忖度は推量する意味合いである。ことに処して、心をはかることである。その主語は誰であるか、その目的語には何を置くか、上司と部下のあいだで考えてみる。いま使われているのは、部下が上司の心をはかってことを行うことに重きを持っているが、この語をそのように用いるには、部下による上司への、その意向を推量したということになる。言わなくてもわかるだろう、多くを言わずとも知れ、物事に対処せよと言ったようなことである。
しかしこれは、その用法でいえば、本来的には、上司が部下を相手に行うことであった。部下に心あるとき、つまり何かの異見をもってするようなことがあるとき、それは、上司にとっては部下のはむかいであることであるから、それを忖度して、ことの解決をはかることにある。
すると、その事実にあるのは部下のはむかいであるから、上司はそれを未然に防ぐことになる。そうして、忖度をするのは上司であり、忖度されたことは、部下の思いにあってことにあらわれない。このときの上司は権力者であり、部下の思いをコントロールしていることになる。
ここで上司を王様と読み替えると、部下は家来、家臣、従者となり、王のしかるべき行いを指す忖度であった。忖度をするのは上から下への視線である。なぜそう出るか、語の始まりはそうであったと、悪王のそしりに使われた言葉でもあったのだが、それはまた、家臣の思惑となっていったようである。それこそ、語が広まったのは尾宮陸遣いとしての学びとなる時世からであるが、それはいつごろ、どのように広まることになるか。