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源氏の物語 20 おおけなきこと

2015-12-18 | 源氏のものがたり
源氏物語は皇室のできごとである、と、庶民はとらえる。皇室は王室であり、宮廷である。サロンのなかで文学が行われたとみることである。その皇室にあってはならぬことがあったと庶民は源氏物語で思う。そのことばには不義、密通という語が用いられて、語り伝えることとなる。それは後世の通念をもってしてまことに語られる。物語作者はそれを見聞したのか、サロンで秘めたことを書きおよんだか、その作品を通して知るところ、わかるところは、おおけなきことである。出世の栄誉をもって物語とする、、貴種流離の類をあてはめるとわかりよいが、作者はそこになにを描こうとしたのか。 . . . 本文を読む

源氏の物語 19 世になくきよらなる

2015-12-17 | 源氏のものがたり
きよらかな となる語である。きよら をみると、前の世にも、御契りや深かりけむ、世になくきよらなる玉の男御子さへ生まれ給ひぬ 源氏物語 桐壺 とみえる。対照すると、つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり 源氏物語 若紫 とみえる。らうたし は、かわいらしい、かれんだ、となろうか。らうたげなり とある、いかにもかわいいのである。労いたし、いたしに、甚だしいをあてる。ともに源氏物語での美を表す語である。理想の御子と理想の女性の造形に作者が用意した最高の表現であると規定されるが、その語にまして加えられるのは、ひかる そして かおる である。 . . . 本文を読む

源氏の物語 18 常世

2015-12-13 | 源氏のものがたり
源氏物語のシーン scene は、物語の展開にあらわされる。作者の用意に想像力の豊かさに物語がある。物語の創造は想像の作品となる。作り物語である。フィクションにおいて場面があらわすものは物語テーマでもある。そのシーンにおいて印象にあるものは、次の1場面である。>朝ぼらけの空に雁連れて渡る。主人の君、  「故郷をいづれの春か行きて見む   うらやましきは帰る雁がね」  宰相、さらに立ち出でむ心地せで、  「あかなくに雁の常世を立ち別れ   花の都に道や惑はむ」 . . . 本文を読む

源氏の物語 17 筆致

2015-12-11 | 源氏のものがたり
物語を読むと、それなりに浮かび上がる源氏の苦悩である。物語をテクストにしてその筋立てが語られる。かつてその場面を描く絵巻に源氏のすべてがあると思った。その本文を見出して、抱き出でたてまつらせたまひ  という、抱き取りたまへば  という、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし  である。  >例の、中将の君、こなたにて御遊びなどしたまふに、抱き出でたてまつらせたまひて、  「御子たち、あまたあれど、そこをのみなむ、かかるほどより明け暮れ見し。されば、思ひわたさるるにやあらむ。いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、皆かくのみあるわざにやあらむ」  とて、いみじくうつくしと思ひきこえさせたまへり。 . . . 本文を読む

源氏の物語 16 難しい

2015-12-09 | 源氏のものがたり
源氏物語を難しいという。難しさはどこにあるか。古典文学のことである。日本文学の古典が古典であること、そのものの捉え方にある。古典が古典であるとは何を意味するか。難しいとすればそれを解き明かさなければならない。古典を通常、古い時代に著された、立派な内容の書物とすれば、その立派さが問われてくる。それが難しいのであろう。また、過去の時代に作られ、長年月にわたる批判に耐えて伝えられ、現代でも文化的価値の高いもの、特に文芸作品とするならば、源氏物語はまさにそういうことであろうから、古典の難しさはどこにあるか。読解のむずかしさが古典語のゆえであるなら、日本語の古語として学ぶべき難しさということになる。解釈のむずかしさをあげればそれは時代のこと、その背景、文化の理解にある難しさだろう。その困難を超えててなお、源氏物語が難しいとなれば、それは源氏物語を難しいという。難しさはどこにあるか。古典文学のことである。日本文学の古典が古典であること、そのものの捉え方にある。古典が古典であるとは何を意味するか。 . . . 本文を読む

源氏の物語 15 なんぞなんぞ

2015-12-06 | 源氏のものがたり
源氏物語を愛の物語とする、愛の葛藤を描き上げたと、わたしは書いた。そしてそれが読者に許されない愛であったとして、源氏の愛した女性とのかかわりを考える。平安時代の男女は、現在でいう、婚姻関係をどう持ったか。世に言う足入れ婚の、通い婚であった。それは風習としてのことであるが、婚姻は配偶関係の締結のほか配偶関係の状態をも含めた概念としても説明しうるので、いまから考えれば、その婚姻を分類して複婚制 Polygamy、一夫多妻制 Polygynyであったとする。妻妾制度をもってする見方は、さかのぼって後宮の取り決めにある。貴族はそれを範とするところがあったろう。源氏の出生がそうであったように、それは更衣を母として持つ。源氏には女性を思慕する愛があったのを、作者は母の思いとするものを、母性本能から得たのである。それを主人公に投影した。 . . . 本文を読む

源氏の物語 14 構成

2015-12-05 | 源氏のものがたり
源氏物語は長編の物語である。そしてその筋立てから、主人公とする光源氏の生涯とその後の物語と受け止められる。それは54帖を一つの作品として前半部と後半部の分け方をする。ごく普通に読み取ると、そこで物語が主人公の世代から次の世代へと変わる。それに対して3部構成を唱える読み方が行われた。源氏の、いわば、出世譚としての一生涯を、その栄華の時代とに読み分ける。源氏物語の構成を、そのようにわけて読むのは物語の教えるところである。古注釈からその読み取り方はあったであろうけれど、それを意識して唱えた、とされるのが、与謝野晶子である。「紫式部新考」『太陽』1928年、昭和3年1月・2月号のち『与謝野晶子選集4』(春秋社)に所収、ウイキペディアより。与謝野晶子は生涯に3度現代語訳を試みた、とあり、>12歳当時、『源氏物語』を原文で素読していたことを、後に、自身の歌の中に詠み込んでおり、さまざまな創作活動の中に『源氏物語』の大きな影響を読み取ることができる。ウイキペディアによる。また、 それを受けたのが、池田亀鑑、玉上琢彌という。 . . . 本文を読む

源氏の物語 13 いつ書いたか

2015-12-04 | 源氏のものがたり
源氏物語の謎 ウエブ文庫である。宿世について、謎では82番目であったのを引用した。その数は84におよぶので一覧にする。ブログ記事でもあるようで、2015.10.26のものである。このサイトは国研出版の提供であって、平安朝文学の研究書が見える。さて、その謎1に、いつ書かれたか、という、問いがあり、寛弘五年、1008年中には書かれていたと記している。その根拠には紫式部日記にある。これはまた紫式部の生涯とも関係する。謎18によれば、生年を天延元年、973年、そして没年を長和三年、1014年としている。その説となる研究書によれば、42歳の生涯である。物語のできたのは、35歳であったか。ただ、宮中へ参内するのは寛弘二年、1005年>十二月鷹司殿倫子(左大臣藤原道長室)の要請で一条天皇中宮彰子(あきこ)に出仕 であるから、サロンでの見聞を執筆動機にしたとすれば、書き綴ったのは、わずか、32歳から3年間のことになる。夫の死が1001年で、そのころから書き始めたという説があり、28歳のことであるが、そのときに、サロンの内幕を語るにはどうであったろう。いずれにしても、1帖を書くのに㏦を費やして1年余の日数であり、それを物語の構想をして書くとなると、早業である。 . . . 本文を読む

源氏の物語 12 ひとつのこと

2015-12-02 | 源氏のものがたり
源氏物語に そのひとつのことをもとめるなら、それは宿世である。すくせ しくせ そして、しゅくせ である。宿世浅からで、と見える。帚木。>『源氏物語』には、全編にわたって、この「宿世」の語が六八回、「御宿世」が四六回、それに「宿世宿世」他が七回、合計一一九回も使用されています。(『源氏物語大成』索引篇による)。 http://www.kokken-jp.com/genji/genji082.php 前世からの因縁と仏教で教える。現代語の用例を、goo辞書で検索すると、2件、ヒットする。宿世の縁である。もと、さんぜ 三世 として、仏教でいう過去世、現在世、未来世をわけて、サンスクリット語、Traiyadhvika, Traikālya による。それによれば、前世の因縁、衆生が生まれる前に送った一生ということになるのであろうか。宿世思想があるならば、源氏物語の前世、現世、来世を因果応報を見ることになる。そこに現れた現世を宿世と見ることで、現実の世を宿縁として捉えている。 . . . 本文を読む

源氏の物語 11 庶民に

2015-12-01 | 源氏のものがたり
源氏物語となったのは、本文研究があり、注釈研究があり、古典語の研究がありして、活字本として成立し、人々に読まれるようになった、流布本を言う時期から、それぞれが自由に手に取って読める時代となった、それは昭和の民主主義といわれる世のことである、愛され、新たな喜びとともに、だれもが知ることができるようになった、日本人の祖先を知る、庶民にとっての、その物語である。源氏物語が完本であるというのは、伝えられてきた本でもまれであったから、長編であり、いくつもの源氏物語があったから、それを一つの、欠本がなく端本ではないものとして、読むことのできる本となるものを、いま手にすることができる。したがって、池田亀鑑監修の源氏は校異源氏物語を経て、それはひとたびは1942年、昭和17年10月25日刊行、のことであったが、その後に、源氏物語大成となった、1956年のこと、源氏物語にとっての画期であった。源氏物語をひとつの物語として読み語ることができるようになって、多くの人たちが源氏物語と言うときの、その源氏物語は桐壺から始まる作品、テキストとなった。 . . . 本文を読む