日本文化論の変容は、1955年の、もはや戦後ではない、経済白書に言う経済状況を画期としている。白書による文言が現実の日本の姿をどれくらい反映していたかは検証のいるところであるが、この物言いが戦後10年の節目を作ったのである。それはまた文化論の変容を時期区分することにつながったかにみえる。歴史区分を施すことは画期のできごとをどうとらえるかにあり、著者の炯眼による。
しかしその区分名には否定的特殊性の認識1945~54年、歴史的相対性の認識1955~63年、肯定的特殊性の認識前期1964~76年、後期1977~83年、という。そして、特殊性から普遍性へ、となって記述は次世代にゆだねる。ここに見える用語は特殊性から始まって普遍性へ至る。著作の副題にある、戦後日本の文化とアイデンティティーは、その証明のプロセスにあることを示している。
青木保『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化とアイデンティティー』中央公論社1990年
しかしその区分名には否定的特殊性の認識1945~54年、歴史的相対性の認識1955~63年、肯定的特殊性の認識前期1964~76年、後期1977~83年、という。そして、特殊性から普遍性へ、となって記述は次世代にゆだねる。ここに見える用語は特殊性から始まって普遍性へ至る。著作の副題にある、戦後日本の文化とアイデンティティーは、その証明のプロセスにあることを示している。
青木保『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化とアイデンティティー』中央公論社1990年