へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

2008年、今年もよろしくお願いいたします。

2008年01月02日 04時04分44秒 | Weblog
敢えて、「開けましておめでとうございます」とか、「謹賀新年」などとは書きません。
「へそ曲がり」として書かないのではなく、私くらいの年に成ると「初春は 冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」と言ったところが本音です。
本来ならば、昨日書くつもりだったのですが、年が変わる5分前に、香港の友人(私とは30違いの35歳の男です)から電話があり、ナント、2時間半も話し込んでしまったのです。
そのため、ブログを書く時間がなくなってしまいました。
別に、彼に文句を言うつもりは全くありません。
彼には、上海時代を含めて、日本人には想像も出来ないほどの「好意」を受けてきました。
無償で彼ほどの事をする日本人は、殆どいないのではないだろうか?。
私自身だって、チョット自信がありません。
「関口智宏の中国鉄道大紀行」と言う番組を見た方ならわかると思うのだが、平均的に言って中国の人たちは、「見知らぬ外国人」に対して「非常に友好的」なようです。
正直言って、良い意味の「カルチャーショック」を受けました。
それに対して、日本人が余りにも「排他的」な事が残念でなりません。
「アメリカ人の黒人差別」が問題にされる事があるのだが、「他の民族」に対してはそれ程ではないのだが、日本人の場合は、「殆どの民族」に対して「排他(差別)的」である。
「資源少国の日本」にとって、これからの時代を生き抜くためには、大きな「ハンデ」になるであろう。
原油、各種の鉱物資源、穀物、マグロ・エビ・たこなどの海産物を海外に依存している日本にとって、「各国との友好関係」が必要だというのに、このテイタラクでは先が思いやられます。
地球温暖化以外にも、多くの問題が「地球規模」で考えなくてはいけないというのに、政府も国民も「殆ど無関心」と言った状態である。
「学校の教育に問題がある」などと言う馬鹿げた事を言う人が多いのだが、「学校教育以前の問題」だという事を自覚するべきである。
植木等は死んだというのに、日本全国が「無責任時代」になってしまっている。
様々な分野で国際性が求められているというのに、何時まで「井の中の蛙」でいようとするのであろうか?。
「自分だけの利益」を考えていると、やがては「国際社会の厄介者」になってしまうだろう。
年の初めから、この様な嫌な事は書きたくはないのだが、「私以外に書く人が殆どいない状態」なので、仕方ありません。
出来る事なら、「この様な事を書かずに済む様な時代」になってほしいものである。

コメント (7)
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