散前のワンポイント起用でしょうからベンチもスタンドも期待はないでしょう。
スピッツの初期の頃の曲には、結構詩に味わいを感じる物が在りました。レミオロメンだと「粉雪」(この曲、恥ずかし乍ら割合最近知りました(苦笑)。)が好きです。最近の曲でも我々おっさん達の琴線に触れる物が無い訳では無いのですが、概して「改めてその曲を聞き返した時、詩の中に”別の世界”を感じる。」という事は少ない気がしています。
レギュラー選手(打者)ならば3回に1回しかヒットを打てなくても、打率は3割3分3厘と充分合格点を貰えますが、代打稼業は一打席の重さがレギュラー選手のそれとは比較にならない位重いですよね。”代打の切り札”と呼ばれる様な選手には打席から放たれる独特の”殺気”を感じますが、ジャイアンツの若手&中堅選手で代打に起用されてそういった雰囲気を放っている人物は清水選手位なのが残念な所。(大道選手はベテランの範疇ですので。)