へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

毒入り餃子事件の余波

2008年02月23日 19時38分24秒 | Weblog
埼玉県北部の或る園芸センターで聞いた話。
最近農協の直売所で野菜の売り上げが増えているらしい。
しかし、そのあおりを受けたのか、草花や鉢植えの花木が売れなくなっているそうである。
野菜の場合は、好調な売れ行きを反映して、「多少高値でも売れる」というのだが、草花や鉢植えはその反対に、「高いものは売れない」と言う状況になり、園芸業者は仕入れと値付けに苦労しているようである。
中国製品の危険性が問題になり、安全な国産の物を求めるようになれば、出費が増えるのは当然の事で、出費が増えた分の穴埋めとして「不要不急のもの」にしわ寄せが来てしまう。
「海外から輸入する物資の値上がり」と言う、「外部要因による賃金の上昇を伴わない変則的なインフレ」には打つ手は無いに等しい。
少し難しく感じる人がいるかもしれないのだが、「作用反作用」と言う言葉を思い出してみたい。
「作用反作用」とは、「何かをすれば必ずその反対の事が起きる」と言う意味にもなるように、国民全てが満足するような解決策など有るはずが無い。
「あちら立てればこちら立たず、こちら立てればあちら立たず」と言うように、「両立させる」と言う事は至難の技と言うより、不可能と言うほか無いだろう。
ガソリン税に加算されている「道路特定財源」の問題にしても、廃止すれば様々な形で「反作用」が起きてくる。
「中国産食材の危険性」が問題になり、「安全な国産食材」が求められるようになってきたが、「その国産食材を生産している地方の衰退」と言うことも考える必要があるだろう。
今のうちに「農業後継者」を育成しておかなければ、高齢化した農家が「耕作不能」と言う事態にでもなれば、「安全な国産食材の生産」にも差し障りがでてくるであろう。
中国やインドなどの新興国の発展と言うことを考えるならば、「穀物ばかりでなく全ての食料の値上がり」は避けられない事だろうし、日本が頼りにしているオーストラリアにしても「地球温暖化によると見られる旱魃」に悩まされていると言う「不安定要因」も考えれば、「日本の農業(地方)生産の安定」と言うことが重要な課題になるはずである。
最早「日本の利益を追求する」と言う時代は終わったのである。
これからの日本が考えるべきことは「いかに損失を小さくするか」と言うことではないだろうか?。
「永久に成長すると言う神話」など、地球上どころか、宇宙全体を探しても見つける事など出来ないであろう。
様々な資源の枯渇が心配されるようになって「リサイクルの重要性」が話題になっているのだが、この「リサイクル」と言うことにも限界があると言うことと、「かえって高くつく場合が多い」と言う事は意外に知られていない。
一つの典型的な例として、「古紙の混入率の偽装」と言う問題がある。
以前にも一度書いているのだが、古紙の再生には「品質の低下」と言う避けて通れない問題があり、繰り返し再生されると「紙として使用不能」と言う事になってしまうばかりでなく、「漂白」するための薬剤も余分に必要になり、「コストや環境面」でも問題が多くなってしまう。
「古紙混入率の偽装問題」は、国民と政府の主張する「リサイクルと言う錦の御旗」に、業界が抵抗できなかった結果起きた事で、偽装が明るみの出て初めて真相が発表されたのである。
ペットボトル、アルミ缶、廃プラスチック・・・・等のリサイクルにしても、「品質の悪化」と「不純物により品質が安定しない」と言う問題が起きる為に、「本当の意味でのリサイクル」は実現していない。
かなりの部分で、再利用できる物が限られた「単なる再利用」になってしまい、いずれは需要も減ってしまい、「在庫の山が出来る」のではないだろうか?。

コメント
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