へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

食べ物の好き嫌い

2008年02月06日 19時42分06秒 | Weblog
最近の子供は「食べ物の好き嫌い」が激しいようで、「食育」と言うことが話題になっている。
学校給食でも様々な事が試みられているようであるが、私に言わせるならば「学校以前の問題」と言いたい。
それなら「幼稚園や保育園で?」と考える人もいるかと思うが、「それでも手遅れ」と言わざるを得ない。
私の場合は「殆ど好き嫌いはない」と言えるのだが、私の子供は「それに輪をかけて」好き嫌いがない。
高校生の頃に、多くの人が好まない「レバー」を「こんなに上手いものを何で皆は嫌いなんだろう?」と言っていた事を覚えている。
それでは、何故好き嫌いを無くす事が出来たのだろうか?。
答えはいたって簡単な事なのだが、すでに好き嫌いが出来てしまった子供(大人も含めて)には無理な相談である。
私の場合は、戦争中の生まれだったので「好き嫌いなど言える状態ではなかった」と言う事情もあるのだが、子供の場合は「離乳食を始めた段階で少しずつ何でも食べさせた」と言うのが主な理由である。
乳児に離乳食を食べさせる場合、基本的には「苦いものや辛いものなどを除けば、殆どなんでも口に入ったものは食べる」と言う性質を利用したのである。
乳児には「好き嫌いはない」と言っても良いと思うのだが、「親が嫌いなものは作らない」と言うことが多い事から、「必然的」に「好き嫌い」が出来るのだと言っても過言ではないだろう。
正直な話、私自身は、「レバーはそれ程好きではない」と言うのが本音なのだが、子供の場合は「離乳食」の段階で慣らされているので平気なのである。
人参、ピーマン、ほうれん草、・・・・と、何でも好きで、保育園、小学校、中学校と「おやつ代わりに煮干を丸ごと」食べていたのも、好き嫌いが始まる前に食べさせていたためである。
その為もあってか、サンマ、アジなどの焼き魚は、「ハラワタ」のないものは喜ばないのだが、これは多分に私の影響も有ると思う。
小さい頃は「サンマのハラワタは苦い」と言って食べたがらなかったのであるが、少し大きくなった頃から、私が「美味しい、美味しい」と言って食べているのを見て、少しずつ「マネ」をするようになったのである。
親が「美味しい、美味しいと言って食べる姿」を見れば、子供だって興味を示すはずである。
単に「栄養があるから」とか「好き嫌いはいけない」と言うのではなく、「親が手本を示す」と言うことも必要な事だろう。
食べ物の好き嫌いばかりではなく、「躾」にも同じことが言えるはずである。
「子供は親の背中を見て育つ」、「三つ子の魂百までも」「この親にしてこの子あり」など、幼児期だけに限らず「親が子供に与える影響」は大きいものがあるのだが、現代社会では、その事が殆ど「無視」されている。
欧米諸国では「子供は社会からの預かり物、一人前の社会人にして返すのが親の責任」と言う考え方がある。
日本の場合は「正反対」で、「子供は親の所有物」と言う考えかたが基本にある。
どちらがよいかの判断は、人それぞれ違うと思うので、ここでは敢えてしないでおきます。
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危険を予知する能力

2008年02月06日 03時48分26秒 | Weblog
今日、日当たりの悪い山道を走っていた時の出来事である。
私の前を走っている車の様子が少し変だったので、車間距離を開けて走っていたところ、先日の雪が凍結して残っていた所で前の車がスリップ、道路を塞ぐ様に横向きになって止まってしまった。
普通の状態であれば、私の車は前の車の側面に激突してしまったのだが、幸いな事に、車間距離が十分あったので事なきを得ました。
前の車を運転していたのは、免許を取って半月ほどの中年?の男で、タイヤは夏用タイヤ。
私は免許を取って40年、走った距離も50万キロをゆうに超え、タイヤはスタッドレスに変えている。
しかし、よくよく考えてみると、過去に何回もこのような経験があるのだが、その最たる事件を思い出した。
免許を取って4・5年くらい経った頃だと思うのだが、府中近くの中央線のガード下で起きたことであるが、前の信号が赤で数台の車が止まっていた。
普通に走っていればその後ろに止まるはずであったのだが、たまたま横道から反対車線に出る車に道を譲って手前で止まった。
その直後である、左折してきた大型トラックに積まれていた鉄骨がガードに激突、ワイヤーが切れて、積荷の鉄骨が「本来ならば私が止まっているはずだった場所」に落ちたのである。
まさに「危機一髪」で事なきを得たのである。
「どうせ信号で止まるのだから」と、「横道の車を通す」と言う気持ちが働いた事が幸運をもたらしたようである。
このほかにも「間一髪」と言うことも含めて、数々の危険に会わずに済んでいる。
「運も実力のうち」などと言うが、常に注意を払っていれば、ある程度は危険を避けることが出来るのではないかと思うのだが・・・・。
子供たちに「あれは危険だから、これも危険だから」と言って、危険から遠ざけるのは「かえって危険」ではないだろうか?。
また、様々な安全装置も開発されているが、かえって人間の「能力低下」と言う事になりはしないだろうか?。
「科学の発達」が、「人間の能力の退化」になっては「元も子もない」事で、「科学の力を過信する」と言う事は慎むべきだと思うのだが・・・・。



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