しかし「酒井七馬」という人物に付いては、御存知無い方が殆どではなかろうか。「新宝島」では彼が原作&構成を担当し、それに基づいて手塚氏が漫画を描いた事になっているが、「酒井氏が無断で台詞や絵を変えてしまったり、初版の奥付で著者名が酒井氏だけになっていた。」事に手塚氏が憤慨し、以降は絶縁状態となったというのが手塚ファンの間では定説と言っても良かった。又、冒頭に紹介した記述の様に、その後の酒井氏は恵まれない生活を送った挙句、悲惨な最期を遂げというのも定説だったのだ。漫画文化に於いてエポックメーキングな役割を果たした割には、謎の多い人物・酒井七馬氏。彼を知る人物達の証言を元に、真実の姿を炙り出したのが「謎のマンガ家・酒井七馬伝」。
結論から言ってしまうと、「決して恵まれた生活では無かったものの別にコーラで命を繋いでいた訳では無く(コーラは酒井氏の好物だった。)、又、姪や関西の漫画家達に看取られて亡くなる等、巷間伝わっている程悲惨な状況では無かった。」というのが本当の所らしい。唯、風刺漫画家兼編集者としてスタートし、その後は揺籃期のアニメ映画界、赤本の子供漫画、風刺雑誌の編集長、絵物語作家、街頭紙芝居作家、そしてTVアニメで絵コンテを担当する等、自身の”居場所”が流動的な人生だったと言え、それも次から次へと自らを見舞う運命に抗う事も無く、諦観したかの様に淡々と受け容れる人生だった様に感じた。(彼の戒名は「慈照院諦観信士」という事で、奇しくも「諦観」という文字が用いられている。)
この本の中で一番印象に残ったのは、酒井氏が晩年に若手の漫画家達と行った漫画ショーの逸話。若手漫画家として参加した一人・みなもと太郎氏はその時の模様に付いて、「漫画ショーと言っても、曲芸や手品に挟まれた短いコーナーなんです。そんな大袈裟な物では無い。舞台の真ん中に全紙大の模造紙の捲りが在って、我々は酒井さんと一緒に舞台に並びました。司会進行役が先ず捲りに古臭い漫画を描くんです。せめてアトムなり鉄人を描けば子供達も喜ぶんやろうけど、そうじゃないからシラ~としている。僕等にとっては当時は手塚さんの絵も最早古かったんですけどね。すると今度は酒井さんが『続いて若い漫画家の皆さんに絵を描いて貰いましょう。』と言って、僕等を一人ずつ呼んで筆を渡して描かせる訳。ところが、皆人前で模造紙に描くという事が理解出来ない。そらそうでしょ、普段は5cmx5cmのコマに好きな劇画や少女漫画を描いている訳やから。それが僕等にとっての〈漫画〉なんですからね。で、訳も判らないままに、皆大きな紙に向かって何時もの様に5cmx5cmの絵をチマチマ描いている。女の子なんかは『筆では描けない。』と言って鉛筆で描き出す始末。酒井さんはおたおたし乍ら一所懸命にマイク・パフォーマンスをするんやけど、まさかこうなるとは思ってもみなかったんやろうねぇ。(舞台に立つ迄)説明も打ち合わせも無しです。酒井さんは、僕等が客席から御題を戴いてそれをさらさらと大きな一コマ漫画に出来る、と思い込んでいたみたいやね。昔の漫画家ならそれ位出来て当たり前やったんでしょう。」と語っている。又、「若い人達と酒井さんの考えは初めから擦れ違いでね。随分がっくりしていたみたいだね。」という別の人間の証言も載っていた。「それ迄は若手の世話を良く見ていたという酒井氏が、この頃辺りから他者と距離を置く様になり、そして半年も経たない内に肺結核の為病院で亡くなった。」事を著者が「自分が漫画に於いても、アニメに於いても、最早過去の人で在る事に気付いてしまった為ではないか。」としたのは頷けるし、又、「入院するだけの貯えは在ったのにも拘わらず、手遅れになる迄病院に行かなかった事。」や「病院に担ぎ込まれる前の酒井氏が、自宅に置かれていた食べ物に手を全く付けていなかった事。」を「緩やかな自殺で在った様に思われてならない。」と記しているのが、ポール牧氏の最期とオーバーラップする感じが在り何とも切なかった。
結論から言ってしまうと、「決して恵まれた生活では無かったものの別にコーラで命を繋いでいた訳では無く(コーラは酒井氏の好物だった。)、又、姪や関西の漫画家達に看取られて亡くなる等、巷間伝わっている程悲惨な状況では無かった。」というのが本当の所らしい。唯、風刺漫画家兼編集者としてスタートし、その後は揺籃期のアニメ映画界、赤本の子供漫画、風刺雑誌の編集長、絵物語作家、街頭紙芝居作家、そしてTVアニメで絵コンテを担当する等、自身の”居場所”が流動的な人生だったと言え、それも次から次へと自らを見舞う運命に抗う事も無く、諦観したかの様に淡々と受け容れる人生だった様に感じた。(彼の戒名は「慈照院諦観信士」という事で、奇しくも「諦観」という文字が用いられている。)
この本の中で一番印象に残ったのは、酒井氏が晩年に若手の漫画家達と行った漫画ショーの逸話。若手漫画家として参加した一人・みなもと太郎氏はその時の模様に付いて、「漫画ショーと言っても、曲芸や手品に挟まれた短いコーナーなんです。そんな大袈裟な物では無い。舞台の真ん中に全紙大の模造紙の捲りが在って、我々は酒井さんと一緒に舞台に並びました。司会進行役が先ず捲りに古臭い漫画を描くんです。せめてアトムなり鉄人を描けば子供達も喜ぶんやろうけど、そうじゃないからシラ~としている。僕等にとっては当時は手塚さんの絵も最早古かったんですけどね。すると今度は酒井さんが『続いて若い漫画家の皆さんに絵を描いて貰いましょう。』と言って、僕等を一人ずつ呼んで筆を渡して描かせる訳。ところが、皆人前で模造紙に描くという事が理解出来ない。そらそうでしょ、普段は5cmx5cmのコマに好きな劇画や少女漫画を描いている訳やから。それが僕等にとっての〈漫画〉なんですからね。で、訳も判らないままに、皆大きな紙に向かって何時もの様に5cmx5cmの絵をチマチマ描いている。女の子なんかは『筆では描けない。』と言って鉛筆で描き出す始末。酒井さんはおたおたし乍ら一所懸命にマイク・パフォーマンスをするんやけど、まさかこうなるとは思ってもみなかったんやろうねぇ。(舞台に立つ迄)説明も打ち合わせも無しです。酒井さんは、僕等が客席から御題を戴いてそれをさらさらと大きな一コマ漫画に出来る、と思い込んでいたみたいやね。昔の漫画家ならそれ位出来て当たり前やったんでしょう。」と語っている。又、「若い人達と酒井さんの考えは初めから擦れ違いでね。随分がっくりしていたみたいだね。」という別の人間の証言も載っていた。「それ迄は若手の世話を良く見ていたという酒井氏が、この頃辺りから他者と距離を置く様になり、そして半年も経たない内に肺結核の為病院で亡くなった。」事を著者が「自分が漫画に於いても、アニメに於いても、最早過去の人で在る事に気付いてしまった為ではないか。」としたのは頷けるし、又、「入院するだけの貯えは在ったのにも拘わらず、手遅れになる迄病院に行かなかった事。」や「病院に担ぎ込まれる前の酒井氏が、自宅に置かれていた食べ物に手を全く付けていなかった事。」を「緩やかな自殺で在った様に思われてならない。」と記しているのが、ポール牧氏の最期とオーバーラップする感じが在り何とも切なかった。

今なら
スケッチブック持って「悲しいときー」とか「がっかりだよ」と言って拍手喝采・・?
うーん・・。
その時に「ジャズ漫画」と名付けた芸を披露する木川かえるという芸人さんが出演していました。僕も関西ローカルの演芸番組で見たことがありましたが、酒井氏が目指した「漫画ショー」とはこういうものだったのかもと思いました。
マジシャンのように、BGMを流しながら、とりのこ用紙に毛筆で絵を書いていくのですが、最後の線1本や丸を1つ書き加えるまで、何の絵を書いているのかが判らないような書き方をしていて、書き終えると拍手を浴びていました。他の寄席での色物芸で言えば、「紙切り」に近いかもしれません。
ベレー帽に黒ぶち眼鏡におかっぱ頭の木川師匠は、当時からこの「ジャズ漫画」のできる唯一の芸人だったと記憶しています。既に亡くなられて後継者もいないのではないかと思います。
僕が子供の頃、様々な「絵かき歌」を作っていたマンガ太郎という人がいましたが、今、こういう、舞台で絵を書きながら笑いを取る芸人なんて、出て来ないかなと思います。美術大学や専門学校出身でお笑い芸人を目指している、という方、どうですか?
マンガ太郎氏(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DE%A5%F3%A5%AC%C2%C0%CF%BA)、懐かしい御名前ですねえ。昔、「大正テレビ寄席」等で歌い乍ら、墨汁でサラサラっと絵を描いていましたね。逆さ絵(書き上げた状態では何だか判らない絵だけれども、180度クルリと絵を回転させると、「ああ、こういう絵だったのか。」と判る絵。)を得意にしていましたっけ。
木川かえる氏も存じ上げています。やはり「大正テレビ寄席」で拝見した様な。(この番組が大好きだったものですから(笑)。)彼は酒井七馬氏の弟子と”誤解”されている程、その芸風は近いものが在ったのかもしれませんね。
そう言われてみると、ステージの上でサラサラっと絵を描くという芸人をTVで見掛けなくなりました。鉄拳氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E6%8B%B3_(%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84))やいつもここから(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%A4%E3%82%82%E3%81%93%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89)の様に、事前に描いた絵を元にネタをやる芸人は居ますが。
腹話術という昔ながらの芸をよみがえらせた、いっこく堂氏のような若手が、この「漫画芸」を復活させないものかと思います。絵を描く仕草というか、動きが格好良くないといけませんね。
イラストレーターが、音楽の生演奏に合わせてステージで絵を描く、という「ライブ・ペインティング」というパフォーマンスは何度か生で見たことがあります。江口寿史さんの漫画で、マンガ家がステージで漫画を描き、スタジアム一杯の観衆がロック・コンサートのごとく熱狂する、というのがありました。
鉄拳氏のネタで思わず笑ってしまったのが、
「こんな都知事は、支持を失う。」
というものでした。都知事が鉢巻にはっぴ姿で旗を振り回し、暴走族のリーダーを務める「サラリーマン慎太郎」!
(言葉で説明したら、あまり面白くないか。)