人気のTVドラマが終了したり、人気のTVドラマの出演者が役の上で(死亡等の形で)退場すると、馬鹿の一つ覚えの様に「〇〇ロス」という言葉がメディアを賑わす。「TVドラマのタイトル+ロス」とか「登場人物名+ロス」といった感じで、街の声と称して「〇〇の事は一生忘れない。〇〇ロスになってしまった。」なんていうのが取り上げられた事も在った。人其れ其れだから「御勝手に。」という感じでは在るけれど、「そんな程度の事で一々ロスになっていたら、此の世の中生きて行けないだろ。どうせ、数日もしたら、〇〇の事なんかスッカリ忘れてしまうだろうに。」という“意地悪な思い”が湧いてしまう。
まあ、「〇〇ロス」なんて“言葉の綾”だろうし、そう目くじら立てる事でも無いのだが、事は「XXハラスメント」となると話は別。「他者が嫌がる事をする。」というのは止めるべきだが、近年の様に「無闇矢鱈に『XXハラスメント』と呼ぶ風潮。」には、個人的に辟易としている。余りにも極端に「XXハラスメント」と断じ、責め立てるというのは、必要不可欠なコミュニケーションすらも失わせ、延いては世の中から“潤い”を無くすだけだと思う。「ヌードル・ハラスメント」や「スメル・ハラスメント」なんていうのは、最早“言葉遊び”みたいな感じがしてしまうし。
こういう“ハラスメント地獄”に付いて、物真似タレントのコロッケ氏が、4月3日付けの日刊ゲンダイの「生きるクスリ」というコーナーで語っている。「そうだよなあ。」と頷ける内容だったので、其の部分を抜粋する。
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最近、今という時代の難しさをひしひしと感じます。とくに年下世代との付き合い方です。
例えば「おいしいから食べろよ。」と言ったらパワハラです。飲みに誘って無理についてきたらパワハラです。だから「〇〇にいくけど。」とは誘わないですよ。「どこにいくんですか?」と聞いてきたら、「〇〇に行ってるよ。」としか言わないようにしています。「おいで。」と言ったら、「コロッケさんに誘われたから、行かなきゃいけない。」となって、パワハラになる。
「髪を切ったね。」と言ったらセクハラ。「いつから、そう見てたんですか?」なんて言われて。だから、僕はイヴェントなんかでも、女性とはあまり話をしないようにしています。「狙ってんの?」なんて言われるのも嫌だし。そういう悪知恵みたいな空気になることが、とにかく多いんです。
でも、そんな、ある意味ぬるま湯のような雰囲気の時代は、4、5年もすると、グチャグチャになっていくと思います。人を叱らない、叱ったら文句を言う。それでは社会が成り立たないことを、若い世代も気がつく。後輩に「そんな言い方をされる覚えはありません。」なんて言われた瞬間に、「アッ。」となると思う。ドラマの「不適切にもほどがある!」【動画】が受けているのは、そういうことだと思います。
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「〇〇ロス」と言っておきながらしばらく過ぎるとケロッとしているというのは「ロス疑惑」ですね(笑)。
ハラスメントに関しては、窮屈な時代になったと私も感じています。
幸い周囲で騒ぎ立てる人たちに遭遇したことはありませんが。
若いころの話ですが、年下の後輩同僚からため口をされて「えっ?」と思ったものの、注意して揉めるのも面倒なのでスルーしていました。
ところがその後その彼が年下の子にため口されて「最近の若い奴は口の利き方を知らない」と愚痴ったのを聞いて、またもや「えっ?」。
笑い話のような本当の体験談です(苦笑)。
コロッケ氏が語ったという話の最後のところを読んで思い出しました。
「ロス疑惑」、在りましたねえ。劇場型犯罪と言うか、劇場型報道の走りといった感じ。関係者の多くが物故者となり、時の流れの速さを感じます。
「今どきの若い者は・・・。」というのは、昔から“大人の典型的な不平”といっても良いでしょうね。嘗てはそういう“一括りの批判”に不満を感じる若者の1人でしたが、今となってはそういう事を言う大人の気持ち“も”判らないでは無いです。