ゆ党とあった。おもしろい言い方だ。癒着するからか。や、ゆ、よ、並べてみるとよくわかる。日経記事にあった。風見鶏。「ゆ党」の先行きを憂う、と題している。この言葉は、本来、揶揄である。記事の書き出しは、次である。>どんな選挙でも必ず野党に投票するという有権者がいる。権力は強すぎない方がよいと熟慮してそうする場合もあろうが、とにかく偉そうなやつが気にくわないという単なるすね者のことも少なくない。> 冒頭に記したタイプの有権者は既成勢力の仲間入りした新党にはもはや興味を示さない。飽きっぽい世間から忘れ去られないためにはどうすればよいか。一点突破で掲げた公約が実現するのが最もよいが、野党では手も足も出ない。そんなときに与党からお誘いが来るとついよろめいて……。表に示したように過去40年の主な新党のほとんどは自民党に合流した。その分析は、政治の力学なのか、ほかには、それこそ風見鶏か。
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20150906&ng=DGKKZO91415510W5A900C1PE8000
風見鶏「ゆ党」の先行きを憂う
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どんな選挙でも必ず野党に投票するという有権者がいる。権力は強すぎない方がよいと熟慮してそうする場合もあろうが、とにかく偉そうなやつが気にくわないという単なるすね者のことも少なくない。
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投票行動分析の権威である政治学者モリス・フィオリーナ氏の業績評価投票理論では説明できないこうした有権者の志向に最も合うのが、選挙が近づくたびに出てくる「新党」である。既成政党を歯切れよく批判するカリスマ的なリーダーのもと、一点突破的な公約を掲げ、ブームを巻き起こした例を数多く見てきた。
当然ながら長続きはしない。既成政党が寄り集ってできた新進党や民主党などを除く新党のうち10年以上続いたのは二院クラブなどわずかだ。1980年の参院選の全国区でワン・ツー・フィニッシュを果たした市川房枝氏と青島幸男氏という当時有数の人気者が手を組んだ二院クはよほどの例外である。
冒頭に記したタイプの有権者は既成勢力の仲間入りした新党にはもはや興味を示さない。飽きっぽい世間から忘れ去られないためにはどうすればよいか。一点突破で掲げた公約が実現するのが最もよいが、野党では手も足も出ない。そんなときに与党からお誘いが来るとついよろめいて……。表に示したように過去40年の主な新党のほとんどは自民党に合流した。
自民党が初めて野党に転落した90年代にはもっとあからさまな政党移動もあった。典型例が税金党の野末陳平氏である。
89年の参院選では自民党を「老害と癒着の土壌の上に咲いた毒の花」と批判していたのに、翌年には税金党を解党して自民党入り。非自民の細川政権ができると自民党を飛び出し、自民党が政権復帰すると細川政権の枠組みでつくった新進党を離れた。「政策を実現するため」と語る記者会見を何回聞いたことか。
この頃、永田町では「今わしは何党かねと秘書に聞き」との川柳がはやった。
96年の衆院選から小選挙区制になり、既成政党間の移動はハードルが少し高くなった。現職与党議員がいる選挙区の野党議員からみて、次の選挙で公認される当てのない与党入りはメリットがないからだ。
代わりに目立ち始めたのが、野(や)党でも与(よ)党でもない中間の「ゆ党」という存在だ。国会の法案採決では与党とおおむね足並みをそろえつつ、選挙では独自性をアピールする。「増税の前にすることがある」と行政改革を掲げたみんなの党は最盛期の2010年の参院選では794万票を得て、公明党の定位置だった3位の座を奪った。
野党色を薄めると、ときの首相がときどき「貴党の意見は傾聴に値する」と褒めてくれる。小さな野党でも大きな与党の力を上手に利用すれば政策が実現できる。みんなをつくった渡辺喜美氏はこれを「てこの論理」と呼んだ。
与党にも打算がある。与党のほかにも法案に賛同する政党があれば幅広い国民的な合意がなされたとの印象を内外に与えることができる。「ゆ党」の存在は、与党が巨大化するよりも政治的には価値がある。
裏返せば「ゆ党」がどれほど政権に忠誠を尽くしても与党入りさせたら意味がない。人気がなくなると使い捨てにされたみんなの末路は哀れだった。
安全保障関連法案の参院採決が近い。「ゆ党」の価値が最も高まるこの時期に野党内に安倍政権への接近に前のめりの人々が現れたのは政治の法則に沿ったごく自然な動きだ。その将来も過去例通りになるのか。興味深く見守りたい。
(編集委員 大石格)
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20150906&ng=DGKKZO91415510W5A900C1PE8000
風見鶏「ゆ党」の先行きを憂う
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どんな選挙でも必ず野党に投票するという有権者がいる。権力は強すぎない方がよいと熟慮してそうする場合もあろうが、とにかく偉そうなやつが気にくわないという単なるすね者のことも少なくない。
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投票行動分析の権威である政治学者モリス・フィオリーナ氏の業績評価投票理論では説明できないこうした有権者の志向に最も合うのが、選挙が近づくたびに出てくる「新党」である。既成政党を歯切れよく批判するカリスマ的なリーダーのもと、一点突破的な公約を掲げ、ブームを巻き起こした例を数多く見てきた。
当然ながら長続きはしない。既成政党が寄り集ってできた新進党や民主党などを除く新党のうち10年以上続いたのは二院クラブなどわずかだ。1980年の参院選の全国区でワン・ツー・フィニッシュを果たした市川房枝氏と青島幸男氏という当時有数の人気者が手を組んだ二院クはよほどの例外である。
冒頭に記したタイプの有権者は既成勢力の仲間入りした新党にはもはや興味を示さない。飽きっぽい世間から忘れ去られないためにはどうすればよいか。一点突破で掲げた公約が実現するのが最もよいが、野党では手も足も出ない。そんなときに与党からお誘いが来るとついよろめいて……。表に示したように過去40年の主な新党のほとんどは自民党に合流した。
自民党が初めて野党に転落した90年代にはもっとあからさまな政党移動もあった。典型例が税金党の野末陳平氏である。
89年の参院選では自民党を「老害と癒着の土壌の上に咲いた毒の花」と批判していたのに、翌年には税金党を解党して自民党入り。非自民の細川政権ができると自民党を飛び出し、自民党が政権復帰すると細川政権の枠組みでつくった新進党を離れた。「政策を実現するため」と語る記者会見を何回聞いたことか。
この頃、永田町では「今わしは何党かねと秘書に聞き」との川柳がはやった。
96年の衆院選から小選挙区制になり、既成政党間の移動はハードルが少し高くなった。現職与党議員がいる選挙区の野党議員からみて、次の選挙で公認される当てのない与党入りはメリットがないからだ。
代わりに目立ち始めたのが、野(や)党でも与(よ)党でもない中間の「ゆ党」という存在だ。国会の法案採決では与党とおおむね足並みをそろえつつ、選挙では独自性をアピールする。「増税の前にすることがある」と行政改革を掲げたみんなの党は最盛期の2010年の参院選では794万票を得て、公明党の定位置だった3位の座を奪った。
野党色を薄めると、ときの首相がときどき「貴党の意見は傾聴に値する」と褒めてくれる。小さな野党でも大きな与党の力を上手に利用すれば政策が実現できる。みんなをつくった渡辺喜美氏はこれを「てこの論理」と呼んだ。
与党にも打算がある。与党のほかにも法案に賛同する政党があれば幅広い国民的な合意がなされたとの印象を内外に与えることができる。「ゆ党」の存在は、与党が巨大化するよりも政治的には価値がある。
裏返せば「ゆ党」がどれほど政権に忠誠を尽くしても与党入りさせたら意味がない。人気がなくなると使い捨てにされたみんなの末路は哀れだった。
安全保障関連法案の参院採決が近い。「ゆ党」の価値が最も高まるこの時期に野党内に安倍政権への接近に前のめりの人々が現れたのは政治の法則に沿ったごく自然な動きだ。その将来も過去例通りになるのか。興味深く見守りたい。
(編集委員 大石格)