震災10年の日、
喪中、忌中、喪に服すという、忌服というと、服喪というのもある。どうだろう。同じようで違う。
喪中は期間がある、それはそうなのだが、その期間にいろいろとあるということで、1年間、150日、90日となるとその違いは分かるだろうか。忌中も実は49日と50日とがあるから、それはどういうことだろう。
殯の宮にこもる儀式は宮中にかかわる。これには歴史書に記載があり、古代歌謡にうたわれた挽歌で知られる。祖先に対する思いは、安らかな魂を祈る。成仏なのか、神となるか。
さて、大政官布告によると、父母及び夫は13ヶ月、義父母の場合は150日、妻と子供の場合は90日となっているそうである。明治時代初期の法令、大日本帝国下で布告された太政官布告という。明治の法律で服喪の期間が定められて、いまもそれを踏襲している。
殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬送儀礼。 死者を埋葬するまでの長い期間、遺体を納棺して仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。
http://www.tadaokajinja.jp/mochuu.html
誤解を解くために 忌服www.tadaokajinja.jp › mochuu
>明治七年に太政官布告の「服忌令(ぶっきれい)」が出されます。これによると忌(き=いみ)と服(ふく)とは明確に区別され、忌は神社への参拝、家庭のまつりを遠慮する期間、服は精神的に故人を偲ぶ期間
服忌令(ぶっきりょう)とは、近親者の死去に際して喪に服す期間(服忌)を定めた法令。 合わせて触穢に関しても定められていることが多かった。 服忌令そのものは中世の寺社法などに由来しているが、本項では江戸幕府が制定・公布し、明治政府が引き続き採用した服忌令を中心として解説する。
服忌令 - Wikipediaja.wikipedia.org › wiki › 服忌令
服忌令
ぶっきりょう ブクキリャウ
世界大百科事典 第2版の解説
近親の死に際して喪に服すべき期間を定めた法。ほかに触穢(しよくえ)に関する規定も付されていることが多い。服忌令と称するものは,中世伊勢神宮その他の神社で作成されたのが初めであるが,それらは基本的には喪葬令服紀条と仮寧(けによう)令を組み合わせ,喪に服するものが与えられる休暇たる仮(か)を,死穢を忌む期間としての忌に変えたものであった。江戸幕府では,これらをもとにして5代将軍徳川綱吉の1684年(貞享1)儒者林鳳岡(ほうこう),木下順庵,神道家吉川惟足(これたり)らの参画の下に,服忌令を制定公布,その後数次の改正の後,1736年(元文1)最終的に確定した(表参照)。