NHKの大河ドラマは、初期の頃から欠かさずに見てきたのだが、今回の「篤姫」に関しては、気持ちの上で、今までのドラマの見方とは「全く違う見方」になっていることに気が付いた。
過去の大河ドラマでは、多くの場合、「一つの物語」と言う見方で見ており、見た後には「単なるドラマを見た」と言う程度の余韻しか残らなかったのだが、今回に限っては「全く違う」といっても過言ではない。
ドラマである以上、或る程度の「作者の作為」と言うものもあるだろうが、出演者のせりふの中に、「現代社会への教訓的言葉」が非常に多いのである。
島津斉彬に関しては、「人格者であったと」言う程度の知識しかなかったのであるが、「目からウロコ」と言う感じである。
ここで「勇将の下に弱卒なし、弱将の下に優卒なし」と言う言葉を思い出した。
このドラマを、単なるドラマとしてではなく、「現代社会への教訓」としてみる人が増えてくれるようになれば、「多少は日本も良くなるのではないか」と思うのだが・・・・。
とかくNHKの不祥事が問題になるのだが、民放の問題は殆ど話題にならない。
この事は、別な見方をすれば、「見る人間の質に差がある」と言う言い方も成り立つと思う。
民放の場合、アナウンサー、アシスタントなどは、「容姿」さえよければ「頭の中」などはそれ程問題にならない。
かなりの間違いを犯しても「笑い話程度」にしかならないが、NHKの場合は「一字一句の間違い」に対しても、抗議の電話が鳴り止まないと聞く。
このような結果から考えても、NHKを見る人と、民放を見る人とでは「大きな質の違いが有る」と言うことが出来ると思う。
日頃民放を見ている人が「篤姫」を見たとしても、「猫に小判」「豚に真珠」「馬の耳に念仏」「宝の持ち腐れ」と言う事になってしまうかもしれない。
民放にも良い番組がないわけではないのだが・・・・、何となく「興味本位的な演出」で、ぶち壊しになってしまう傾向が多いように思う。
民放の場合は「視聴率を稼がなければいけない」と言う問題があるので、有る程度は仕方ないとは思うのだが、「程度問題」と言うことを忘れているように感じてならない。
過去の大河ドラマでは、多くの場合、「一つの物語」と言う見方で見ており、見た後には「単なるドラマを見た」と言う程度の余韻しか残らなかったのだが、今回に限っては「全く違う」といっても過言ではない。
ドラマである以上、或る程度の「作者の作為」と言うものもあるだろうが、出演者のせりふの中に、「現代社会への教訓的言葉」が非常に多いのである。
島津斉彬に関しては、「人格者であったと」言う程度の知識しかなかったのであるが、「目からウロコ」と言う感じである。
ここで「勇将の下に弱卒なし、弱将の下に優卒なし」と言う言葉を思い出した。
このドラマを、単なるドラマとしてではなく、「現代社会への教訓」としてみる人が増えてくれるようになれば、「多少は日本も良くなるのではないか」と思うのだが・・・・。
とかくNHKの不祥事が問題になるのだが、民放の問題は殆ど話題にならない。
この事は、別な見方をすれば、「見る人間の質に差がある」と言う言い方も成り立つと思う。
民放の場合、アナウンサー、アシスタントなどは、「容姿」さえよければ「頭の中」などはそれ程問題にならない。
かなりの間違いを犯しても「笑い話程度」にしかならないが、NHKの場合は「一字一句の間違い」に対しても、抗議の電話が鳴り止まないと聞く。
このような結果から考えても、NHKを見る人と、民放を見る人とでは「大きな質の違いが有る」と言うことが出来ると思う。
日頃民放を見ている人が「篤姫」を見たとしても、「猫に小判」「豚に真珠」「馬の耳に念仏」「宝の持ち腐れ」と言う事になってしまうかもしれない。
民放にも良い番組がないわけではないのだが・・・・、何となく「興味本位的な演出」で、ぶち壊しになってしまう傾向が多いように思う。
民放の場合は「視聴率を稼がなければいけない」と言う問題があるので、有る程度は仕方ないとは思うのだが、「程度問題」と言うことを忘れているように感じてならない。