文章の語は中国の古典に見える。そこにあらわれているのは、文章を、彩、模様とする。文様である。その文章の語は、論語、史記にも見えて、ことばに表わされた、著わされたもの、と、その意味内容が見えるようである。
まず、文のあやとするのは、礼記である。中国の周から漢の時代にかけてのもの、次いで論語に、夫子之文章、可得而聞也 と見える。さらに、史記では、文章爾雅、訓辞深厚 と見える。文章の語は、日本語で、平家物語の例のように、凡はこのおとど文章うるはしうして、心に忠を存じ 〔13C前〕三・医師問答 日本国語大辞典より と見えて、威儀を重んじる様子に用いられた。のちに、日葡辞書で、Bunxo no ブンシャウノ ヨイ ヒト 〔1603〜04〕 日本国語大辞典より と引用する。
そして、日本語では時代を経て、近代になって、文法書には、文と文章を併記して見えるようになる。
礼記は、次は、ウイキペディアによる。
>礼記(らいき 繁体字:禮記、簡体字:礼记、ピン音:Lǐjì、ウェード式:Li-chi)とは、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、戴聖が編纂したものである。全49篇。これは唐代以降、五経の1つとして尊重された。現在通行している『礼記』は後漢の鄭玄注、唐の孔穎達疏の『礼記正義』(『十三経注疏』の一つ)や陳澔の注釈した『礼記集説』など、多数存在する。
文章は、次のように、礼記に見える。
陳氏禮記集說補正: 卷三十- 中國哲學書電子化計劃維基
ctext.org › 維基 › 陳氏禮記集說補正 -
哀公問. 7. 然後以其所能教百姓不廢其會節集說禮本天秩聖人因人情而為之節文非強之以甚難行之事也故曰以其所能教 ... 有成事然後治其雕鏤文章黼黻以嗣集說有成事謂諏日而得卜筮之吉事可成也雕鏤祭器之飾文章黼黻祭服之飾也嗣者傳續不絶之 ...
>
有成事然後治其雕鏤文章黼黻以嗣集說有成事謂諏日而得卜筮之吉事可成也雕鏤祭器之飾文章黼黻祭服之飾也嗣者傳續不絶之義此器服常存則此禮必不泯滅矣
雕鏤文章黼黻 文章の白と黒の模様の青黒い刺繍模様を彫刻
雕鏤祭器之飾文章黼黻祭服之飾也 文章の白と黒の模様の青黒い刺繍模様
これを日本国語大辞典では、
>(「文」は青と赤のあや、「章」は赤と白のあや)あや模様。模様。
と、語義を解説する。
また、論語には、次のように見える。
公冶長第五 105
www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-05-105.htm
公冶長第五 105. 上へ. 〔 原文 〕 作成日 2004年(平成16年)2月から3月. 子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也。
>
子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也。
〔 読み下し 〕
子し貢こう日いわく、夫子ふうしの文章ぶんしょうは得えて聞きくべきなり。夫子ふうしの性せいと天道てんどうとを言いうは、得えて聞きくべからざるなり。
〔 通釈 〕
子貢云う、「先生が、文物制度や人の踏み行うべき道について語られることは、よく拝聴することが出来たが、先生が、人間の霊性や万物創世の仕組について語られることは極めて希で、滅多に聴くことができなかった」と。
これを、また日本国語大辞典では、
>威儀や文辞などとして、内にある徳の外面に現われたもの。
と、語義を解説する。
さて、その日本国語大辞典の語義解説では、次を揚げる。
文華秀麗集の用例は、検索では、もしかして: 「自厥依頼文書間出、未逾四祀、巻盈百余」 とでてくる。
日本国語大辞典より
http://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=200203bea392H5c45DuS
>
(3)一つの主題でまとまった思想を表現するために、文(センテンス)を連ねたもの。主として、話しことばの談話に対して書状など書きことばについていい、また、詩歌に対して音数、韻などの比較的自由なものだけをさすことがある。
*文華秀麗集〔818〕序「自厥以来、文章間出、未逾四祀、巻盈百余」
*太平記〔14C後〕一四・矢矧鷺坂手超河原闘事「同文章(ブンシャウ)に名字を替て十余通書てぞ出したりける」
*申楽談儀〔1430〕能書く様、その二「ぶんしゃうのはうは、ことばをつづめてりのあらはるるを本とす」
*日葡辞書〔1603〜04〕「Bunxo no (ブンシャウノ) ヨイ ヒト」
*俳諧・笈の小文〔1690〜91頃〕「あるは詩歌文章をもて訪ひ」
*一年有半〔1901〕〈中江兆民〉「葢し観世流摺版也、松風、鉢の木、百万、邯鄲等文章として観るときは大率拙陋の極」
*史記‐儒林伝「明天人分際、通古今之義、文章爾雅、訓辞深厚」
この史記の例は、次のように見える。
史記正義: 卷一百二十一- 中國哲學書電子化計劃維基
ctext.org › 維基 › 史記正義 -
3, 儒林列傳第六十一姚承云儒謂博士為儒雅之林綜理古文宣明舊藝咸勸儒者以成王化者也 史記一百二十一 .... 奏即有秀才異等輒以名聞其不事學若下材及不能通一蓺輒罷之而請諸不稱者罰臣謹案詔書律令下者明天人分際通古今之義文章爾雅訓辭深厚 ...
さらにまた、日本国語大辞典では、次のようである。
>
「ぶん(文)(8)」に同じ。
*広日本文典〔1897〕〈大槻文彦〉四九二「言語を書に筆して、其思想の完結したるを、『文』又は、『文章』といひ、未だ完結せざるを『句』といふ」
*草野氏日本文法〔1901〕〈草野清民〉文法篇・二「文又は文章と称するものは、必ず二個以上の詞の集合したる者にて、意義完全なる説話の躰を具へ、且、其示す所の意に従って語調の円満に完結せる者をいふ」
まず、文のあやとするのは、礼記である。中国の周から漢の時代にかけてのもの、次いで論語に、夫子之文章、可得而聞也 と見える。さらに、史記では、文章爾雅、訓辞深厚 と見える。文章の語は、日本語で、平家物語の例のように、凡はこのおとど文章うるはしうして、心に忠を存じ 〔13C前〕三・医師問答 日本国語大辞典より と見えて、威儀を重んじる様子に用いられた。のちに、日葡辞書で、Bunxo no ブンシャウノ ヨイ ヒト 〔1603〜04〕 日本国語大辞典より と引用する。
そして、日本語では時代を経て、近代になって、文法書には、文と文章を併記して見えるようになる。
礼記は、次は、ウイキペディアによる。
>礼記(らいき 繁体字:禮記、簡体字:礼记、ピン音:Lǐjì、ウェード式:Li-chi)とは、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、戴聖が編纂したものである。全49篇。これは唐代以降、五経の1つとして尊重された。現在通行している『礼記』は後漢の鄭玄注、唐の孔穎達疏の『礼記正義』(『十三経注疏』の一つ)や陳澔の注釈した『礼記集説』など、多数存在する。
文章は、次のように、礼記に見える。
陳氏禮記集說補正: 卷三十- 中國哲學書電子化計劃維基
ctext.org › 維基 › 陳氏禮記集說補正 -
哀公問. 7. 然後以其所能教百姓不廢其會節集說禮本天秩聖人因人情而為之節文非強之以甚難行之事也故曰以其所能教 ... 有成事然後治其雕鏤文章黼黻以嗣集說有成事謂諏日而得卜筮之吉事可成也雕鏤祭器之飾文章黼黻祭服之飾也嗣者傳續不絶之 ...
>
有成事然後治其雕鏤文章黼黻以嗣集說有成事謂諏日而得卜筮之吉事可成也雕鏤祭器之飾文章黼黻祭服之飾也嗣者傳續不絶之義此器服常存則此禮必不泯滅矣
雕鏤文章黼黻 文章の白と黒の模様の青黒い刺繍模様を彫刻
雕鏤祭器之飾文章黼黻祭服之飾也 文章の白と黒の模様の青黒い刺繍模様
これを日本国語大辞典では、
>(「文」は青と赤のあや、「章」は赤と白のあや)あや模様。模様。
と、語義を解説する。
また、論語には、次のように見える。
公冶長第五 105
www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-05-105.htm
公冶長第五 105. 上へ. 〔 原文 〕 作成日 2004年(平成16年)2月から3月. 子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也。
>
子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也。
〔 読み下し 〕
子し貢こう日いわく、夫子ふうしの文章ぶんしょうは得えて聞きくべきなり。夫子ふうしの性せいと天道てんどうとを言いうは、得えて聞きくべからざるなり。
〔 通釈 〕
子貢云う、「先生が、文物制度や人の踏み行うべき道について語られることは、よく拝聴することが出来たが、先生が、人間の霊性や万物創世の仕組について語られることは極めて希で、滅多に聴くことができなかった」と。
これを、また日本国語大辞典では、
>威儀や文辞などとして、内にある徳の外面に現われたもの。
と、語義を解説する。
さて、その日本国語大辞典の語義解説では、次を揚げる。
文華秀麗集の用例は、検索では、もしかして: 「自厥依頼文書間出、未逾四祀、巻盈百余」 とでてくる。
日本国語大辞典より
http://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=200203bea392H5c45DuS
>
(3)一つの主題でまとまった思想を表現するために、文(センテンス)を連ねたもの。主として、話しことばの談話に対して書状など書きことばについていい、また、詩歌に対して音数、韻などの比較的自由なものだけをさすことがある。
*文華秀麗集〔818〕序「自厥以来、文章間出、未逾四祀、巻盈百余」
*太平記〔14C後〕一四・矢矧鷺坂手超河原闘事「同文章(ブンシャウ)に名字を替て十余通書てぞ出したりける」
*申楽談儀〔1430〕能書く様、その二「ぶんしゃうのはうは、ことばをつづめてりのあらはるるを本とす」
*日葡辞書〔1603〜04〕「Bunxo no (ブンシャウノ) ヨイ ヒト」
*俳諧・笈の小文〔1690〜91頃〕「あるは詩歌文章をもて訪ひ」
*一年有半〔1901〕〈中江兆民〉「葢し観世流摺版也、松風、鉢の木、百万、邯鄲等文章として観るときは大率拙陋の極」
*史記‐儒林伝「明天人分際、通古今之義、文章爾雅、訓辞深厚」
この史記の例は、次のように見える。
史記正義: 卷一百二十一- 中國哲學書電子化計劃維基
ctext.org › 維基 › 史記正義 -
3, 儒林列傳第六十一姚承云儒謂博士為儒雅之林綜理古文宣明舊藝咸勸儒者以成王化者也 史記一百二十一 .... 奏即有秀才異等輒以名聞其不事學若下材及不能通一蓺輒罷之而請諸不稱者罰臣謹案詔書律令下者明天人分際通古今之義文章爾雅訓辭深厚 ...
さらにまた、日本国語大辞典では、次のようである。
>
「ぶん(文)(8)」に同じ。
*広日本文典〔1897〕〈大槻文彦〉四九二「言語を書に筆して、其思想の完結したるを、『文』又は、『文章』といひ、未だ完結せざるを『句』といふ」
*草野氏日本文法〔1901〕〈草野清民〉文法篇・二「文又は文章と称するものは、必ず二個以上の詞の集合したる者にて、意義完全なる説話の躰を具へ、且、其示す所の意に従って語調の円満に完結せる者をいふ」