へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

これからはマネシタ電器と言わせない

2008年01月12日 20時45分09秒 | Weblog
朝日新聞に載っていた川柳の一つである。
マネシタ電器とは、言わずと知れた「松下電器」の事である。
10月からは社名を「パナソニック」に統一するとの事。
松下電器と言えば「松下幸之助」と言うほど、「松下幸之助」と言う名は有名であるが、多くの人は、「松下幸之助は経営の神様」と言うことを忘れている。
そもそも「経営の神様」とは、いかなるものであろうか?。
「経営の神様」とは「商いの神様」と言うことで、「商売が上手」と言うことが出来るだろう。
何事によらず「売らんかな」と言うのが関西商人。
「マネシタ商品」だって、「売れさえすれば結構」と言う土地柄、「売れてナンボ」と言う精神は、「義理人情」を重用する関東商人との大きな違いである。
とかく日本人は「有名な人(人に限らないが)を崇拝する」と言う傾向が有る。
そして、一度広まってしまうと、なかなか其処から抜け出す事が出来ない。
マネシタ電器の事を書いたので「技術の日産」についても書いてみたい。
少し前までは、メーカー自体も「技術の日産」を「表看板」にしていたが、一時期「先進技術の日産」と言い換えたりもしたが、さすがに最近は使わなくなった、と言うより「使いたくても恥ずかしくて使えない」と言うのが本音かもしれないのだが・・・。
さて、この「技術の日産」と言う言葉の根拠を知っている人は、どれ程いるのだろうか?。
その真相を知らずに、「皆が言っているからそうなんだろう」と単純に考えている人が多いと思う。
技術の日産と言う言葉が出てきたのは、「今から50年位前(昭和30年ごろ)の話」で、当時まだ純国産車は、クラウン、セドリック、コロナ、ブルーバードの4車種しかなかった「昔の話」である。
「昔の話」は誇張ではない、当時の田舎では「お爺さんが山へ芝を刈りに行き、お婆さんが川で洗濯をする」と言う事は「極当たり前の事」だったのだから。
つまり、「それ程昔の話」と言うことで、純国産の車を作っていたのは、トヨタと日産しかなかった頃の話で、巷では両社を比較する時に、「技術は日産のほうが上で、トヨタは販売に強い」と言われていた。
この言葉がつまって「技術の日産、販売のトヨタ」と言う言葉が出来、最終的に「技術の日産」と言う言葉だけが残ったのである。
カルロスゴーンが社長になるより大分前の話であるが、週刊誌のタイトルに「技術なき技術の日産再生への道」「日本で一番技術のない日産の将来は?」などと皮肉られていた時期も有る。
トヨタについては、今でも「販売のトヨタ」と言ってよいであろう。
しかし、この「販売のトヨタ」をもってしても、「自社製スポーツカーを売る事が出来なかった」と言う事実が、一体何を意味するのか・・・・・。
このような話は、他にも幾らでもある。
何故このようなことが起きるのであろうか?。
その根底にあるのは「勝てば官軍」と言う考え方ではないだろうか・。
勝てば官軍=売れたもの勝、と言う理論が適用されているのである。
必ずしも「正義が勝つ」と決まっているわけではない、「悪が勝つ」と言う事だってけして珍しい事ではない。
勝者=正義、沢山売れている物=良い物、と言う保障は何処にもない。
何を信じようが「個人の自由」であるが、「個人の自由」である以上、その結果については「自己責任」と言う事になる。
情報化社会と言われているが、その中には「かなりいい加減な情報」も多い。
シッカリとした「情報を見極める目(能力)」を養っておかないと、「知らないうちに情報に振り回さてていた」と言う事になるので、気を付けなくてはいけない。
「数字ばかりの経済大国」にはなったが、「もっと大事なもの」を何処かに忘れて来たように思えてならない。



コメント (4)
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びっくり法律旅行社

2008年01月12日 03時34分36秒 | Weblog
NHKが放送している番組の題名であるが、「法律」と付く割にはお笑い番組に近い感じがする。
世界各国の「チョット変わった法律」を紹介しているのだが、日本ではとても考えられないような法律が有る。
今回と、前回だったと思うのだが、飲酒に関する法律が紹介されていた。
今回の話すは、サンフランシスコの話だったのだが、「鍵を持った人が酔って運転席に座ってはいけない」と言うのである。
日本では「酔いが醒めるまで運転席で休憩」と言う人もいるが、これもダメだと言う。
「助手席か後部座席ならOK」だと言う。
確か、その前の回だと思うのだが、北欧の確かフィランドだと記憶しているのだが(間違っていたらごめんなさい)、お酒を提供する店で、店員が「このお客さんは酔っている」と判断した場合は、「それ以上お酒を売ってはいけない」と言うのである。
「その判定をする専門の人」が居り、違反すると「営業停止も有る」と言うのである。
日本では到底考えられない話ではないか。
これでは日本が「酔っ払い天国」と言われても仕方ない。
もう一つ、記憶が定かではないので申し訳ないのだが、確かドイツかフランスの話だったと思うのだが、「お酒の話をすると嬉しそうになる人」は、「アルコール依存症の第一段階である」と言う話も聞いた事が有る。
早い段階から「アルコール依存の危険性」を訴えているのである。
日常生活の中に、ビール、ワインなどを飲む習慣の有る国にも拘らず、日本ほど「飲酒運転事故の問題」が起きていないのは、「国民の意識の違い」に因るものではないだろうか。
明治維新までの「鎖国政策」により、「欧米先進国の文化に触れる機会」を持てなかった日本が、開国後の急速な発展に「文化」と言うものが疎かになってしまったように感じる。
これは、現在の中国にも言えることである。
中国政府は、しきりに「今や上海は香港を追い抜いた」などと宣伝しているのだが、昨年上海から香港へ始めて行った時のことを思い出す。
確かに、「数字の上」だけを見れば「上海は香港を追い越した」と言えるのだろうが、「住んでいる人のマナー・文化の違い」では、「雲泥の差」がある。
香港では、歩いてる人を見れば「香港の人か大陸の人か」、簡単に見分ける事が出来る。
それ程「歴然とした差」があろのだ。
日本も確かに「経済大国」にはなったのだが、、「文化大国には程遠い」と言うのが現実であろう。
「地球温暖化」と言う「重大な問題を抱えた」現状を考えると、「経済大国競争」を止めて「文化大国競争」に「針路変更」をするべきだと思うのだが。
「ナンバーワン」ではなく、「オンリーワン」を目指すべきではないだろうか。
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