日本語に主語がある 日本語文法について その3
日本語に主語がない、と言えば、人目を引いてそれはどういうことかとなる。日本語に主語がある、というのは、当たり前のように聞こえてその事実が分析されない。主語がある文に比べて主語のない文がひとつの文章の中で同じくらいあることを調べてみたら、すぐにもわかることなので、いろいろな文章を単位にして調べてみることを奨める。
いまここで、文に対して文章というまとまりをとらえて主語のあるなしを説明したら、あるべきものがないことがわかる。ということは、文が主語と述語とからできていることをモデルにして、日本語で主語のない文をどう扱うかが議論となるが、それについてはほとんど言及がない。文にはやはり主語がなければならないのである。
日本語に二重主語がある、と言えば、たちまちに様々な意見が出始めて、大主語小主語と言い、象は鼻が長いと言い、さらには、―が―が使う、というような文が取り上げられる。かなりすぐれた意見である、二重主語文の3種 d.hatena.ne.jp/killhiguchi/20060404 を読んで、主語とは何か、文とは何かということを、規定によって、日本語の主語はこんなふうに議論されているということが、よくわかるし、主語がたくさんあることに気付かされる。
文に主語があり、文に主語は一つだけあり、文の中核にあるのは主語である、と言っても、主語は主格としてとらえれば第1格であり、指名して表す主格であるので、いちばんはじめにあるが、それが二つありえないという規定である。なぜかと言えば言語の中核としてそうふるまってきたからに他ならない。言い換えればそうでなければ、困るからである。
主語廃止論議、二重主語、一つの文に主語があるかないか、一つか二つかを日本語の文の単位に見ようとするので、主語を主格補語と捉えても、主題と主語と言い分けても、必須成分ではない主格補語、つづめれば主語と言える妙で、あるいはまた話題が文を統一するとみて主題語としてみても、これも主語となるのであって、主語を認めなければならない。
実は日本語の文を単文、重文、複文というように文内部の分析をしてみようとして、主語があるのかないのか、主語がいくつあるのかとなると、単位文を重ねる文の作り方、二つを組み合わせる文の作り方といったことが分析できなくなって、それは重文のあわせ方も複文のかさね方も、日本語が熟語を持つので、文法分析が複雑なものとなるのであった。
この辞書が学生がよく使う、という二重主語文があるのはどうしてか。この辞書をよく使う、学生がよく使う、というのを、文情報として理解できるからである。しかし、文の規定により、このツールが辞書が学生がよく使う、と言ってしまうこともまた可能である。
日本語に主語がない、と言えば、人目を引いてそれはどういうことかとなる。日本語に主語がある、というのは、当たり前のように聞こえてその事実が分析されない。主語がある文に比べて主語のない文がひとつの文章の中で同じくらいあることを調べてみたら、すぐにもわかることなので、いろいろな文章を単位にして調べてみることを奨める。
いまここで、文に対して文章というまとまりをとらえて主語のあるなしを説明したら、あるべきものがないことがわかる。ということは、文が主語と述語とからできていることをモデルにして、日本語で主語のない文をどう扱うかが議論となるが、それについてはほとんど言及がない。文にはやはり主語がなければならないのである。
日本語に二重主語がある、と言えば、たちまちに様々な意見が出始めて、大主語小主語と言い、象は鼻が長いと言い、さらには、―が―が使う、というような文が取り上げられる。かなりすぐれた意見である、二重主語文の3種 d.hatena.ne.jp/killhiguchi/20060404 を読んで、主語とは何か、文とは何かということを、規定によって、日本語の主語はこんなふうに議論されているということが、よくわかるし、主語がたくさんあることに気付かされる。
文に主語があり、文に主語は一つだけあり、文の中核にあるのは主語である、と言っても、主語は主格としてとらえれば第1格であり、指名して表す主格であるので、いちばんはじめにあるが、それが二つありえないという規定である。なぜかと言えば言語の中核としてそうふるまってきたからに他ならない。言い換えればそうでなければ、困るからである。
主語廃止論議、二重主語、一つの文に主語があるかないか、一つか二つかを日本語の文の単位に見ようとするので、主語を主格補語と捉えても、主題と主語と言い分けても、必須成分ではない主格補語、つづめれば主語と言える妙で、あるいはまた話題が文を統一するとみて主題語としてみても、これも主語となるのであって、主語を認めなければならない。
実は日本語の文を単文、重文、複文というように文内部の分析をしてみようとして、主語があるのかないのか、主語がいくつあるのかとなると、単位文を重ねる文の作り方、二つを組み合わせる文の作り方といったことが分析できなくなって、それは重文のあわせ方も複文のかさね方も、日本語が熟語を持つので、文法分析が複雑なものとなるのであった。
この辞書が学生がよく使う、という二重主語文があるのはどうしてか。この辞書をよく使う、学生がよく使う、というのを、文情報として理解できるからである。しかし、文の規定により、このツールが辞書が学生がよく使う、と言ってしまうこともまた可能である。