へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

昭和30年代

2008年02月12日 03時08分56秒 | Weblog
NHKで昭和30年代(一部20年代も含まれていた)の日本を特集した番組を、長時間にわたって放送していた。
昭和30年は、私が中学校に入った年で、懐かしい映像が沢山あり、あの頃の自分を思い出した。
「古きよき時代」と言う言い方もあるのだが、必ずしもそうとは言い切れないように思う。
「人間が人間らしく生きていた」と言う事で、便利なものは何もなかったが、「人情」にあふれていたように思う。
また、物が無い時代だったので何かを「自分で作り上げる」と言う達成感にもあふれていた。
それに対して現在は、有り余る物資に囲まれながら、「人間の本来の姿」を失ってしまっている。
子供たちは「自分で作り上げる」と言う喜びを知らず、次から次へと発売される新製品を欲しがるようになってしまった。
これではいくらお金が有っても大変ではないだろうか?。
男尊女卑と言う観点で言うわけではないが、「女性が子供を生み育てる」と言う事は、「生物界の基本原則」ではないだろうか?。
男が子供を生む事が出来ない以上、避けて通れないことではないだろうか?。
「女性が子供を生み育てる事を放棄する」と言う事は、「人類の滅亡」と言う事にもなってしまう。
定員を大幅に超えてしまい、危機に瀕している「宇宙船地球号」にとっては、喜ばしい事なのかもしれないが、日本の経済にとっては大きな痛手になっている。
以前にも書いたことがあるのだが、経済が発展すると言う事は、「広い意味」で「ねずみ講」と同じなのである。
ねずみ講がすぐに行き詰まるのは、急速に子を増やさなくてはならないために、「増やしたくても子が見つからない」と言う問題に直面してしまうからである。
経済を発展させる為には、「新たな需要(子)」が必要なのだが、「少子高齢化社会」では、新たな需要を見つけることは難しくなる。
戦後の日本が急速な経済発展を遂げられたのは、敗戦後の何もなかった時代から、次々に新しい需要を開拓してきたからで、今の中国が、当時の日本と同じだと思っても良いだろう。
しかし、「少子高齢化」「物余り」「飽食」などと言われるようになった現在では、「新たな需要の開拓」など夢物語と考えるべきではないだろうか?。
仮に有ったとしても「小規模」なものが殆どで、「経済を発展させる」と言う力は無いだろう。
私にしてみ、「今ほしいものは?」ときかれたとしても、「さーーて?・・・・」と考えてしまう。
強いて言うなら「お金と女房」と言う事に成るが、「お金をもらったとしたら何を買いますか?」と質問されると困ってしまう。
「万一の備え」としてお金が欲しいので、特別買いたいものがあるわけではない。
大多数の高齢者が同じ様な考えではないだろうか?。
コメント
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