文章は経書にある。儒家の文献で、経 けい ともいう。経書は四書、五経、十三経の類、経は経籍として書籍であったから、文章は中国の古代文献にはじまって、それを日本語に読む、漢文訓読にあった。文章はまた、経典にある。仏家の、いわゆるお経で、仏の教えを記した文章のことを指すが、日本に伝わったのは漢訳仏典であるから、漢語文献になる。仏典は音読の利用が進んだとみられる。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
経書
けいしょ
Jing-shu
中国,儒教の基本的古典。経ともいい,根本法則の意。戦国時代の思想家には,その教義の原則を経とする者があったが,儒家は昔から伝承されていた古典を経書とし,戦国時代末期には,『詩』『書』『礼』『楽』『春秋』の5つの経がほぼできていた。漢代に儒教が官学となると五経が確立した。経の解説を「伝」といい,注解を「注」,この注の注を「疏」といった。その後,時代が下るにつれて経書の数が増加し,南宋では十三経となった。唐代のように『老子』『荘子』が加えられたこともあるが,その他の時代は歴代儒教の古典だけで,その権威を周の文王,周公ならびに孔子によっている。
世界大百科事典 第2版の解説
けいしょ【経書 jīng shū】
永遠の真理を説いた中国の古典。ふつうに《易》《書》《詩》《礼(らい)》《春秋》をさす。経は〈織の縦糸〉を意味し,織布に縦糸があるように,聖人の述作した典籍は古今を通じて変わらない天地の大経,不朽の大訓を示すものであるとして,経書と称した。孔子の学園では《詩》《書》が教学に用いられて尊ばれたが,これらを経と呼ぶことはなかった。経が権威ある古典として諸他の書物から区別されるのは周・秦の間のことであり,荀子では《礼》《楽》《詩》《書》《春秋》の五つが経として価値づけられている。
精選版 日本国語大辞典の解説
けい‐しょ【経書】
〘名〙 儒教の最も基本的な教えをしるした書物。四書、五経、十三経などの類。孔子の六経以前は書籍一般を経と称した。経籍。
※日本後紀‐平城即位前(785)「即立レ諱為二皇太子一、及レ長精神聰敏、玄鑒宏達、博二綜経書一工二於文藻一」 〔史記‐游侠伝〕
精選版 日本国語大辞典の解説
きょう‐てん キャウ‥【経典】
〘名〙 (「きょうでん」とも)
① 仏の説いた教えの言葉。また、それを書き記した書籍。仏典。経文。内典。経教(きょうぎょう)。
※続日本紀‐天平一六年(744)一〇月「随レ使入唐、渉二覧経典一、尤精二三論一」 〔無量寿経‐上〕
② 一般に宗教において、その教徒の守るべき教えやきまりを示した神聖な書。また、その教えやきまり。キリスト教の聖書、イスラム教のコーランの類。経文。聖典。
※コンテムツスムンヂ(捨世録)(1596)二「Qiǒdẽni(キャウデンニ) ミユル ゴトク」
[補注]経書(けいしょ)の類の場合は、「けいてん」と読む。→けいてん(経典)
けい‐てん【経典】
〘名〙 (万世にわたって変わらない法式と道理を書いた書物の意)
① 古代中国の聖人、賢人のあらわした「四書」「五経」「十三経」などの書物。経書(けいしょ)。
※古今著聞集(1254)四「応神天皇十五年に、百済国より、博士、経典を相具してきたる」 〔漢書‐孫宝〕
② ⇒きょうてん(経典)
[補注]仏典、経文をいう場合は「きょうてん」と読む。
デジタル大辞泉の解説
きょう‐てん〔キヤウ‐〕【経典】
《古くは「きょうでん」とも》
1 仏の教えを記した文章・書物。経文。
2 ある宗教で、信徒の守るべき教えを記した神聖な書。キリスト教の聖書、イスラム教のコーランなど。
ウイキペディアより
>とくに、天平7年(735年)玄昉が請来(将来)した五千余巻は、当時の欽定大蔵経と推定される。底本とされ大規模な写経がおこなわれた。 寛和2年(986年)に奝然は大蔵経(開宝蔵)を輸入し、確実な大蔵経の請来として最も古い記録となる。奝然死後に藤原道長に渡り法成寺経堂に収められた(1021年)が火災で焼失したとみられる