2011.02.10(木)
朝はホテルの朝食、またまたバイキング~~
お昼はお弁当ですから、しっかり夕食分まで食べておきますよ
ひょっとしたら昨夜の食事より豪華かも
欲張りおタケさん、元を取らないと歩けません、、、後悔しますよ、、、
朝からどんだけ食べるねん、、、、
でも、皆さん同じようにお変わりしてましたよ、普通にね~~
それでは昨日の秀田(しゅんで)地蔵様までバスで一足飛び~
昨日、話があった佐部の山城を後方に見て
今日の語り部さんにご挨拶してストレッチ
これから昼の下山までトイレがありませんので念の為に皆
施設にお借りしてスタートです 8:50
峠を大小四つ越えて那智の浜を目指します
先ずは今日の最大の難所、八郎峠に差し掛かります
峠の登り口の民家の横を山へと取り付きます
民家のおばさんが「昔は何度か歩いたんだけどね」と言って見送ってくださいました
立派な梅ノ木、南高梅より大きな実が成るそうです
ちょっと朝ごはん食べ過ぎましたよ~~
いきなり登りですからね、、、、
段築(版築)の道を抜け
標高は200mほどですが尾根に上がるあたりから急な岩場になってきました
風景を楽しむときは必ず立ち止まって安定した位置で、と、注意があります
ちょっとした馬の背のような尾根の眺めの良い場所で小休止 9:50
熊野灘がしっかりと見えていますがお天気が良すぎて霞んでしまいました
海と空が一体化しています
大きな船も行き交っています
真ん中あたりのとんがりが八郎山です
八郎山の山頂へは行かずに峠のお地蔵様を拝んで下ります
お地蔵様に悪いことををすると2日以内に必ず悪いことがおきますと書かれていました
なら、お賽銭あげたら2日以内に必ず良いことが起きるのだろうか、と誰かがつぶやいていました
「おふき地蔵」様、、藁草履を裏向きに伏せてお供えして祈ると腹痛にきくとか
少し休んで一気にくだります
暖かい自然林の中を下りながら赤い実の話でもちきりです
センリョウとマンリョウの違いは?
下を向いて下がってるのが重いからマンリョウ
ジュウリョウもヒャクリョウもあるんやで~~
そうこうペチャクチャ話しながら峠をおりてきました
子抱き地蔵様が里の出入り口にいらっしゃいました
赤いおべべの下に赤ちゃんがいるのです、子宝の欲しい方はめくってご利益いただいてください
なんて、語り部さん、、、だ~れもそんな破廉恥なことするひといません<<アタリマエか?>>
お地蔵さんの前には手書きの道標が往時を偲ばせます
中里の集落でしょうか南国の陽射しを浴びて梅の花がほころんでいます
中里の山の向こうに光る卍の山、その先に少し尖った山が見えてきました
妙法山と烏帽子山でしょうか??
ようやく那智の文字がちらつき始めましたね
おっとーーー、なんだか峠を下るあたりからお腹が張っていたのが
限界に達しましたーーーーー
もう少し歩いたところで昼食休憩ですが、、、、、
弁当をバスで受け取ってから公園までまだ500m
走ります、先頭を必死で走ります、、だって一番でないと待たなくちゃなりません
すると~~!!渡りに舟とはこのことでしょうか、、、
里の奥様が散歩の帰宅途中、見兼ねてご自宅のトイレを貸してくださいました
ギリギリ、セ~フ~~~~
2名ほどご迷惑をおかけしました
上地様、ほんとうにありがとうございました
ふ~~~~、やれやれと生き返って、、、、まだ冷や汗も乾かぬうちにお弁当をパクついた呆れたワタシ
中身は20品目でした((ナイショ))
すっかり落ち着いて二つ目の峠を越えて行きます
市屋峠 12:25
一説には、平維盛がこの峠で一夜を過ごしたから一夜峠と言い
現在の市屋峠にとなったとか
峠の手前の道を海にとれば現在の鯨漁の拠点、太地へと繋がりますが、峠を越えて先へと進みます
灌漑用水池の与根河池の周囲を抜けて行きます
人の手で築かれた堰堤としては古いものです
グリーンピアというバブルの落とし物の敷地を抜けて
3つ目の峠です、あっと言う間に越えますよ、と語り部さん
短いですが急じゃありませんかーーーー
二河坂峠 13:00
峠を下ると綺麗な二河の渡りを経てなにやらかすかに温泉の匂いがします
このあたりから温泉自噴場所が見受けられます
車で温泉水を汲みにきておられました
日帰りの入浴ができるようです
そして~~、佐藤春夫氏が名付け親という{{ゆかし潟}}のほとりにやってきました
海の水と淡水とが混ざり合う、汽水湖ですね
海、川両方の魚が棲んでいますね
おやおや?? 向こう岸の山の木が真っ白です?? なんでしょう??
どうやら、鳥の糞害のようです
広大な別荘を見ながらぐるりと周回して湯の香を嗅いで
湯川温泉までやってきました
ここは勝浦より古く主に湯治の為の温泉でした
今は、南紀の温泉といえば白浜か勝浦かになってしまったようです
十三代亀山城主の供養塔が道の左脇にひっそりと佇んでいました
御坊城主の湯川氏が秀吉に敗れてこの地に落ち延びていたと伝えられます
湯川の名称の起こりでしょうか?
進行方向に鳥居が見えてきました
湯川諏訪神社の杜に高さ32mのツガの巨木が聳えています
幹周りは、大人が4人くらい手を広げて余りあります
パワーを頂いて頑張りましょう
ここで国道に出て少し歩き勝浦へのトンネルの手前で左にとり
材木屋さんの敷地を抜けて巨木の元を、今日の4つ目の峠へと入ります
少しだけ登りがありますが直ぐに峠にやってきました
駿田峠 14:25
切り通しの峠道は、旧道で荷車が通れるように幅が広くなっています
ここは地元の方々が制作された映画のロケ地でビデオや音声での案内が流れるような
仕掛けがありました
峠を少し登った山頂には婦人の病に霊験あらたかな加寿(かす)地蔵尊が祀られていて
赤い幟が急な参道に何本もたっていました
願掛けをなさった方が寄進されたのでしょうか、女性の名前が入っていました
中には代参の男性もあるようです
切り通しには逞しく直立で開脚のお方が見下ろしていました、、、、
下り始めて昨夜泊まった勝浦の街が見えてきました
船で渡って行く有名なホテルの山上館も見えています
今日は勝浦へは行きません
もう間もなくゴール地点の那智の浜へ
某ホテルの敷地を抜けて小さな思案橋を渡り天満神社へ立ち寄ります
神社の鳥居前に昭和23年の大津波祈念之碑がありこの高さまで津波が襲ったことがわかります
境内には大きなホルトの木やタブの木などがありました
那智参詣曼荼羅にも描かれているようです
お参りを済ませて
JR紀伊天満駅の踏切を渡り車道を横切るともう那智の浜です
海辺には渡り鳥たちが飛び交っています
八咫烏は見つかりませんでした
すっかり曇ってきました
でももう大丈夫、今回の歩きはここJR那智駅で終了です 15:15
来月はあの卍のお山の近くの青岸渡寺へ大門坂を登ります
駅前には今回の歩きのゴールを祝して桜が咲いてました
今回は古座川から那智の浜まで2日間、26キロ余りの古道歩きでした
さぁ~~~来月で7/7回シリーズの大辺路歩きも終了です
なんとか完歩できますように~~
皆様も応援くださいませ~~
朝はホテルの朝食、またまたバイキング~~
お昼はお弁当ですから、しっかり夕食分まで食べておきますよ
ひょっとしたら昨夜の食事より豪華かも
欲張りおタケさん、元を取らないと歩けません、、、後悔しますよ、、、
朝からどんだけ食べるねん、、、、
でも、皆さん同じようにお変わりしてましたよ、普通にね~~
それでは昨日の秀田(しゅんで)地蔵様までバスで一足飛び~
昨日、話があった佐部の山城を後方に見て
今日の語り部さんにご挨拶してストレッチ
これから昼の下山までトイレがありませんので念の為に皆
施設にお借りしてスタートです 8:50
峠を大小四つ越えて那智の浜を目指します
先ずは今日の最大の難所、八郎峠に差し掛かります
峠の登り口の民家の横を山へと取り付きます
民家のおばさんが「昔は何度か歩いたんだけどね」と言って見送ってくださいました
立派な梅ノ木、南高梅より大きな実が成るそうです
ちょっと朝ごはん食べ過ぎましたよ~~
いきなり登りですからね、、、、
段築(版築)の道を抜け
標高は200mほどですが尾根に上がるあたりから急な岩場になってきました
風景を楽しむときは必ず立ち止まって安定した位置で、と、注意があります
ちょっとした馬の背のような尾根の眺めの良い場所で小休止 9:50
熊野灘がしっかりと見えていますがお天気が良すぎて霞んでしまいました
海と空が一体化しています
大きな船も行き交っています
真ん中あたりのとんがりが八郎山です
八郎山の山頂へは行かずに峠のお地蔵様を拝んで下ります
お地蔵様に悪いことををすると2日以内に必ず悪いことがおきますと書かれていました
なら、お賽銭あげたら2日以内に必ず良いことが起きるのだろうか、と誰かがつぶやいていました
「おふき地蔵」様、、藁草履を裏向きに伏せてお供えして祈ると腹痛にきくとか
少し休んで一気にくだります
暖かい自然林の中を下りながら赤い実の話でもちきりです
センリョウとマンリョウの違いは?
下を向いて下がってるのが重いからマンリョウ
ジュウリョウもヒャクリョウもあるんやで~~
そうこうペチャクチャ話しながら峠をおりてきました
子抱き地蔵様が里の出入り口にいらっしゃいました
赤いおべべの下に赤ちゃんがいるのです、子宝の欲しい方はめくってご利益いただいてください
なんて、語り部さん、、、だ~れもそんな破廉恥なことするひといません<<アタリマエか?>>
お地蔵さんの前には手書きの道標が往時を偲ばせます
中里の集落でしょうか南国の陽射しを浴びて梅の花がほころんでいます
中里の山の向こうに光る卍の山、その先に少し尖った山が見えてきました
妙法山と烏帽子山でしょうか??
ようやく那智の文字がちらつき始めましたね
おっとーーー、なんだか峠を下るあたりからお腹が張っていたのが
限界に達しましたーーーーー
もう少し歩いたところで昼食休憩ですが、、、、、
弁当をバスで受け取ってから公園までまだ500m
走ります、先頭を必死で走ります、、だって一番でないと待たなくちゃなりません
すると~~!!渡りに舟とはこのことでしょうか、、、
里の奥様が散歩の帰宅途中、見兼ねてご自宅のトイレを貸してくださいました
ギリギリ、セ~フ~~~~
2名ほどご迷惑をおかけしました
上地様、ほんとうにありがとうございました
ふ~~~~、やれやれと生き返って、、、、まだ冷や汗も乾かぬうちにお弁当をパクついた呆れたワタシ
中身は20品目でした((ナイショ))
すっかり落ち着いて二つ目の峠を越えて行きます
市屋峠 12:25
一説には、平維盛がこの峠で一夜を過ごしたから一夜峠と言い
現在の市屋峠にとなったとか
峠の手前の道を海にとれば現在の鯨漁の拠点、太地へと繋がりますが、峠を越えて先へと進みます
灌漑用水池の与根河池の周囲を抜けて行きます
人の手で築かれた堰堤としては古いものです
グリーンピアというバブルの落とし物の敷地を抜けて
3つ目の峠です、あっと言う間に越えますよ、と語り部さん
短いですが急じゃありませんかーーーー
二河坂峠 13:00
峠を下ると綺麗な二河の渡りを経てなにやらかすかに温泉の匂いがします
このあたりから温泉自噴場所が見受けられます
車で温泉水を汲みにきておられました
日帰りの入浴ができるようです
そして~~、佐藤春夫氏が名付け親という{{ゆかし潟}}のほとりにやってきました
海の水と淡水とが混ざり合う、汽水湖ですね
海、川両方の魚が棲んでいますね
おやおや?? 向こう岸の山の木が真っ白です?? なんでしょう??
どうやら、鳥の糞害のようです
広大な別荘を見ながらぐるりと周回して湯の香を嗅いで
湯川温泉までやってきました
ここは勝浦より古く主に湯治の為の温泉でした
今は、南紀の温泉といえば白浜か勝浦かになってしまったようです
十三代亀山城主の供養塔が道の左脇にひっそりと佇んでいました
御坊城主の湯川氏が秀吉に敗れてこの地に落ち延びていたと伝えられます
湯川の名称の起こりでしょうか?
進行方向に鳥居が見えてきました
湯川諏訪神社の杜に高さ32mのツガの巨木が聳えています
幹周りは、大人が4人くらい手を広げて余りあります
パワーを頂いて頑張りましょう
ここで国道に出て少し歩き勝浦へのトンネルの手前で左にとり
材木屋さんの敷地を抜けて巨木の元を、今日の4つ目の峠へと入ります
少しだけ登りがありますが直ぐに峠にやってきました
駿田峠 14:25
切り通しの峠道は、旧道で荷車が通れるように幅が広くなっています
ここは地元の方々が制作された映画のロケ地でビデオや音声での案内が流れるような
仕掛けがありました
峠を少し登った山頂には婦人の病に霊験あらたかな加寿(かす)地蔵尊が祀られていて
赤い幟が急な参道に何本もたっていました
願掛けをなさった方が寄進されたのでしょうか、女性の名前が入っていました
中には代参の男性もあるようです
切り通しには逞しく直立で開脚のお方が見下ろしていました、、、、
下り始めて昨夜泊まった勝浦の街が見えてきました
船で渡って行く有名なホテルの山上館も見えています
今日は勝浦へは行きません
もう間もなくゴール地点の那智の浜へ
某ホテルの敷地を抜けて小さな思案橋を渡り天満神社へ立ち寄ります
神社の鳥居前に昭和23年の大津波祈念之碑がありこの高さまで津波が襲ったことがわかります
境内には大きなホルトの木やタブの木などがありました
那智参詣曼荼羅にも描かれているようです
お参りを済ませて
JR紀伊天満駅の踏切を渡り車道を横切るともう那智の浜です
海辺には渡り鳥たちが飛び交っています
八咫烏は見つかりませんでした
すっかり曇ってきました
でももう大丈夫、今回の歩きはここJR那智駅で終了です 15:15
来月はあの卍のお山の近くの青岸渡寺へ大門坂を登ります
駅前には今回の歩きのゴールを祝して桜が咲いてました
今回は古座川から那智の浜まで2日間、26キロ余りの古道歩きでした
さぁ~~~来月で7/7回シリーズの大辺路歩きも終了です
なんとか完歩できますように~~
皆様も応援くださいませ~~