日本語教育史(7)ロドリゲス5
>この国語の特徴とみられるのは、ほとんどあらゆる場合の言い方にふくまれている尊敬および丁寧の仕方において豊富であり、典雅であるということである。42ページ。
ロドリゲスの日本語文典に記述される日本語の特色である。この言及の前にも同様の、はなはだ豊富であり典雅である、と指摘したことは、同一のことを言い表す多数の語があること、その中のあるものは他のものより適切であるということ、動詞相互また名詞相互で作る複合語があって簡潔に力強く言い表すことができること、そして副詞が多くあり事物や動作の特殊な状況をきわめて適切に示す、複合語と副詞で示すことであると述べている。この観察はいまのわたしたちのことばの状況にそのままあてはまる。漢字語の熟合はもとより、ロドリゲスが言う身振り手振りで表さなければならない言語に対して日本語はいまもこの当時にも擬声などを用いて副詞とし表現をしたのであろう。そして、このことと違ったところで、さきの国語の特徴が再び指摘されている。42‐43ページ
>すなわち話し相手なり話題に上る人なりの身分に高下に相応したそれぞれの副詞があり、また動詞や名詞に接続するいろいろな助辞がある。そういう助辞や動詞の一語一語をその性格に応じて使おうとすれば、だれと話し、誰のことを話し、どういう物について話すかということを常に考慮しなければならない。したがってそれらは、尊敬と丁寧の加わった言い方たとともに学ぶのでなければ、学び得るものでない。
この見事な洞察はそのまま日本語の文法原則であると言ってよい。自らが持つ言葉の規則である格、数や性の規則に照らし完全な言語と不完全な言語とするのはその規則ゆえであるが、日本語をそれに対照してなお規則を見出そうとしている。日本語大文典の始まりは主格、属格、与格、対格、呼格、奪格の分類を名詞の転尾として見る格辞のことである。それを単数と複数で一覧にする。
格辞、は についてはとりわけ興味のある記述を行っているようである。すなわち、
>概していえば、それの接する語を指示し、提示し、明記し、列挙するという心持を表す
>「人は、誰々に関して」とかいう場合のように、特別の勢と心持とをもった主格であることを示す
と説明している。ここにある、心持とはその意味するところが何であろうかと思わせる。
>この国語の特徴とみられるのは、ほとんどあらゆる場合の言い方にふくまれている尊敬および丁寧の仕方において豊富であり、典雅であるということである。42ページ。
ロドリゲスの日本語文典に記述される日本語の特色である。この言及の前にも同様の、はなはだ豊富であり典雅である、と指摘したことは、同一のことを言い表す多数の語があること、その中のあるものは他のものより適切であるということ、動詞相互また名詞相互で作る複合語があって簡潔に力強く言い表すことができること、そして副詞が多くあり事物や動作の特殊な状況をきわめて適切に示す、複合語と副詞で示すことであると述べている。この観察はいまのわたしたちのことばの状況にそのままあてはまる。漢字語の熟合はもとより、ロドリゲスが言う身振り手振りで表さなければならない言語に対して日本語はいまもこの当時にも擬声などを用いて副詞とし表現をしたのであろう。そして、このことと違ったところで、さきの国語の特徴が再び指摘されている。42‐43ページ
>すなわち話し相手なり話題に上る人なりの身分に高下に相応したそれぞれの副詞があり、また動詞や名詞に接続するいろいろな助辞がある。そういう助辞や動詞の一語一語をその性格に応じて使おうとすれば、だれと話し、誰のことを話し、どういう物について話すかということを常に考慮しなければならない。したがってそれらは、尊敬と丁寧の加わった言い方たとともに学ぶのでなければ、学び得るものでない。
この見事な洞察はそのまま日本語の文法原則であると言ってよい。自らが持つ言葉の規則である格、数や性の規則に照らし完全な言語と不完全な言語とするのはその規則ゆえであるが、日本語をそれに対照してなお規則を見出そうとしている。日本語大文典の始まりは主格、属格、与格、対格、呼格、奪格の分類を名詞の転尾として見る格辞のことである。それを単数と複数で一覧にする。
格辞、は についてはとりわけ興味のある記述を行っているようである。すなわち、
>概していえば、それの接する語を指示し、提示し、明記し、列挙するという心持を表す
>「人は、誰々に関して」とかいう場合のように、特別の勢と心持とをもった主格であることを示す
と説明している。ここにある、心持とはその意味するところが何であろうかと思わせる。