日本語を文章にする。文章で書くという行為は、日本語作文を綴ることではあるが、書きことば、話し言葉という便宜、捉え方にその用途によっての説明に対して、言葉を用いて表そうとすることを文章にするということがあってよい。したがって文章を書くか、書かないか、日本語になる、書くという作業となる。ここに、文章、章句、詞、辞とならべれば、おのずとこれは文章における言葉の分け方になる。文章はまとまった章句の連続体となるし、章句としてみる塊が、それで文章となってよい。章をつくるのは句であるから、句の分け方が言葉の一つ一つを明らかにしている。句は詞を連ねる。句にはまた、そのほかに辞を見ることができる。日本語文章の言葉は、詞と辞とから成り立つ。句を例にすれば、言葉がまとまって。その一つを見るならば、句の様々な現われがあるが、そこには詞があり辞があるということである。言葉に出して、あるいは文字にして、今日は良い天気だ、という句は、今日は よい 天気だ というふうに、詞また詞と辞をもってまとまる言葉が現れる、と、そこには、句としての意味内容を持つ。きょうは といいだせば、その時間を見るし、よい といえば、その様子をさして、天気 のことを意味と理解する。それを、天気だ ということで、日本語の句になる、まとまった表現の句がある。句が連なって章句となると、まとまった意味内容がそこに表現されていることを読み取る、また、聞き取ることになる。
日本言語国語を日本語にする。日本語は、訓読みをすれば、やまとことばである。すると、国語を和語にする、ということである。国語が近代のイデオロジーによって形成されたとするなら、日本語は現代の言......