春の星 こんなに人が死んだか
神はゐないかとてもちいさい
竜宮は震災句を収めた。著者は岩手県釜石市に在住の高校教師、2011年3月11日、勤務先の高校で東日本大震災に遭う、今回の句集は、この体験をもとに、鎮魂の思いをこめた一集となった、 著者について、 昭和37年、岩手県花巻市生まれ、と書籍のサイトに紹介がある。中日新聞のコラムに、満天の星を見上げた著者を言う。降ってきそうな星、世界の辺境を旅した時にも見たことがない星、澄み切った空だった、こわいぐらい、と。俳名を照井翠、その句は、 春の星こんなに人が死んだか 三・一一神はゐないかとてもちいさい 津波に襲われた人たちの魂が星になって昇ったったように見えた、とコラムは解説する。
つばくらめ 日に日に死臭濃くなり
>てらてら光る津波泥や潮の腐乱臭。近所の知人の家の二階に車や舟が刺さっている、消防車が二台積み重なっている、泥塗れのグランドピアノが道を塞いでいる、赤ん坊の写真が泥に貼り付いている、身長の三倍はある瓦礫の山をいくつか乗り越えるとそこが私のアパートだ。泥の中に玉葱がいくつか埋まっている。避難所にいる数百人のうな垂れた姿が頭をよぎる。その泥塗れの玉葱を拾う。避難所の今晩の汁に刻み入れよう。(「あとがき」)
>排水溝など様々な溝や穴から亡骸が引き上げられる。赤子を抱き胎児の形の母親、瓦礫から這い出ようともがく形の亡骸、木に刺さり折れ曲がった亡骸、泥人形のごとく運ばれていく亡骸、もはや人間の形を留めていない亡骸。これは夢なのか? この世に神はいないのか?
>未熟ながらも一人の人間として
数多くの方々への鎮魂の思いを込めて
自分自身すら見失いかけていた私は、自らの「本当の物語」を再構築し、「本当の自分」を捉え直す必要を強く感じました
死は免れましたが、地獄を見ました
今後とも一層思索を深め、俳句表現の道に一途に精進して参りたい
泥の底 繭のごとくに嬰と母
脈うたぬ 乳房を赤子含みをり
双子なら 同じ死顔桃の花
御くるみの レースを剥げば泥の花
澄みかけ てまた濁りゐる泉かな
風花や 悲しみに根の無かりけり
葉牡丹の 大きな渦に巻き込まる
卒業す 泉下にはいと返事して
朝顔は 天界の色瓦礫這ふ
蜉蝣の 陽に透くままに交はりぬ
空蝉の どれも己に死に後る
苧殻焚く ゆるしてゆるしてゆるしてと
死にもせぬ 芒の海に入りにけり
県立釜石高教諭「句集 龍宮」出版 被災の悲しみ 十七文字に 岩手
2013.1.25 02:42
東日本大震災で甚大な被害を受けた釜石市にある県立釜石高校教諭で俳人の照井葉子さん(50)(俳名・照井翠(みどり))が、被災した市内の現状や人々の心情を詠った「句集 龍宮」を角川書店から自費出版した。「句によってしか伝わらない思いや風景がある」。短く切り取られた言葉の一つ一つから、被災地の人々の苦悩や悲しみがにじみ出るようだ。(渡辺陽子)
春の星 こんなに人が 死んだのか
双子なら 同じ死顔 桃の花
寒昴 たれも誰かの ただひとり
冥土にて 咲け泥中の しら梅よ
東日本大震災:「3・11そのものが季語」岩手の高校教諭、句集出版
毎日新聞 2013年03月13日 東京夕刊
> ・なぜみちのくなぜ三・一一なぜに君
岩手県立釜石高校の国語教諭、照井葉子さん(50)が被災地の悲しみを詠んだ俳句集「龍宮(りゅうぐう)」には、季語のない句が多い。荒廃した風景に「季節を感じられなかった」からだ。照井さんは、震災から2年を迎えて思う。「3・11という言葉が季節を表す言葉となるのかもしれない」
照井さんは震災から約1カ月、避難所となった同校体育館で生活した。発生3日後、がれきの山と化した町を歩いた。家族や自宅は無事だったが、目にした光景に「神様はいないのか」と感じた。
「俳句なんて詠んでいる場合じゃなかった」。だが避難所の運営を手伝いながら、時々ふと言葉が頭に浮かんだ。震災から約3カ月後、11句をはがきに記し、全国にいる俳句仲間に送った。「被災したあなたにしか詠めない」という感想が返ってきた。「句集を編もう」と決めた。
「照井翠(みどり)」という俳名で昨年11月末、角川書店から「龍宮」約600部を出版した。「犠牲者が龍宮城のような場所で幸せに暮らしているように」との願いを題名に込めた。収められたのは223句。11年3月から12年6月ごろまで、実際に体験したり知人から聞いたりした話から詠んだ句だ。
・春の星こんなに人が死んだのか
震災当日の夜、避難所の外に出て上を見上げると、停電で真っ暗な闇の中で、見たことがないほど美しい星空が広がっていた。
・毛布被り孤島となりて泣きにけり
体育館では、親が迎えにこない生徒が、布団の中ですすり泣く声がかすかに聞こえた。
「龍宮」のもとになったのは、ホチキス留めの句集だ。釜石市で3代続いた書店と自宅も流された桑畑真一さん(59)は、照井さんからそれを手渡され涙があふれた。「それぞれの人の震災の記憶が呼び起こされる」と話す。
2年がたっても被災地の復興は遠く、まだ何も終わっていない。照井さんは2年の節目に、こんな句を詠んだ。
・三月を喪(うしな)ひつづく砂時計
【塩田彩】