0909 重陽、九九、とあるので、重九。漢字の読み方のひとつにすぎなくなってきたか。節供という時間観念あるいは空間になるかもしれないのだが、その意識の薄れ、なくなってきたので、桃と端午の季節感とはまたちがい、菊があるはずだが、登高とか酒宴とか、菊花酒などの、そも宮廷行事で詩人が愛好した季節なんだろう。
>【重日】より
…古来,中国では3月3日,5月5日,7月7日,9月9日というように,月の数と日の数とを重ねた重日をたいせつな節供としてきた。この上巳(じようし),端午(たんご),七夕,重陽(ちようよう)に1月7日の人日(じんじつ)を加えて五節供と称することは,朝鮮,日本でも行われている。また五節供とは別に,暦注の一つとしての重日があり,これは中国の易学の影響を受けて成立した
精選版 日本国語大辞典 「重陽」の意味・読み・例文・類語
ちょう‐よう‥ヤウ【重陽】
〘 名詞 〙 ( 陽数の極である九が重なる意 ) 五節供の一つ。陰暦九月九日のこと。また、その節会(せちえ)。重陽の節。菊の節供。《 季語・秋 》
[初出の実例]「卒土公私、一准二重陽一、永停二此節一」(出典:続日本紀‐天平宝字二年(758)三月辛巳)
[その他の文献]〔杜甫‐九日詩〕
重陽の語誌
( 1 )九月九日を吉日として、茱萸を身に着け、菊酒を飲む習俗が漢代には定着し、五代以後は朝廷での飲宴の席で賦詩が行なわれた。この行事が日本にも伝わり、「書紀‐天武一四年(六八五)九月」に見えるのが最初の宴である。嵯峨天皇の時代に毎年の宮廷行事として定着した。
( 2 )詩宴は漢詩文を賦するのが本来であるが、和歌の例も「古今集」に見られる。また、時代が下るにつれ、菊の着せ綿や菊合わせなどが加わり、菊の節供としての色合いが強調されるようになる。
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改訂新版 世界大百科事典 「重陽」の意味・わかりやすい解説
重陽 (ちょうよう)
目次
9月9日の節供。陽数(奇数)の極である9が月と日に重なることからいい,重九(ちようきゆう)ともいう。中国行事の渡来したもので,邪気を避け,寒さに向かっての無病息災,防寒の意味もあった。菊花宴ともいい,685年(天武14)を起源とするが,嵯峨天皇のときには,神泉苑に文人を召して詩を作り,宴が行われていることが見え,淳和天皇のときから紫宸殿で行われた。菊は霊薬といわれ,延寿の効があると信じられ,この日,菊酒を飲むことも行われた。また,茱萸(しゆゆ)(カワハジカミ)の袋を柱に菊とともにつけ,悪気を払う風習もあった。5月5日の薬玉を,この日に茱萸袋ととりかえるのが平安時代の後宮で行われている。また,宇多天皇のときをはじめとする菊綿(きくわた)と称する風流な慣習がある。8日の夜に綿を菊花にかぶせ,その露にぬれた菊の香のする綿で9日の朝,肌をぬぐうと,老をすてるといわれ,これを贈物としたことが《紫式部日記》などにくわしい。平安末期には,天皇の出席もなく,平座(ひらざ)が多くなった。
執筆者:山中 裕
中国
中国では陰暦9月9日の重陽の日,人々は酒肴や茶菓を持って小高い丘に登り,茱萸を髪にさし,菊酒を飲んで邪気を払った。ちょうど厳しい冬に入ろうとする晩秋の一日であり,清爽な空気のなかで紅葉を眺めて楽しんだ。重陽節の由来は,一般に梁の呉均(ごきん)著《続斉諧記》の記事を引いて説明される。後漢の有名な方士費長房は弟子の桓景(かんけい)にいった。〈9月9日,きっとお前の家では災いが生じる。家の者たちに茱萸を入れた袋をさげさせ,高いところに登り(登高),菊酒を飲めば,この禍は避けることができる〉。桓景はその言葉に従って家族とともに登高し,夕方,家に帰ると,鶏や牛などが身代りに死んでいた。この逸話には,重陽節を構成する3要素(登高,茱萸,菊酒)が述べられている。重陽節の開始は,遅くとも3世紀前半の魏のころと考えられる。
後世では,もっぱら収穫が一段落した晩秋の行楽日となる。登高の場所は丘だけでなく,高楼や寺塔の場合もあり,各地に登高の名所を生んだ。茱萸はカワハジカミと呼ばれる呉茱萸を指す。重陽節ごろ,芳烈な赤い実が熟し,その一房を髪にさすと,邪気を避け,寒さよけになるという。その実を浮かべた茱萸酒は,菊の花を浮かべた略式の菊酒とともに,唐・宋時代,愛飲された。呉自牧の《夢粱録》によれば,これによって,陽九の厄(本来,世界の終末を意味する陰陽家の語)を消すという。ちなみに,東晋の陶淵明は菊と酒を愛した詩人として有名であり,重陽節との関係も深い。北宋以後,重陽節は菊花をめでる日ともなり,種類の飛躍的な増加とともに,菊の鉢を山や塔の形に陳列したり,展覧会が開かれたりした。また唐代以来,米の粉を蒸して作った菓子〈糕(こう)〉を食べる風習があり,重陽糕・花糕とも呼ばれ,互いに贈答しあった。現在,重陽節は菊花をめでることなどを除けば,ほとんどすたれている。
執筆者:植木 久行
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普及版 字通 「重陽」の読み・字形・画数・意味
【重陽】ちようよう(やう)
九月九日、菊の節句。魏・文帝〔鍾に与ふる書〕(とし)き來(きた)り、忽ち復(ま)た九九日なり。九を陽數と爲す。而して日竝び應ず。俗に其の名を嘉(よみ)し、以て長久に宜しと爲す。故に以て享宴高會す。
字通「重」の項目を見る。
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百科事典マイペディア 「重陽」の意味・わかりやすい解説
重陽【ちょうよう】
旧暦9月9日の節供。菊の節供とも。陽数の9を重ねためでたい日で,中国ではこの日,茱萸(しゅゆ)を飾り,高所に登って菊酒を飲み,長寿を願い災難を払う風習があった。これが日本にも伝わり,宮中で菊花の宴が行われ,群臣が詩歌を作り,菊酒を賜った。江戸時代には五節供の一つとして最も盛んで,民間でも菊酒を飲み,栗飯(くりめし)をたいたが,明治以後すたれた。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「重陽」の意味・わかりやすい解説
重陽
ちょうよう
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった。月と日に9の陽数が重なるのでこの名がある。
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世界大百科事典(旧版)内の重陽の言及