2011.01.25(火)
1/24(月) ブログ友takekazu’さんに別れを告げて
垂水港から鴨池港に降り立った
桜島フェリーも行き交うこの海はひときわ想い出が蘇る
幼かった日の遠足、高校時代の友人とのプチ旅、モノクロエレジー
すっかり暗くなったフェリーターミナルに着いて
JR鹿児島駅までバスに乗ってこれまた懐かしの路面電車通りを行く
山形屋~、天文館~、いづろ通り~
市電(路面電車)も今風
ここで感傷に浸っていてハッと気が付くが遅かりし~~
従弟が鹿児島市内に勤務しており、そろそろ帰宅時間のはず~
早速メールするがちょっとのタイム差で電車の方が早かった、、残念。。。
でも昔は汽車に乗ってこの市内まで遊びに来てたんだもの久しぶりに乗って行きましょ
今は電車で2両編成のワンマンカー 車にお株を奪われましたね~何処も同じ、、、、
電車の中から錦江駅に迎えに出てくれる姪(空港に迎えに来たのは次女、今回は長女)に
メールする、今、帖佐駅で登り電車7分待ち、、単線ですので駅でしか行き逢えません、
暫くして、動き出し目的地の駅で久しぶりに会う姪に拾ってもらう
今日の泊まりの温泉ホテルに遅いチェックインをして直ぐに姪たちファミリーの待つ
食事の場へと移動
姪の旦那様にも初対面、姪の子供たちもお腹を空かせて待ってくれていました
もうこの世におさらばして30数年経つ妹の面影そのままに成人した姪にしばし妹との再会と錯覚する
この子達は妹の孫ちゃんなのだが自分の孫とダブル
旦那様は大阪人、すっかり大阪のオカンになったワタシとは話も合うようだ
大人のお話は止め処もないです、孫ちゃんたちはお眠になったので、お開きに、、、
なんと~~若い人たちにご馳走になってしまいました~~ラッキー!!
一人、温泉ホテルに戻りとってもいい気分でこのホテルの自慢のラドン温泉に浸かり
オヤスミです
1/25(火)
朝風呂にゆっくり入って10時ギリギリのチェックアウト
弟の嫁ちゃんが母の病院まで送ってくれます
皆お仕事で忙しいのです、嫁ちゃんも今夜は介護職の夜勤です
車に乗れないワタシは皆にお世話になりっ放し~~みんな~ありがとう~~~
それなのにまだ無理お願いして
龍門の滝見物に連れて行ってもらいます
高校生の時の思い出はもっと迫力あったけどな~
でも時の経ったのを実感して
母の病院で帰りの飛行機の時間までユックリ過ごすことにしました
母さん何故かその帽子良く似合うね
名前書いて置いて帰るね~~
お昼も糖尿病食でちょびっとだけしか食べられないのね
左手は麻痺して使えないから右手の5本箸で食べれるように自分で頼んでおにぎりにしてもらってるなんて
聞くと、我が母、さもありなんと妙に納得する
肺炎も落ち着いて元気になってきたようです
1/21(金)に会った時は、弱々しく言葉もあまり発せずやせ衰えて涙しか出なかったけど
うん、大丈夫!! もうちょっとここで養生して元気になろうね、、、
ワタシはお昼無しでいいよ~~とヨーグルト1本飲んで
リハビリに行った母のベッドで暫し待つことにした
その間に病院の屋上から我が町を眺めてみた
ちっぽけな田舎町、ワタシの里はこの町から更に山奥の山村だ、櫻島も海も見えない地で18年間
育ててくれた母、ちっとも素直じゃない娘になって大阪へ飛び出て・・・・苦労ばかり自ら背負い込むワタシに
何を云うでもなく泣き言を言って帰っても黙って手を差し伸べるだけ
そして今、
人生為るようにしか為らない
と諭す言葉は重い
戦争を生き抜いてきた力を感じた
この町のこの村に育って良かったのだと人生60年を迎える今、ようやく感謝だ
時は残酷です
そろそろ空港へ行かねばなりません
タクシーでと思っていたら
昨夜の姪親子が仕事終わったから送って行くよ~~とメールくれて
病院に来てくれました
母も曾孫に会えて感激の涙ひとすじ・・・・・・・・
「わいもきばえよ(あなたもがんばれよ)」と
励まされて病院を後にして
娘ならぬ姪親子に見送られて
鹿児島にサヨナラです
この屈託のない笑顔にいつまでも平和で人の心が温かい国でありますように
と願いつつ機中のヒトとなって大阪に帰りました
感謝と感動の5日間
我が故郷、鹿児島よ
ありがとう
1/24(月) ブログ友takekazu’さんに別れを告げて
垂水港から鴨池港に降り立った
桜島フェリーも行き交うこの海はひときわ想い出が蘇る
幼かった日の遠足、高校時代の友人とのプチ旅、モノクロエレジー
すっかり暗くなったフェリーターミナルに着いて
JR鹿児島駅までバスに乗ってこれまた懐かしの路面電車通りを行く
山形屋~、天文館~、いづろ通り~
市電(路面電車)も今風
ここで感傷に浸っていてハッと気が付くが遅かりし~~
従弟が鹿児島市内に勤務しており、そろそろ帰宅時間のはず~
早速メールするがちょっとのタイム差で電車の方が早かった、、残念。。。
でも昔は汽車に乗ってこの市内まで遊びに来てたんだもの久しぶりに乗って行きましょ
今は電車で2両編成のワンマンカー 車にお株を奪われましたね~何処も同じ、、、、
電車の中から錦江駅に迎えに出てくれる姪(空港に迎えに来たのは次女、今回は長女)に
メールする、今、帖佐駅で登り電車7分待ち、、単線ですので駅でしか行き逢えません、
暫くして、動き出し目的地の駅で久しぶりに会う姪に拾ってもらう
今日の泊まりの温泉ホテルに遅いチェックインをして直ぐに姪たちファミリーの待つ
食事の場へと移動
姪の旦那様にも初対面、姪の子供たちもお腹を空かせて待ってくれていました
もうこの世におさらばして30数年経つ妹の面影そのままに成人した姪にしばし妹との再会と錯覚する
この子達は妹の孫ちゃんなのだが自分の孫とダブル
旦那様は大阪人、すっかり大阪のオカンになったワタシとは話も合うようだ
大人のお話は止め処もないです、孫ちゃんたちはお眠になったので、お開きに、、、
なんと~~若い人たちにご馳走になってしまいました~~ラッキー!!
一人、温泉ホテルに戻りとってもいい気分でこのホテルの自慢のラドン温泉に浸かり
オヤスミです
1/25(火)
朝風呂にゆっくり入って10時ギリギリのチェックアウト
弟の嫁ちゃんが母の病院まで送ってくれます
皆お仕事で忙しいのです、嫁ちゃんも今夜は介護職の夜勤です
車に乗れないワタシは皆にお世話になりっ放し~~みんな~ありがとう~~~
それなのにまだ無理お願いして
龍門の滝見物に連れて行ってもらいます
高校生の時の思い出はもっと迫力あったけどな~
でも時の経ったのを実感して
母の病院で帰りの飛行機の時間までユックリ過ごすことにしました
母さん何故かその帽子良く似合うね
名前書いて置いて帰るね~~
お昼も糖尿病食でちょびっとだけしか食べられないのね
左手は麻痺して使えないから右手の5本箸で食べれるように自分で頼んでおにぎりにしてもらってるなんて
聞くと、我が母、さもありなんと妙に納得する
肺炎も落ち着いて元気になってきたようです
1/21(金)に会った時は、弱々しく言葉もあまり発せずやせ衰えて涙しか出なかったけど
うん、大丈夫!! もうちょっとここで養生して元気になろうね、、、
ワタシはお昼無しでいいよ~~とヨーグルト1本飲んで
リハビリに行った母のベッドで暫し待つことにした
その間に病院の屋上から我が町を眺めてみた
ちっぽけな田舎町、ワタシの里はこの町から更に山奥の山村だ、櫻島も海も見えない地で18年間
育ててくれた母、ちっとも素直じゃない娘になって大阪へ飛び出て・・・・苦労ばかり自ら背負い込むワタシに
何を云うでもなく泣き言を言って帰っても黙って手を差し伸べるだけ
そして今、
人生為るようにしか為らない
と諭す言葉は重い
戦争を生き抜いてきた力を感じた
この町のこの村に育って良かったのだと人生60年を迎える今、ようやく感謝だ
時は残酷です
そろそろ空港へ行かねばなりません
タクシーでと思っていたら
昨夜の姪親子が仕事終わったから送って行くよ~~とメールくれて
病院に来てくれました
母も曾孫に会えて感激の涙ひとすじ・・・・・・・・
「わいもきばえよ(あなたもがんばれよ)」と
励まされて病院を後にして
娘ならぬ姪親子に見送られて
鹿児島にサヨナラです
この屈託のない笑顔にいつまでも平和で人の心が温かい国でありますように
と願いつつ機中のヒトとなって大阪に帰りました
感謝と感動の5日間
我が故郷、鹿児島よ
ありがとう