ジェンダー研究所の学生卒業論文による報告会に出かけた。タイトルに文学作品関係があったので、興味を覚えた。しかし、時代をとって、LTBGに、テーマを論じるのは難しいと感じた。男色大鑑、西鶴のもの、作品を扱うだけでも、といって、文学研究ではないとすれば、どうだったかわからないが、ウイキペディアから、あらすじを載せておく。さて、その論は明快であった。同性愛 、男色物で、若衆の女性化に対して、その修正の女性であることに対して、自害することと出家させることとを対比させる。その推論は、女性化に終止符を打つ自殺と、男性化を遂げる出家である。論理は明快であるが、文学解釈を許す浮世草子でもあるので、その議論の立論根拠を、もう少し考えなければならないと思った。まず出家世界のとらえかたである。平安時代に行の文学作品に、なにがなんでも出家で事足れりとする世間に対して、実は武士の主君を失ったがために起こる生き方であり、女性はもっと救済を求めた出家である。男性僧侶の、そこに踏み込む精神世界は浄土宗の僧侶をもってして、いわば、世間に変わりばえしない戒律となってしまった宗教である。その尊厳と信仰は、日本的昇華を遂げたのである。西欧の修道に見る僧侶の世界ならいざ、そこで起こることがらは何か、と想像は、日本てき出家におよぶ。そこでの自由は語られることはない。論緒展開に出家が象徴する男色離れをさらに分析すると、それが女性化をやめて男性化を遂げるならば、どう考えるか、という論理である。
ウイキペディアより
>『男色大鑑』(なんしょくおほかがみ)は、井原西鶴による浮世草子。1687年(貞享4年)4月に発行。全8巻、各巻5章、計40章。男色が題材の作品は、室町時代に『稚児物語』、江戸時代初期の仮名草子に『藻屑物語』『心友記』があったが、浮世草子では初めての作品であった。
>内容とあらすじ
巻一
一 色はふたつの物あらそひ
男色・女色の起源を説き、「男色ほど美なるもてあそびはなき」とし、男色にかかわる和漢の故事を引いて例証。ついで、四十二歳まで諸国をたずね歩き「衆道しゆだうのありがたき事、残らず書き集め」た『若道じやくどう根元記こんげんき』を講説する男が登場、男色・女色の優劣を対比する二十三項を例示して「女じよを捨て男なんにかたむくべし」と強調し、多くの金銀を女に費やした一代男を難じて「ただ遊興は男色ぞかし」と結論する。序文の意を補い、意図的に女色をおとしめ男色を称揚して読者の気を惹き、本書の導入とする序章。
二 この道にいろはにほへと
京の大町人の息子でありながら、女嫌いに徹して「加茂の山陰」に隠棲、時に女の姿を見かける北側の窓をふさいで、美少年のみを相手に「手習ひ屋」を開く「一道」なる男がいた。そこに通う篠岡大吉と小野新之助は、ともに九歳の若年ながら、すでに男色のたしなみが深い。その二人の美少年は、八十余歳の念仏の行者が自分たちに「後世を取りはづ」うほどの執心と聞いて、行者を訪れ思いを晴らさせるが、再び訪れると行者は身を隠していた。その後、新之助が十四歳で死ぬと、大吉は深く嘆いて出家した。
三 垣の中うちは松楓かへで柳は腰付こしつき
大隅の浪人橘十左衛門の一子玉之助は、田舎には稀な美少年、江戸に出て奉公を望む。会津の太守の小姓となって会津に来た玉之助は、殿の御前の蹴鞠けまりの折に発病、半年ほど病臥する。その間、日に三度ずつ見舞って真情を示した笹村千左衛門と男色関係となるが、それが殿に「もれ聞こえ」て二人は閉門を命ぜられる。二人は切腹を願い出るが、玉之助に元服を仰せ付けられるのみの殿の温情。感激した二人は、二十五歳まで音信不通、会っても言葉を交わさず御奉公を勤めた。
四 玉章たまづさは鱸すずきに通はす
出雲の家中の増田甚之介は文武兼備の美少年、同じ家中の森脇権九郎は、十三歳の甚之介に憧れ、人目を忍んで松江の鱸の口に恋文を入れて送り、深い男色の契りを結んで二年余りが過ぎた。同家中の「末の奉公人」半沢伊兵衛が甚之介に恋慕、甚之介はそれを権九郎に語るが、権九郎はまともに取り合わない。怒った甚之介は、権九郎の不義をなじる長文の遺書を送った後、半兵衛との果たし合いに臨む。驚いた権九郎は甚之介の助太刀に来て、ともに半兵衛の一党十六人を切り退け、近所の永運寺の住持じゆうじをたのみ切腹の沙汰を待つが、殿の温情で許されることになった。
五 墨絵につらき剣菱けんびしの紋
鹿児島の新参の侍島村大右衛門は、剣菱の紋所だけを記した手紙と毒薬の入った文箱ふばこを石仏の前に置く怪しい下人を捕らえた。剣菱の紋は春田丹之介のものだったが、その文箱は、丹之介に恋慕して振られた岸岡竜右衛門が仕組んだもの。罪に落とされかけた丹之介は、大右衛門の機転によって難儀を救われた。その後丹之介は、偶然その身の難儀を救ったのが大右衛門であると知り、二人は念友の関係となる。大右衛門は、丹之介の屋敷の裏の大河を泳ぎ越えて通っていたが、ある時、大鳥と間違えられて、弓稽古の若侍に射殺されてしまう。その矢に記された藤井武左衛門という名から敵を知った丹之介は、武左衛門を大右衛門の墓前に連れ出し、相討ちで果てた。
巻二
一 形見は二尺三寸
さる大名の寵童ちようどう中井勝弥は十八歳、殿の寵が他に移り、自害を思って反古を整理中、母の遺書を見出し、父の敵が吉村安斎と名を変え、筑後柳川の辺りにいることを知る。殿に敵討ちを願い出て許され、寛永九年十月十二日に下人五人と出発、京で物乞いに落ちぶれている片岡源介に出会う。実は勝弥を慕う源介は身をやつして、影ながら勝弥の敵討ちを助けようとしていたのである。柳川で勝弥は、めでたく敵を討つが、源介の助力が多大であったことを知って、ともに江戸に帰り、殿に報告。殿も喜び、源介に三百石を加増、そのうえ勝弥を与えた。
二 傘持つてもゆるる身
身をぬらしても母が内職で作った傘を用いない孝心厚い美少年長坂小輪と出合った堀越左近に推挙され、小輪は赤石の殿の寵童となるが、殿に可愛がられるのは本意ならずと公言する意気地を持っている。ある夜、古狸の怪異を退治、一層殿の気に入られるが、神尾惣八郎を念友とし、殿の寝所の次の間で契る。その事を「かくし横目」金井新平に見出され、小輪は殿に長刀なぎなたで両手を打ち落とされ、首を切られて成敗される。一方、惣八郎は、新平の両手を切った後にとどめをさし、小輪の墓前で、小輪の定紋を腹に切り込み、切腹して果てた。
三 夢路の月代さかやき
無類の美少年好きの丸尾勘右衛門という剣術使いは、奈良の薪能たきぎのうの稚児ちご若衆に堪能した次の日、郡山家中の多村三之丞という美少年と知り合い、送り送られして道すがら堅い念友の契りを交わし、三月一、二日に再会を約すが、二月二十七日に死んでしまう。三之丞は、それを知らずに訪れ、勘右衛門の供養をしていた左内に事情を聞き、勘右衛門の代りに左内と契りを結ぶ。その夢の中に勘右衛門が現れ、三之丞の鬢付きを剃り直してくれたが、夢がさめると、三之丞の月代は本当に剃られていた。
四 東あづまの伽羅きやら様
仙台の薬屋小西の十助の店先からもれる伽羅の香りにひかれて伴ばんの市九郎という津軽町人は足をとめた。この男は、衆道ぐるいに江戸に行こうとするところ、その姿に十助の子の十太郎が一目惚れ、狂気のごとくなって病に臥した。臨終も近い時、市九郎が来ると夢現ゆめうつつにいう。市九郎が病床に招かれると、十太郎は元気回復、魂は市九郎に従って旅をしていたといい、その証拠にと幻の契りの折に渡した伽羅の割欠わりかけを出す。それを市九郎所持の割欠けと継ぎ合わせると一つになったので、縁の深さを感じた市九郎は、十太郎を貰い受けて津軽へ下っていった。
五 雪中の時鳥ほととぎす
江戸桜田辺の大名の若殿がひどい疱瘡ほうそうにかかった。時鳥の羽でなでればいいと言われたが、折悪しく冬で手に入らない。時鳥を飼う浪人島村藤内がいるのを聞き、お局つぼねの明石が使いに立つが、女嫌いの男はそれを追い返す。御小姓組の金沢内記・下村団之介なる二人の美少年が、命をかけて二羽の時鳥を貰い受け、屋敷の首尾はすむ。その夜、礼に訪れた二人は、「色道の念比ねんごろ」を願うが、藤内は「志の程も知れがたし」と拒む。が、切腹の用意までして来た二人の潔さを知った藤内は、二人に謝り、二人との衆道を取り結んだ。
巻三
一 編笠あみがさは重ねての恨み
契った男の数だけ鍋をかぶって女が神幸に供奉ぐぶする筑摩つくま祭を見物していた時、叡山えいざん根本中堂の阿闍利あじやりの寵童ちようどう蘭丸の編笠の上に編笠をかぶせ、蘭丸に別の念者がいるのを諷した男がいた。井関貞助である。確かに欄丸には、髪結いの白鷺の清八という念者がいたのだが、衆人環視の中で恥辱を受けた蘭丸は、清八にさりげなく別れを告げ、貞助を討果たすものの、法師たちに捕らえられる。難儀する蘭丸を清八が救い出し、二人は行方知れずになった。三年も過ぎた頃、鎌倉鶴岡八幡で修行者姿の二人が尺八を吹いているのを見たという人がいた。
二 嬲なぶりころする袖の雪
伊賀の国守の小姓山脇笹之介は、すこぶる機転のきく美少年だったが、追鳥狩おいとりがりの折に、伴葉右衛門が庭籠鳥にわこどりを下男に放させて笹之介に獲らせようとしたことを縁に男色関係を結んだ。西念寺の返り咲きの花見の時、葉右衛門が別の美少年の盃を受けたことを知って嫉妬した笹之介は、次に葉右衛門が訪れて来た時、厳冬の庭に立たせて入れなかったばかりか、雪の降る中で裸になるのを命じたりしてなぶり続けたので、葉右衛門は衰弱して死んでしまい、それを見た笹之介も切腹した。実は、寝間には床に二つ枕、酒盛りの準備までしてあったのだが・・・・・・。
三 中脇指ちゆうわきざしは思ひの焼け残り
駿河するが府中の京物棚きようものたなの一子万屋よろずや久四郎と深い念友関係にあった半助は、はかなくも死んだ久四郎の骨を高野山に納めに行く。高野山の千本の槙まきの奥まで来ると、久四郎の死霊が現れ、中脇差を渡し、「これは自分の棺桶に入れた脇差だが、さる侍の重代の刀を取り違えて入れたもの、すぐ親元に返してくれ」という。府中に帰ると、久四郎の両親が侍から脇差の返還を迫られて難儀をしている最中。半助が脇差を渡し、その時の様子を語ると、皆々驚き、感嘆した。
四 薬はきかぬ房枕ふさまくら
何某の侍従に仕える伊丹右京は、見るもまばゆい美少年、それを慕って母川采女もかわうねめは恋煩いの床に臥す。采女の念者志賀左馬之助が取り持ち、采女は快気する。一方、新参の細野主膳も右京を慕い、茶坊主を仲立ちにして口説くが相手にされず、右京を恨んで討とうとする。寛永十七年四月十七日の夜、右京は逆に主膳を討つが、浅草の慶養寺で切腹を命ぜられる。事情を聞いた采女は、右京切腹の場に駆けつけ、その場で同じく切腹。左馬之助も遺書を残し、初七日の日に自害した。
五 色に見籠みこむは山吹の盛り
血気盛んな若侍田川義左衛門は、大名の寵童ちようどう奥川主馬を見染め、後をつける。大名が参勤交代で江戸と出雲を往復する時も後を慕い、三年後には物乞いに落ちぶれて主馬の屋敷の門前に通った。主馬は、刀の試し切りと偽って義左衛門を呼び入れるが、見染めて以後の恋の思いが記された七十枚もの書き物を見て心を打たれる。主馬は、それを持って登城、このままでは不義に落ちるからと切腹を願い出るが、大名は閉門を命ずるのみ。その間に二人は思いを遂げるが、二十日目には閉門も許し、義左衛門を江戸へ送れとのみのありがたい仰せ。義左衛門は、葛城かつらぎ山の近くに隠棲、夢元坊と称して心清く過ごした。
巻四
一 情なさけに沈む鸚鵡盃あうむさかづき
かつては島原一の大臣客といわれた新在家の長吉ながよしが、遊女狂いをやめて、公家方の十六歳の美女藤姫に惚れ込み、妻として熱愛した。金のあるのに任せて、思いのままの華美な暮らし、桃の節句には鸚鵡貝の盃流しなどをしたりして、誠に華清宮の楽しみというべき栄華を尽していた。ところが、懐妊した藤姫が急死する。深く嘆いた長吉は出家しようとするが、親類に止められ、百日もたたぬうちに藤姫以上の美女を送られるが、長吉は、もはや女には飽きたと見向きもせず、その後は小姓を置いて男色に転じてしまった。
二 身替みがはりに立つ名も丸袖まるそで
金沢の野崎専十郎は、女と見まごう風俗ながら心根強く、命を何とも思わぬ美少年。専十郎には、人知れず深い男色関係にある竹島左膳という念者がいた。その専十郎に今村六之進が恋慕して口説くが聞き入れられず、左膳との念比ねんごろを知って無理にも左膳から貰い受けようとする。専十郎は六之進に「左膳を討てば言う事をきく」と偽り、左膳の身代わりとなって六之進に討たれる。それを知った六之進は、専十郎に変装し、「六之進と専十郎があなたを裏切った」と下男に注進させて押しかけ、左膳に斬られる。事実を知った左膳も六之進の死骸に腰かけて自害した。
三 待ち兼ねしは三年目の命
和歌山に隠れなき美少年菊井松三郎は、瀬川卯兵衛と深い男色関係にあった。竜灯りゆうとう見物の折の誤解も解け、二人は一層親しみあっていたが、卯兵衛の友人横山清蔵が横恋慕、松三郎を譲れと迫る。卯兵衛の迷惑これに極まり、決闘を決意するが、清蔵の申し出により、松三郎が元服する三年後に果たし合いをすることを約し、親しく交わりつつ平穏な日々を送る。三年後の十月二十七日、卯兵衛と清蔵は野寺に行き、位牌も用意して刺し違えて死んだ。事情を知った松三郎は、出家して二人を弔うことを勧められたにもかかわらず、潔く自害した。
四 詠ながめつづけし老木おいきの花の頃
江戸谷中やなかの門前筋に住む二人の老人、いい後生ごしよう友達かと思われたが、実は、昔筑前の城下で美少年の名も高き玉島主水と武芸の達人豊田半右衛門の二人が、主水に横恋慕した男を討ち果して世間をはばかり隠れ住んでいたのだった。二人は今六十三歳と六十六歳、それでも昔に変わらぬ心情を持って深く心を交わし合い、女の顔を見ずにこの年まで過ごして来た。折柄三月、上野の花見に来てにわか雨にあい軒先を借りた女たちが、家の中をのぞくと、手元の竹箒たけぼうきをひっさげて追い払うほど。広い江戸にも稀な女嫌いであった。
五 色噪いろさわぎは遊び寺の迷惑
尾張熱田神宮の神主大中井兵部太夫の一子大蔵と、高岡川林太夫の子外記げきとは、深い男色の契りを結び、いつも二人一緒だった。ある時、若衆友達大勢が寺に集まり、住持じゆうじの留守を幸いに、芸尽くしなどで大騒ぎ、その後、歌舞伎狂言の真似をしていた時、外記が誤って大蔵の首を打ち落としてしまう。外記は自害しようとするが止められる。大蔵の親兵部太夫は、我が子の事は外にして国守に外記の命乞いをし、外記の許嫁いいなずけであった娘とともに貰い受けて祝言させ、家を譲って親子の語らいをなした。
巻五
一 泪なみだの種は紙見世かみみせ
昔は舞台子の花代も金一歩(銀十五匁)と安かったが、妙心寺関山国師三百五十回忌の折に諸国の裕福な僧が集まり役者買いをした時から銀一枚(約四十三匁)と定まって、今に至っている。さてその頃、村山座の花形役者藤村初太夫は、東山の花見帰り、酔った男にからまれて難儀しているところを、いろはの十郎右衛門の見事なさばきで救われた。それが縁となり、二人は二年余り深い契りを結ぶが、親戚と継母に疎まれた十郎右衛門は行方知れずになる。初太夫は引き籠って役者もやめ、一時紙見世を出すが、十九歳で出家して高野山に隠棲、はるか後、十郎右衛門が天の橋立で死んだことを知って、ねんごろに弔った。
二 命乞ひは三津寺みつでらの八幡
若衆歌舞伎時代の塩屋九郎右衛門座の平井しづまは、末代にもあるまじき美少年。ある時、長崎商いで成功した堺の七十余歳の老人が、その芝居を見物、茶屋の亭主に頼み、しづまへの思いを遂げさせてくれという。しづまが応じ、老人と茶屋で出会うと、老人は恋煩いの息子に会ってくれと頼む。承知して待つしづまの前に現れたのは十四、五歳の美少女、意外だったが一夜の契りを込めて別れた翌日、女は病死した。七日後それを聞いてしづまも病となり、三津寺に祈って命乞いをしたが、その日の夕刻に死んだ。
三 思ひの焼付やきつけは火打石ひうちいし売り
玉川千之丞は小唄も芸もすぐれた名女方、十四歳で都の舞台を踏んで四十二歳の大厄まで振袖を着て、一日も見物人に飽かれることがなかった。そのため千之丞におぼれて家財を蕩尽した人も多かったが、尾州に隠れなき三木さんぼくと呼ばれた風流男やさおとこもその一人、行方知れずになった後、拾い集めた火打石を売って五条河原を宿とする物乞い暮らし。それを知った千之丞は、河原を訪ねて三木に出会い、情けをかけるが、三木はいずくかへ身を隠してしまう。それを嘆いた千之丞は、残った火打石を集めて塚を築き、法師に守らせた。それをある人が、新恋塚と名づけたという。
四 江戸から尋ねて俄にはか坊主
高野山と山続きの玉手の里の老和尚の弟子可見という美僧は、もと江戸の人気役者で芸にもすぐれた玉村主膳、三年ほど草庵を結んで修行に励んでいた。そこに江戸で抱えていた浅之丞が訪ねて来たが、一夜語らい、もてなすだけで関東へ帰らせてしまう。浅之丞は、一度関東に帰った後、元結を払って再訪、主膳とともに修行に励む。浅之丞に恋していた村娘も、その出家姿を見て狂気するが、心をおさめて自ら髪を切って出家する。その後、山本勘太郎という美少年も、竜田の紅葉見の帰りに主膳・浅之丞を訪れ、その殊勝さを見て出家した。
五 面影は乗掛のりかけの絵馬ゑむま
都の男はもとより、人の女や娘に恋死にの思いをさせた玉村吉弥は、春狂言の仕組に行く途中、自分をじっと見つめる田舎男がいるのに気づき、手元の楊枝を男の袖口に投げ入れて喜ばせた。男は狂乱の心となり、金さえあればこの恋も叶うと思って、ただちに本国佐渡島に帰り、金銀をため、金山を掘り当てて大金持ちとなり、五年後に都に上った。吉弥はもはや若衆姿をやめ、元服して大きな男になっていたが、男は昔に変わらぬ心ざしに感じ、一生暮らしに困らぬほどの大金を与えて、佐渡に帰った。
巻六
一 情なさけの大盃おほさかづき潰胆丸びつくりまる
身体つきも物腰も女らしく、舞も拍子ひようしもすぐれた若女方の伊藤小太夫は、都で抜群の人気だったが、美道の意気をおろそかにせぬ若衆だった。春の日暮れ、身をやつした三十一、二歳の女の不審なふるまいを見て訳を尋ねると、「夫が小太夫に恋煩い、今は零落して死の床にある。何か小太夫の物を見せてやりたい」という。その場の者が定紋付きの緋無垢ひむくを渡し、それを知った小太夫は、その人に会おうと狂乱のようになるが、女は翌日、夫が小太夫の緋無垢を見て満足して死んだと涙ながらに話したので、皆感じ入った。
二 姿は連理れんりの小桜
小桜千之助は、身持も固く芸達者、愛敬の備わった若衆だが、荒木与次兵衛座の舞台に高下駄たかげたの行者姿で登場、長台詞を見事に語った。浮気男どもが、千之助の持つ木の枝に思い思いの恋文を結びつけたが、中にも二十四、五歳の頬被りした男の文は、真情のあふれたものだった。千之助が、その男を訪ね、思いを遂げさせてやると、男は感激して、脇差を抜きもあえず腕に二、三か所傷つけて心中を示し、その後はどこかへ身を隠してしまったという。これは千之助の草履取りに聞いた本当の話だ。
三 言葉とがめ耳にかかる人様
生国は石見いわみの浜田の浪人が、滝井山三郎を慕い、絞り煙草入たばこいれを売った金で毎日木戸銭を払い、その舞台姿を見つめていた。ある舞台で山三郎が台詞を間違えたとき、それをなじる男があり、浪人と口論となって芝居は滅茶苦茶となった。その帰りがけ、浪人は、その悪口した男を斬り、偶然山三郎の草履取りの裏棚に逃げ込む。これが縁となって、浪人と山三郎は衆道の契りを結ぶが、浪人が母親の懇請で浜田に帰った後に、音信が絶えたことを嘆いた山三郎は床に臥し、十九歳で亡くなった。
四 忍びは男女なんによの床とこ違ひ
女方の元祖と称された初代上村吉弥きちやは、今流行る吉弥結びを工夫したことでも知られるが、ある時、高貴なお方から、舞台姿そのままで屋敷へ参るようにと招かれた。厳しい警備を女ということで通過、奥まった高雅な一室へと導かれて行ったが、侍女たちは吉弥を見て大騒ぎ。主人らしき官女と盃を交わし始めた時、その兄君の当主が帰還した。吉弥を「歌舞の女」とごまかそうとするが、当主に召し上げられる。吉弥は困って女鬘おんなかずらをとると、これはなおよしと可愛がられることになった。妹君の方は、さぞがっかりしたことだろう。
五 京へ見せいで残り多いもの
貞享三年の春、『他力本願記』の仕組が大当たり、大坂周辺の農村からも大勢の見物客が集まったが、それは皆鈴木平八一人がお目当てだった。その中でも大家たいけの娘と思しき美女は、平八をじっと見つめたまま、平八の楽屋入りを見送ると同時に気絶した。作者(西鶴)はその娘に気付け薬を与えて介抱、無事帰宅させたが、そのまま娘は病臥、三月八日に亡くなった。その日平八は、坂田銀右衛門方で竹本義太夫・伊織らの浄瑠璃を聞いて帰宅したが、夕暮から病に伏して衰弱し始め、閏三月八日には「幻に美女が見える」と言って息を引き取った。享年二十三歳、何とも惜しまれることだ。
巻七
一 蛍も夜は勤めの尻しり
村山又兵衛座の太夫子たゆうこ吉田伊織・藤村半太夫の二人は、容貌も芸も客あしらいも今の世界に又とない役者、とはいえ、勤め子にも太鼓持同様それぞれに苦労は多い。ある夜、半太夫は常連客から大鶴屋の二階座敷に招かれていたが、窓から蛍が二つ三つその袖にとまった。蛍も尻でもてはやされるなどとからかわれているうち、その蛍は、半太夫に思いをかける道心者が放したものとわかる。せめては盃をという声を聞いて足早に立退いた道心者は、足を滑らして増水した川に落ち、死んでしまう。後、半太夫は出家するが、その道心者は夜ごと夢に現れ、しみじみと話を交わした。
二 女方をんながたもすなる土佐日記とさにき
道頓堀畳屋町に開店したばかりの井筒屋という扇屋は、松島半弥が引退して開いた店だが、若衆盛りでの引退はいかにも惜しい。まして半弥は、客あしらいが抜群、美形でセンスもよく機転もきき、古今に稀な女方だったのだから。荒木座に抱えられて出演していた時、田舎めいた男が舞台に上がり、脇差を抜いて小指を切り落とし、半弥に心中立てをした。半弥は慌てず対応し、その夜、男と盃を交わし、また会うまでの形見として袷あわせと中脇差を贈った。男は土佐へ帰る船旅の途中、半弥を思うあまりに狂乱し、貰った脇差で自害してしまった。
三 袖も通さぬ形見の衣きぬ
道頓堀心斎橋の人形屋新六は、旅中に行き暮れ、丹波の子安こやすの地蔵堂で夜を過ごしたが、そこに切戸の文殊が現れ、今夜、道頓堀の楊枝屋に生まれた男の子は、芸子になって十八歳の正月二日に早死にすると予言するのを聞く。帰ってみると、その日楊枝屋に男の子が生まれていた。その子は十三歳からその道に入り、戸川早之丞と名乗って大和屋甚兵衛座に出て評判をとったが、役者仲間の念者に溺れて客を大事にしなかったため、極貧の状態となった。大晦日に借金を払えず、芝居衣裳を取り戻され、初芝居に着ていくものもないのを恥じて、正月二日に自害して果てた。
四 恨みの数をうつたり年竹としだけ
村山座の玉村吉弥は盛りの若衆、客に誘われて伏見の城山に初茸狩はつたけがりに行き、日暮れにさる草庵に立ち寄った。その庵主の所に、わからぬ年齢を正直に知らせる年竹なるものがあり、若衆たちの年穿鑿としぜんさくをするが、若衆は皆、年を隠しているもの、二十二歳の庵主より若い者は一人もなかった。初茸の塩焼で酒宴となったところに、強面こわもての男伊達おとこだてが闖入ちんにゆう、吉弥に盃を無理やり所望する。吉弥は巧みに男をあしらい、酔って寝た男の釣髭と片鬢を剃って土産に持ち帰り、笑いの種とした
五 素人絵しろとえに悪にくや金釘かなくぎ
堺の裏の地引き網を見ようと、岡田左馬之助に誘われて出かけたが、途中で那波なば屋と嵐三右衛門らの一行と出会い、さらに上村辰弥なども加わる。堺の中浜で酒宴、極上の気分の時、美少年の姿に金釘を打ち付けた檜板が流れてくる。これは筑前の男が、失恋した若衆を恨んで作り、海に投げ入れたもの、左馬之助は若衆に同情、その釘を抜き捨てた。その後、南宗寺を見学、乳森ちもりの遊女町も見て大坂に戻り、夜は荒木与次兵衛座の稽古で若衆たちの見事な素顔に堪能した。
巻八
一 声に色ある化物ばけものの一ふし
藤田皆之丞は高貴な御婦人方に何度も惚れ込まれたが、女色にふけることのない篤実な若衆、この美少年を連れて京の涼みに出かけた。石垣町の大鶴屋の二階から見渡せば、まさに都といった風情、涼みの様子を眺めていると、茶屋の棟に不思議な美女が現れて、誰とも知らず人を招いたが、その相手は皆之丞のようだった。せめては盃事をと皆之丞に無理に飲ませて軒に盃を投げると、女は嬉しげにいただいてから盃を投げ返したが、どうもこの辺に隠れなき井筒屋の娘のようだった。
二 別れにつらき沙室しやむの鶏
昔の松本名左衛門、中頃に宮崎伝吉、現在の峰野小曝こざらしは、その時々の美少年の代表、見とれながら飲んだことを今も身にしみて忘れないが、中にも小曝は、衣裳に豪奢な新趣向をこらして若衆の手本となった。役者たちの慰みも種々、その時々に変わるものだが、小曝は沙室の闘鶏を好み、三十七羽の鶏を飼って自慢にしていた。ある夕暮に憎からぬ客が訪れ、しめやかに語らっているうち、鶏が一斉に泣き出し、客は名残を惜しんで帰って行った。「恋の邪魔をする鶏め」と小曝は、一羽も残さず追い払った。
三 執念しふしんは箱入りの男
備前の人が上京してきたので、菱屋六左衛門の二階座敷を借り、竹中吉三郎・藤田吉三郎など古今に稀な者を相手に楽しく飲んでいたところに、誰からとも言わず進物を入れた箱が届けられた。酒宴が終わった後、その箱から「吉三、吉三」と呼ぶ声がする。開けてみると角前髪すみまえがみの人形、添え状の説明によれば、この人形に魂が入り、両吉三郎を恋い慕う故に届けるとの由。一座の物に驚かぬ男が、「両人に思いをかける見物は数多く、とても人形の思いなど叶わぬ」と説得すると、人形も納得してあきらめたようだった。
四 小山の関守せきもり
天和三年四月、藤井寺の開帳があり、重しげという人に誘われて出かけた。その日は鳴物なりもの停止ちようじの日で役者たちは隙ひま、大勢の若衆も参詣に来た。小山の里に宿を借りて酒宴をしながら役者たちの品定めをする趣向で楽しんだが、十六人の若衆のうち最上は上村うえむら辰弥たつやということになった。この辰弥にはこんな話もある。ある座敷で客が、「心中立てに指を切ることはできまい」と何心もなくいうのを聞いた辰弥は、ただちに脇差で親指を押し切り、これを肴にと投げ出して、その後も上機嫌で遊んだ。皆々感嘆したことだった。
五 心を染めし香かうの図は誰たれ
この前、大坂箕面みのおの勝尾寺の開帳があり、大和屋甚兵衛を誘って参詣したが、途中、北中島の宮の森で休んでいると、十五、六歳の大家の娘らしい美少女が、お供とともにやって来た。それまで何気なく歩いてきた女は、甚兵衛を見ると顔を赤らめ袖をかえしてみせた。そこには甚兵衛の香の図の定紋が染め込まれていた。これは出来心とは思われぬが、女は駕籠に乗せられて去った。その夜は桜塚の落月庵で俳諧を興行し、皆々道頓堀に戻った。
LGBT(えるじーびーてぃー)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/LGBT-192043
性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致)の頭文字をとった総称であり、他の性的少数者は含まない。1970年代には主にゲイが法的権利獲得や差別撤廃などを求めて「プライド」などと称されるパレード他の活動を始め、次第に4者が合流して全世界に活動が広まった。世界最大規模のブラジル「サンパウロ・ゲイ・プライドパレード」では、2009年に推計320万人が参加しており、日本 ...
知恵蔵miniの解説
LGBT
性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致)の頭文字をとった総称であり、他の性的少数者は含まない。1970年代には主にゲイが法的権利獲得や差別撤廃などを求めて「プライド」などと称されるパレード他の活動を始め、次第に4者が合流して全世界に活動が広まった。世界最大規模のブラジル「サンパウロ・ゲイ・プライドパレード」では、2009年に推計320万人が参加しており、日本でも各都市で大規模なパレードが開催されている。13年現在、同性結婚を認めた国は約20カ国にのぼり、14年4月15日にはインドで「第三の性」(トランスジェンダー)を法的に認める最高裁の判決が出された。
デジタル大辞泉の解説
エル‐ジー‐ビー‐ティー【LGBT】[lesbian, gay, bisexual, transgender]
《lesbian, gay, bisexual, transgenderの頭文字から》性的マイノリティーであるレスビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの総称。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
LGBT
エルジービーティー
レズビアン lesbian,ゲイ gay(→同性愛),バイセクシュアル bisexual(→両性愛),トランスジェンダー transgenderの頭文字をとった頭字語。その 4者だけでなく,性別(→性)や性的指向に関する少数者全般をさす語としても使用される。LGBTの末尾に,性的欲望をもたないアセクシュアル asexualの Aや,性的マイノリティ全般をさすクィア queerの Q,あるいは,自身の性別や性的指向にゆれを感じ,分類できないと考えるクエスチョニング questioningの Qなど,さまざまな性的マイノリティの頭文字が加えられることもある。生物学的な性別が典型的な男性型,女性型ではない性分化疾患 DSDs; disorders of sex developmentの人をさすインターセックス intersexの Iをつけることもあるが,性分化疾患の当事者には,中間の性を想像させる intersexという語を否定し,さらに LGBTと問題が異なると主張する人も多い(→半陰陽)。また,性的少数者,性的マイノリティという語のほうがより包括的であり,アイデンティティで区分しないため望ましいという見方がある一方,それらの語ではそれぞれのまったく異なる状況や経験が不可視化されるという指摘もある。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
> 電通総研が2012年(平成24)に行ったアンケートによると、20~59歳までの男女約7万人のうち、LGBTに該当する人の割合は5.2%であったという。2010年にはじまったLGBT交流会「にじだまり」(福岡県)をはじめ、LGBTをテーマにしたカフェイベントや映画祭など、理解を深める場が着実に増加している。就職の際に偏見を受けることが以前から問題視されており、近年は、外資系企業を中心に社内支援グループが活動し、LGBTの人たち向けに個別の就職説明会を開く会社もみられるようになっている。
LGBT - Wikipedia - ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/LGBT
LGBT(エル・ジー・ビィー・ティー)または GLBT(ジー・エル・ビィー・ティー)とは、女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の各単語の頭文字を組み合わせた表現である。LGBTという言葉は性の多様性と性のアイデンティティからなる文化を強調するものであり、性的少数者という言葉と同一視されることも多いが、LGBTの方がより限定的かつ肯定的な概念である。
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バリエーション
LGBTにクィア(Queer)のQを加えたLGBTQも、一部で使われることがある。男性と女性の両方の性的な特徴と器官があるインターセックス(Intersex)
LGBTは頭字語であるが、これ以外に英語において、様々な、類似した性的多様性の集団を表現する頭字語がある。以下は、概略である。
LGB
レスビアン、ゲイ、バイセクシュアルのイニシャル語で、三つの性的指向集団。
T
トランスジェンダー(TG)のことで、これと、LGB が組み合わさって、LGBT となる。
LGBTQ
LGBT に Q が加わったもので、この Q は、クィア(Queer)を意味している場合と、クエスチョニング(Questioning、セクシュアリティのアイデンティティについて未確定の人)を意味している場合がある。
LGBTT
LGBT に今一つの T が加わる。この T はトランスセクシュアル(Transsexual, TS)の場合が一般。
LGBTTT
上の LGBTT に更に T が加わる。この T は、トゥー・スピリット(Two-spirit アメリカ・インディアンの伝統的な共同体などにおける、二つの性別を行き来する人々)の頭文字である。
LGBTI
LGBT に I が加わる。これはインターセックス(Intersex)の頭文字である。この概念は2010年8月ジョグジャカルタ原則の解説と同原則を踏まえた世界の人権団体の活動について書かれた文書「Activist's Guide」において一貫して用いられている
LGBTA
LGBT に A が加わる。これは無性愛(エイセクシュアル、Asexual)のイニシャルである。別のイニシャルの場合もある。
LGBTTQQIAAP
LGBT に 上述のtranssexual、queer、questioning、intersex、asexual、ally(ストレート・アライの略。支援者)、pansexual(全性愛、パンセクシュアル)が加わる。
QUILTBAG
上述のqueer と questioning、intersex、lesbian、transgender と two-spirit、bisexual、asexual と ally, gay と genderqueer の頭文字。
以上の他に、別のパターンの頭字語も存在する。
SGL
同性愛コミュニティを意味する。アフリカ系アメリカ人のあいだで、LGBT を白人優位コミュニティの言葉として捉えて使用される。(Same gender loving のイニシャル)。
LUG、GUG、BUG
主として若い女性が使用する滑稽語である。レスビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)の頭文字に、Until Graduation(卒業まで)の頭字語(UG)を加えて作られている。大学時代に機会的同性愛・両性愛を経験した者を指す(参照:lesbian until graduation)。
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LGBTという用語にまつわる歴史
1960年代の性の革命に至るまで、「異性愛=正常」とされる人々のコミュニティで使われていた軽蔑的な意味の言葉以外に、上述したような人々やその集団を表した中立的で一般に知られた用語は存在しなかった。第二次世界大戦以前には、第三の性(Third gender)」という言葉が使われていたが、大戦後、この用語は使われなくなった。これらの人々が性にまつわる権利を主張する運動が組織化していく過程で、自分たちは如何なる存在であるかを、肯定的な形で表現するための用語が必要となった。(異性規範性=ヘテロノーマティヴィティ、Heteronormativity と比較)。
最初に使われた用語である "Homosexuality"(ホモセクシャリティ)は、否定的で余分な意味をあまりに強く帯びていたので、主として男性同性愛者の間で "gay" (ゲイ、陽気の意)という用語に置き換えられた。そしてレスビアンたちが自分たちのアイデンティティを錬成させて行くにつれ、ゲイとレスビアンという用語は更に一般なものとなった。このことは間もなく、メジャーな一般社会のなかで、法的に正当な集団範疇としての承認を求めていたバイセクシュアルとトランスジェンダーの人々によって踏襲された。
しかし、1970年代後期から1980年代初期には、感覚的な受け取りにおける変化が始まり、一部のゲイ・レスビアンからは、バイセクシュアルやトランスジェンダーの人々に対する反感・蔑視を表明する動きが表面化する[注記 1]。1990年代に至るまで、人々が「ゲイ、レスビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人々」を、それぞれに同等な尊厳を持っている者として語るのは、通常のことになっていなかった。
1990年代半ば以降、LGBTという言葉は北米、そして欧州においては一般的な用語となった。
ウイキペディアより
>『男色大鑑』(なんしょくおほかがみ)は、井原西鶴による浮世草子。1687年(貞享4年)4月に発行。全8巻、各巻5章、計40章。男色が題材の作品は、室町時代に『稚児物語』、江戸時代初期の仮名草子に『藻屑物語』『心友記』があったが、浮世草子では初めての作品であった。
>内容とあらすじ
巻一
一 色はふたつの物あらそひ
男色・女色の起源を説き、「男色ほど美なるもてあそびはなき」とし、男色にかかわる和漢の故事を引いて例証。ついで、四十二歳まで諸国をたずね歩き「衆道しゆだうのありがたき事、残らず書き集め」た『若道じやくどう根元記こんげんき』を講説する男が登場、男色・女色の優劣を対比する二十三項を例示して「女じよを捨て男なんにかたむくべし」と強調し、多くの金銀を女に費やした一代男を難じて「ただ遊興は男色ぞかし」と結論する。序文の意を補い、意図的に女色をおとしめ男色を称揚して読者の気を惹き、本書の導入とする序章。
二 この道にいろはにほへと
京の大町人の息子でありながら、女嫌いに徹して「加茂の山陰」に隠棲、時に女の姿を見かける北側の窓をふさいで、美少年のみを相手に「手習ひ屋」を開く「一道」なる男がいた。そこに通う篠岡大吉と小野新之助は、ともに九歳の若年ながら、すでに男色のたしなみが深い。その二人の美少年は、八十余歳の念仏の行者が自分たちに「後世を取りはづ」うほどの執心と聞いて、行者を訪れ思いを晴らさせるが、再び訪れると行者は身を隠していた。その後、新之助が十四歳で死ぬと、大吉は深く嘆いて出家した。
三 垣の中うちは松楓かへで柳は腰付こしつき
大隅の浪人橘十左衛門の一子玉之助は、田舎には稀な美少年、江戸に出て奉公を望む。会津の太守の小姓となって会津に来た玉之助は、殿の御前の蹴鞠けまりの折に発病、半年ほど病臥する。その間、日に三度ずつ見舞って真情を示した笹村千左衛門と男色関係となるが、それが殿に「もれ聞こえ」て二人は閉門を命ぜられる。二人は切腹を願い出るが、玉之助に元服を仰せ付けられるのみの殿の温情。感激した二人は、二十五歳まで音信不通、会っても言葉を交わさず御奉公を勤めた。
四 玉章たまづさは鱸すずきに通はす
出雲の家中の増田甚之介は文武兼備の美少年、同じ家中の森脇権九郎は、十三歳の甚之介に憧れ、人目を忍んで松江の鱸の口に恋文を入れて送り、深い男色の契りを結んで二年余りが過ぎた。同家中の「末の奉公人」半沢伊兵衛が甚之介に恋慕、甚之介はそれを権九郎に語るが、権九郎はまともに取り合わない。怒った甚之介は、権九郎の不義をなじる長文の遺書を送った後、半兵衛との果たし合いに臨む。驚いた権九郎は甚之介の助太刀に来て、ともに半兵衛の一党十六人を切り退け、近所の永運寺の住持じゆうじをたのみ切腹の沙汰を待つが、殿の温情で許されることになった。
五 墨絵につらき剣菱けんびしの紋
鹿児島の新参の侍島村大右衛門は、剣菱の紋所だけを記した手紙と毒薬の入った文箱ふばこを石仏の前に置く怪しい下人を捕らえた。剣菱の紋は春田丹之介のものだったが、その文箱は、丹之介に恋慕して振られた岸岡竜右衛門が仕組んだもの。罪に落とされかけた丹之介は、大右衛門の機転によって難儀を救われた。その後丹之介は、偶然その身の難儀を救ったのが大右衛門であると知り、二人は念友の関係となる。大右衛門は、丹之介の屋敷の裏の大河を泳ぎ越えて通っていたが、ある時、大鳥と間違えられて、弓稽古の若侍に射殺されてしまう。その矢に記された藤井武左衛門という名から敵を知った丹之介は、武左衛門を大右衛門の墓前に連れ出し、相討ちで果てた。
巻二
一 形見は二尺三寸
さる大名の寵童ちようどう中井勝弥は十八歳、殿の寵が他に移り、自害を思って反古を整理中、母の遺書を見出し、父の敵が吉村安斎と名を変え、筑後柳川の辺りにいることを知る。殿に敵討ちを願い出て許され、寛永九年十月十二日に下人五人と出発、京で物乞いに落ちぶれている片岡源介に出会う。実は勝弥を慕う源介は身をやつして、影ながら勝弥の敵討ちを助けようとしていたのである。柳川で勝弥は、めでたく敵を討つが、源介の助力が多大であったことを知って、ともに江戸に帰り、殿に報告。殿も喜び、源介に三百石を加増、そのうえ勝弥を与えた。
二 傘持つてもゆるる身
身をぬらしても母が内職で作った傘を用いない孝心厚い美少年長坂小輪と出合った堀越左近に推挙され、小輪は赤石の殿の寵童となるが、殿に可愛がられるのは本意ならずと公言する意気地を持っている。ある夜、古狸の怪異を退治、一層殿の気に入られるが、神尾惣八郎を念友とし、殿の寝所の次の間で契る。その事を「かくし横目」金井新平に見出され、小輪は殿に長刀なぎなたで両手を打ち落とされ、首を切られて成敗される。一方、惣八郎は、新平の両手を切った後にとどめをさし、小輪の墓前で、小輪の定紋を腹に切り込み、切腹して果てた。
三 夢路の月代さかやき
無類の美少年好きの丸尾勘右衛門という剣術使いは、奈良の薪能たきぎのうの稚児ちご若衆に堪能した次の日、郡山家中の多村三之丞という美少年と知り合い、送り送られして道すがら堅い念友の契りを交わし、三月一、二日に再会を約すが、二月二十七日に死んでしまう。三之丞は、それを知らずに訪れ、勘右衛門の供養をしていた左内に事情を聞き、勘右衛門の代りに左内と契りを結ぶ。その夢の中に勘右衛門が現れ、三之丞の鬢付きを剃り直してくれたが、夢がさめると、三之丞の月代は本当に剃られていた。
四 東あづまの伽羅きやら様
仙台の薬屋小西の十助の店先からもれる伽羅の香りにひかれて伴ばんの市九郎という津軽町人は足をとめた。この男は、衆道ぐるいに江戸に行こうとするところ、その姿に十助の子の十太郎が一目惚れ、狂気のごとくなって病に臥した。臨終も近い時、市九郎が来ると夢現ゆめうつつにいう。市九郎が病床に招かれると、十太郎は元気回復、魂は市九郎に従って旅をしていたといい、その証拠にと幻の契りの折に渡した伽羅の割欠わりかけを出す。それを市九郎所持の割欠けと継ぎ合わせると一つになったので、縁の深さを感じた市九郎は、十太郎を貰い受けて津軽へ下っていった。
五 雪中の時鳥ほととぎす
江戸桜田辺の大名の若殿がひどい疱瘡ほうそうにかかった。時鳥の羽でなでればいいと言われたが、折悪しく冬で手に入らない。時鳥を飼う浪人島村藤内がいるのを聞き、お局つぼねの明石が使いに立つが、女嫌いの男はそれを追い返す。御小姓組の金沢内記・下村団之介なる二人の美少年が、命をかけて二羽の時鳥を貰い受け、屋敷の首尾はすむ。その夜、礼に訪れた二人は、「色道の念比ねんごろ」を願うが、藤内は「志の程も知れがたし」と拒む。が、切腹の用意までして来た二人の潔さを知った藤内は、二人に謝り、二人との衆道を取り結んだ。
巻三
一 編笠あみがさは重ねての恨み
契った男の数だけ鍋をかぶって女が神幸に供奉ぐぶする筑摩つくま祭を見物していた時、叡山えいざん根本中堂の阿闍利あじやりの寵童ちようどう蘭丸の編笠の上に編笠をかぶせ、蘭丸に別の念者がいるのを諷した男がいた。井関貞助である。確かに欄丸には、髪結いの白鷺の清八という念者がいたのだが、衆人環視の中で恥辱を受けた蘭丸は、清八にさりげなく別れを告げ、貞助を討果たすものの、法師たちに捕らえられる。難儀する蘭丸を清八が救い出し、二人は行方知れずになった。三年も過ぎた頃、鎌倉鶴岡八幡で修行者姿の二人が尺八を吹いているのを見たという人がいた。
二 嬲なぶりころする袖の雪
伊賀の国守の小姓山脇笹之介は、すこぶる機転のきく美少年だったが、追鳥狩おいとりがりの折に、伴葉右衛門が庭籠鳥にわこどりを下男に放させて笹之介に獲らせようとしたことを縁に男色関係を結んだ。西念寺の返り咲きの花見の時、葉右衛門が別の美少年の盃を受けたことを知って嫉妬した笹之介は、次に葉右衛門が訪れて来た時、厳冬の庭に立たせて入れなかったばかりか、雪の降る中で裸になるのを命じたりしてなぶり続けたので、葉右衛門は衰弱して死んでしまい、それを見た笹之介も切腹した。実は、寝間には床に二つ枕、酒盛りの準備までしてあったのだが・・・・・・。
三 中脇指ちゆうわきざしは思ひの焼け残り
駿河するが府中の京物棚きようものたなの一子万屋よろずや久四郎と深い念友関係にあった半助は、はかなくも死んだ久四郎の骨を高野山に納めに行く。高野山の千本の槙まきの奥まで来ると、久四郎の死霊が現れ、中脇差を渡し、「これは自分の棺桶に入れた脇差だが、さる侍の重代の刀を取り違えて入れたもの、すぐ親元に返してくれ」という。府中に帰ると、久四郎の両親が侍から脇差の返還を迫られて難儀をしている最中。半助が脇差を渡し、その時の様子を語ると、皆々驚き、感嘆した。
四 薬はきかぬ房枕ふさまくら
何某の侍従に仕える伊丹右京は、見るもまばゆい美少年、それを慕って母川采女もかわうねめは恋煩いの床に臥す。采女の念者志賀左馬之助が取り持ち、采女は快気する。一方、新参の細野主膳も右京を慕い、茶坊主を仲立ちにして口説くが相手にされず、右京を恨んで討とうとする。寛永十七年四月十七日の夜、右京は逆に主膳を討つが、浅草の慶養寺で切腹を命ぜられる。事情を聞いた采女は、右京切腹の場に駆けつけ、その場で同じく切腹。左馬之助も遺書を残し、初七日の日に自害した。
五 色に見籠みこむは山吹の盛り
血気盛んな若侍田川義左衛門は、大名の寵童ちようどう奥川主馬を見染め、後をつける。大名が参勤交代で江戸と出雲を往復する時も後を慕い、三年後には物乞いに落ちぶれて主馬の屋敷の門前に通った。主馬は、刀の試し切りと偽って義左衛門を呼び入れるが、見染めて以後の恋の思いが記された七十枚もの書き物を見て心を打たれる。主馬は、それを持って登城、このままでは不義に落ちるからと切腹を願い出るが、大名は閉門を命ずるのみ。その間に二人は思いを遂げるが、二十日目には閉門も許し、義左衛門を江戸へ送れとのみのありがたい仰せ。義左衛門は、葛城かつらぎ山の近くに隠棲、夢元坊と称して心清く過ごした。
巻四
一 情なさけに沈む鸚鵡盃あうむさかづき
かつては島原一の大臣客といわれた新在家の長吉ながよしが、遊女狂いをやめて、公家方の十六歳の美女藤姫に惚れ込み、妻として熱愛した。金のあるのに任せて、思いのままの華美な暮らし、桃の節句には鸚鵡貝の盃流しなどをしたりして、誠に華清宮の楽しみというべき栄華を尽していた。ところが、懐妊した藤姫が急死する。深く嘆いた長吉は出家しようとするが、親類に止められ、百日もたたぬうちに藤姫以上の美女を送られるが、長吉は、もはや女には飽きたと見向きもせず、その後は小姓を置いて男色に転じてしまった。
二 身替みがはりに立つ名も丸袖まるそで
金沢の野崎専十郎は、女と見まごう風俗ながら心根強く、命を何とも思わぬ美少年。専十郎には、人知れず深い男色関係にある竹島左膳という念者がいた。その専十郎に今村六之進が恋慕して口説くが聞き入れられず、左膳との念比ねんごろを知って無理にも左膳から貰い受けようとする。専十郎は六之進に「左膳を討てば言う事をきく」と偽り、左膳の身代わりとなって六之進に討たれる。それを知った六之進は、専十郎に変装し、「六之進と専十郎があなたを裏切った」と下男に注進させて押しかけ、左膳に斬られる。事実を知った左膳も六之進の死骸に腰かけて自害した。
三 待ち兼ねしは三年目の命
和歌山に隠れなき美少年菊井松三郎は、瀬川卯兵衛と深い男色関係にあった。竜灯りゆうとう見物の折の誤解も解け、二人は一層親しみあっていたが、卯兵衛の友人横山清蔵が横恋慕、松三郎を譲れと迫る。卯兵衛の迷惑これに極まり、決闘を決意するが、清蔵の申し出により、松三郎が元服する三年後に果たし合いをすることを約し、親しく交わりつつ平穏な日々を送る。三年後の十月二十七日、卯兵衛と清蔵は野寺に行き、位牌も用意して刺し違えて死んだ。事情を知った松三郎は、出家して二人を弔うことを勧められたにもかかわらず、潔く自害した。
四 詠ながめつづけし老木おいきの花の頃
江戸谷中やなかの門前筋に住む二人の老人、いい後生ごしよう友達かと思われたが、実は、昔筑前の城下で美少年の名も高き玉島主水と武芸の達人豊田半右衛門の二人が、主水に横恋慕した男を討ち果して世間をはばかり隠れ住んでいたのだった。二人は今六十三歳と六十六歳、それでも昔に変わらぬ心情を持って深く心を交わし合い、女の顔を見ずにこの年まで過ごして来た。折柄三月、上野の花見に来てにわか雨にあい軒先を借りた女たちが、家の中をのぞくと、手元の竹箒たけぼうきをひっさげて追い払うほど。広い江戸にも稀な女嫌いであった。
五 色噪いろさわぎは遊び寺の迷惑
尾張熱田神宮の神主大中井兵部太夫の一子大蔵と、高岡川林太夫の子外記げきとは、深い男色の契りを結び、いつも二人一緒だった。ある時、若衆友達大勢が寺に集まり、住持じゆうじの留守を幸いに、芸尽くしなどで大騒ぎ、その後、歌舞伎狂言の真似をしていた時、外記が誤って大蔵の首を打ち落としてしまう。外記は自害しようとするが止められる。大蔵の親兵部太夫は、我が子の事は外にして国守に外記の命乞いをし、外記の許嫁いいなずけであった娘とともに貰い受けて祝言させ、家を譲って親子の語らいをなした。
巻五
一 泪なみだの種は紙見世かみみせ
昔は舞台子の花代も金一歩(銀十五匁)と安かったが、妙心寺関山国師三百五十回忌の折に諸国の裕福な僧が集まり役者買いをした時から銀一枚(約四十三匁)と定まって、今に至っている。さてその頃、村山座の花形役者藤村初太夫は、東山の花見帰り、酔った男にからまれて難儀しているところを、いろはの十郎右衛門の見事なさばきで救われた。それが縁となり、二人は二年余り深い契りを結ぶが、親戚と継母に疎まれた十郎右衛門は行方知れずになる。初太夫は引き籠って役者もやめ、一時紙見世を出すが、十九歳で出家して高野山に隠棲、はるか後、十郎右衛門が天の橋立で死んだことを知って、ねんごろに弔った。
二 命乞ひは三津寺みつでらの八幡
若衆歌舞伎時代の塩屋九郎右衛門座の平井しづまは、末代にもあるまじき美少年。ある時、長崎商いで成功した堺の七十余歳の老人が、その芝居を見物、茶屋の亭主に頼み、しづまへの思いを遂げさせてくれという。しづまが応じ、老人と茶屋で出会うと、老人は恋煩いの息子に会ってくれと頼む。承知して待つしづまの前に現れたのは十四、五歳の美少女、意外だったが一夜の契りを込めて別れた翌日、女は病死した。七日後それを聞いてしづまも病となり、三津寺に祈って命乞いをしたが、その日の夕刻に死んだ。
三 思ひの焼付やきつけは火打石ひうちいし売り
玉川千之丞は小唄も芸もすぐれた名女方、十四歳で都の舞台を踏んで四十二歳の大厄まで振袖を着て、一日も見物人に飽かれることがなかった。そのため千之丞におぼれて家財を蕩尽した人も多かったが、尾州に隠れなき三木さんぼくと呼ばれた風流男やさおとこもその一人、行方知れずになった後、拾い集めた火打石を売って五条河原を宿とする物乞い暮らし。それを知った千之丞は、河原を訪ねて三木に出会い、情けをかけるが、三木はいずくかへ身を隠してしまう。それを嘆いた千之丞は、残った火打石を集めて塚を築き、法師に守らせた。それをある人が、新恋塚と名づけたという。
四 江戸から尋ねて俄にはか坊主
高野山と山続きの玉手の里の老和尚の弟子可見という美僧は、もと江戸の人気役者で芸にもすぐれた玉村主膳、三年ほど草庵を結んで修行に励んでいた。そこに江戸で抱えていた浅之丞が訪ねて来たが、一夜語らい、もてなすだけで関東へ帰らせてしまう。浅之丞は、一度関東に帰った後、元結を払って再訪、主膳とともに修行に励む。浅之丞に恋していた村娘も、その出家姿を見て狂気するが、心をおさめて自ら髪を切って出家する。その後、山本勘太郎という美少年も、竜田の紅葉見の帰りに主膳・浅之丞を訪れ、その殊勝さを見て出家した。
五 面影は乗掛のりかけの絵馬ゑむま
都の男はもとより、人の女や娘に恋死にの思いをさせた玉村吉弥は、春狂言の仕組に行く途中、自分をじっと見つめる田舎男がいるのに気づき、手元の楊枝を男の袖口に投げ入れて喜ばせた。男は狂乱の心となり、金さえあればこの恋も叶うと思って、ただちに本国佐渡島に帰り、金銀をため、金山を掘り当てて大金持ちとなり、五年後に都に上った。吉弥はもはや若衆姿をやめ、元服して大きな男になっていたが、男は昔に変わらぬ心ざしに感じ、一生暮らしに困らぬほどの大金を与えて、佐渡に帰った。
巻六
一 情なさけの大盃おほさかづき潰胆丸びつくりまる
身体つきも物腰も女らしく、舞も拍子ひようしもすぐれた若女方の伊藤小太夫は、都で抜群の人気だったが、美道の意気をおろそかにせぬ若衆だった。春の日暮れ、身をやつした三十一、二歳の女の不審なふるまいを見て訳を尋ねると、「夫が小太夫に恋煩い、今は零落して死の床にある。何か小太夫の物を見せてやりたい」という。その場の者が定紋付きの緋無垢ひむくを渡し、それを知った小太夫は、その人に会おうと狂乱のようになるが、女は翌日、夫が小太夫の緋無垢を見て満足して死んだと涙ながらに話したので、皆感じ入った。
二 姿は連理れんりの小桜
小桜千之助は、身持も固く芸達者、愛敬の備わった若衆だが、荒木与次兵衛座の舞台に高下駄たかげたの行者姿で登場、長台詞を見事に語った。浮気男どもが、千之助の持つ木の枝に思い思いの恋文を結びつけたが、中にも二十四、五歳の頬被りした男の文は、真情のあふれたものだった。千之助が、その男を訪ね、思いを遂げさせてやると、男は感激して、脇差を抜きもあえず腕に二、三か所傷つけて心中を示し、その後はどこかへ身を隠してしまったという。これは千之助の草履取りに聞いた本当の話だ。
三 言葉とがめ耳にかかる人様
生国は石見いわみの浜田の浪人が、滝井山三郎を慕い、絞り煙草入たばこいれを売った金で毎日木戸銭を払い、その舞台姿を見つめていた。ある舞台で山三郎が台詞を間違えたとき、それをなじる男があり、浪人と口論となって芝居は滅茶苦茶となった。その帰りがけ、浪人は、その悪口した男を斬り、偶然山三郎の草履取りの裏棚に逃げ込む。これが縁となって、浪人と山三郎は衆道の契りを結ぶが、浪人が母親の懇請で浜田に帰った後に、音信が絶えたことを嘆いた山三郎は床に臥し、十九歳で亡くなった。
四 忍びは男女なんによの床とこ違ひ
女方の元祖と称された初代上村吉弥きちやは、今流行る吉弥結びを工夫したことでも知られるが、ある時、高貴なお方から、舞台姿そのままで屋敷へ参るようにと招かれた。厳しい警備を女ということで通過、奥まった高雅な一室へと導かれて行ったが、侍女たちは吉弥を見て大騒ぎ。主人らしき官女と盃を交わし始めた時、その兄君の当主が帰還した。吉弥を「歌舞の女」とごまかそうとするが、当主に召し上げられる。吉弥は困って女鬘おんなかずらをとると、これはなおよしと可愛がられることになった。妹君の方は、さぞがっかりしたことだろう。
五 京へ見せいで残り多いもの
貞享三年の春、『他力本願記』の仕組が大当たり、大坂周辺の農村からも大勢の見物客が集まったが、それは皆鈴木平八一人がお目当てだった。その中でも大家たいけの娘と思しき美女は、平八をじっと見つめたまま、平八の楽屋入りを見送ると同時に気絶した。作者(西鶴)はその娘に気付け薬を与えて介抱、無事帰宅させたが、そのまま娘は病臥、三月八日に亡くなった。その日平八は、坂田銀右衛門方で竹本義太夫・伊織らの浄瑠璃を聞いて帰宅したが、夕暮から病に伏して衰弱し始め、閏三月八日には「幻に美女が見える」と言って息を引き取った。享年二十三歳、何とも惜しまれることだ。
巻七
一 蛍も夜は勤めの尻しり
村山又兵衛座の太夫子たゆうこ吉田伊織・藤村半太夫の二人は、容貌も芸も客あしらいも今の世界に又とない役者、とはいえ、勤め子にも太鼓持同様それぞれに苦労は多い。ある夜、半太夫は常連客から大鶴屋の二階座敷に招かれていたが、窓から蛍が二つ三つその袖にとまった。蛍も尻でもてはやされるなどとからかわれているうち、その蛍は、半太夫に思いをかける道心者が放したものとわかる。せめては盃をという声を聞いて足早に立退いた道心者は、足を滑らして増水した川に落ち、死んでしまう。後、半太夫は出家するが、その道心者は夜ごと夢に現れ、しみじみと話を交わした。
二 女方をんながたもすなる土佐日記とさにき
道頓堀畳屋町に開店したばかりの井筒屋という扇屋は、松島半弥が引退して開いた店だが、若衆盛りでの引退はいかにも惜しい。まして半弥は、客あしらいが抜群、美形でセンスもよく機転もきき、古今に稀な女方だったのだから。荒木座に抱えられて出演していた時、田舎めいた男が舞台に上がり、脇差を抜いて小指を切り落とし、半弥に心中立てをした。半弥は慌てず対応し、その夜、男と盃を交わし、また会うまでの形見として袷あわせと中脇差を贈った。男は土佐へ帰る船旅の途中、半弥を思うあまりに狂乱し、貰った脇差で自害してしまった。
三 袖も通さぬ形見の衣きぬ
道頓堀心斎橋の人形屋新六は、旅中に行き暮れ、丹波の子安こやすの地蔵堂で夜を過ごしたが、そこに切戸の文殊が現れ、今夜、道頓堀の楊枝屋に生まれた男の子は、芸子になって十八歳の正月二日に早死にすると予言するのを聞く。帰ってみると、その日楊枝屋に男の子が生まれていた。その子は十三歳からその道に入り、戸川早之丞と名乗って大和屋甚兵衛座に出て評判をとったが、役者仲間の念者に溺れて客を大事にしなかったため、極貧の状態となった。大晦日に借金を払えず、芝居衣裳を取り戻され、初芝居に着ていくものもないのを恥じて、正月二日に自害して果てた。
四 恨みの数をうつたり年竹としだけ
村山座の玉村吉弥は盛りの若衆、客に誘われて伏見の城山に初茸狩はつたけがりに行き、日暮れにさる草庵に立ち寄った。その庵主の所に、わからぬ年齢を正直に知らせる年竹なるものがあり、若衆たちの年穿鑿としぜんさくをするが、若衆は皆、年を隠しているもの、二十二歳の庵主より若い者は一人もなかった。初茸の塩焼で酒宴となったところに、強面こわもての男伊達おとこだてが闖入ちんにゆう、吉弥に盃を無理やり所望する。吉弥は巧みに男をあしらい、酔って寝た男の釣髭と片鬢を剃って土産に持ち帰り、笑いの種とした
五 素人絵しろとえに悪にくや金釘かなくぎ
堺の裏の地引き網を見ようと、岡田左馬之助に誘われて出かけたが、途中で那波なば屋と嵐三右衛門らの一行と出会い、さらに上村辰弥なども加わる。堺の中浜で酒宴、極上の気分の時、美少年の姿に金釘を打ち付けた檜板が流れてくる。これは筑前の男が、失恋した若衆を恨んで作り、海に投げ入れたもの、左馬之助は若衆に同情、その釘を抜き捨てた。その後、南宗寺を見学、乳森ちもりの遊女町も見て大坂に戻り、夜は荒木与次兵衛座の稽古で若衆たちの見事な素顔に堪能した。
巻八
一 声に色ある化物ばけものの一ふし
藤田皆之丞は高貴な御婦人方に何度も惚れ込まれたが、女色にふけることのない篤実な若衆、この美少年を連れて京の涼みに出かけた。石垣町の大鶴屋の二階から見渡せば、まさに都といった風情、涼みの様子を眺めていると、茶屋の棟に不思議な美女が現れて、誰とも知らず人を招いたが、その相手は皆之丞のようだった。せめては盃事をと皆之丞に無理に飲ませて軒に盃を投げると、女は嬉しげにいただいてから盃を投げ返したが、どうもこの辺に隠れなき井筒屋の娘のようだった。
二 別れにつらき沙室しやむの鶏
昔の松本名左衛門、中頃に宮崎伝吉、現在の峰野小曝こざらしは、その時々の美少年の代表、見とれながら飲んだことを今も身にしみて忘れないが、中にも小曝は、衣裳に豪奢な新趣向をこらして若衆の手本となった。役者たちの慰みも種々、その時々に変わるものだが、小曝は沙室の闘鶏を好み、三十七羽の鶏を飼って自慢にしていた。ある夕暮に憎からぬ客が訪れ、しめやかに語らっているうち、鶏が一斉に泣き出し、客は名残を惜しんで帰って行った。「恋の邪魔をする鶏め」と小曝は、一羽も残さず追い払った。
三 執念しふしんは箱入りの男
備前の人が上京してきたので、菱屋六左衛門の二階座敷を借り、竹中吉三郎・藤田吉三郎など古今に稀な者を相手に楽しく飲んでいたところに、誰からとも言わず進物を入れた箱が届けられた。酒宴が終わった後、その箱から「吉三、吉三」と呼ぶ声がする。開けてみると角前髪すみまえがみの人形、添え状の説明によれば、この人形に魂が入り、両吉三郎を恋い慕う故に届けるとの由。一座の物に驚かぬ男が、「両人に思いをかける見物は数多く、とても人形の思いなど叶わぬ」と説得すると、人形も納得してあきらめたようだった。
四 小山の関守せきもり
天和三年四月、藤井寺の開帳があり、重しげという人に誘われて出かけた。その日は鳴物なりもの停止ちようじの日で役者たちは隙ひま、大勢の若衆も参詣に来た。小山の里に宿を借りて酒宴をしながら役者たちの品定めをする趣向で楽しんだが、十六人の若衆のうち最上は上村うえむら辰弥たつやということになった。この辰弥にはこんな話もある。ある座敷で客が、「心中立てに指を切ることはできまい」と何心もなくいうのを聞いた辰弥は、ただちに脇差で親指を押し切り、これを肴にと投げ出して、その後も上機嫌で遊んだ。皆々感嘆したことだった。
五 心を染めし香かうの図は誰たれ
この前、大坂箕面みのおの勝尾寺の開帳があり、大和屋甚兵衛を誘って参詣したが、途中、北中島の宮の森で休んでいると、十五、六歳の大家の娘らしい美少女が、お供とともにやって来た。それまで何気なく歩いてきた女は、甚兵衛を見ると顔を赤らめ袖をかえしてみせた。そこには甚兵衛の香の図の定紋が染め込まれていた。これは出来心とは思われぬが、女は駕籠に乗せられて去った。その夜は桜塚の落月庵で俳諧を興行し、皆々道頓堀に戻った。
LGBT(えるじーびーてぃー)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/LGBT-192043
性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致)の頭文字をとった総称であり、他の性的少数者は含まない。1970年代には主にゲイが法的権利獲得や差別撤廃などを求めて「プライド」などと称されるパレード他の活動を始め、次第に4者が合流して全世界に活動が広まった。世界最大規模のブラジル「サンパウロ・ゲイ・プライドパレード」では、2009年に推計320万人が参加しており、日本 ...
知恵蔵miniの解説
LGBT
性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致)の頭文字をとった総称であり、他の性的少数者は含まない。1970年代には主にゲイが法的権利獲得や差別撤廃などを求めて「プライド」などと称されるパレード他の活動を始め、次第に4者が合流して全世界に活動が広まった。世界最大規模のブラジル「サンパウロ・ゲイ・プライドパレード」では、2009年に推計320万人が参加しており、日本でも各都市で大規模なパレードが開催されている。13年現在、同性結婚を認めた国は約20カ国にのぼり、14年4月15日にはインドで「第三の性」(トランスジェンダー)を法的に認める最高裁の判決が出された。
デジタル大辞泉の解説
エル‐ジー‐ビー‐ティー【LGBT】[lesbian, gay, bisexual, transgender]
《lesbian, gay, bisexual, transgenderの頭文字から》性的マイノリティーであるレスビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの総称。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
LGBT
エルジービーティー
レズビアン lesbian,ゲイ gay(→同性愛),バイセクシュアル bisexual(→両性愛),トランスジェンダー transgenderの頭文字をとった頭字語。その 4者だけでなく,性別(→性)や性的指向に関する少数者全般をさす語としても使用される。LGBTの末尾に,性的欲望をもたないアセクシュアル asexualの Aや,性的マイノリティ全般をさすクィア queerの Q,あるいは,自身の性別や性的指向にゆれを感じ,分類できないと考えるクエスチョニング questioningの Qなど,さまざまな性的マイノリティの頭文字が加えられることもある。生物学的な性別が典型的な男性型,女性型ではない性分化疾患 DSDs; disorders of sex developmentの人をさすインターセックス intersexの Iをつけることもあるが,性分化疾患の当事者には,中間の性を想像させる intersexという語を否定し,さらに LGBTと問題が異なると主張する人も多い(→半陰陽)。また,性的少数者,性的マイノリティという語のほうがより包括的であり,アイデンティティで区分しないため望ましいという見方がある一方,それらの語ではそれぞれのまったく異なる状況や経験が不可視化されるという指摘もある。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
> 電通総研が2012年(平成24)に行ったアンケートによると、20~59歳までの男女約7万人のうち、LGBTに該当する人の割合は5.2%であったという。2010年にはじまったLGBT交流会「にじだまり」(福岡県)をはじめ、LGBTをテーマにしたカフェイベントや映画祭など、理解を深める場が着実に増加している。就職の際に偏見を受けることが以前から問題視されており、近年は、外資系企業を中心に社内支援グループが活動し、LGBTの人たち向けに個別の就職説明会を開く会社もみられるようになっている。
LGBT - Wikipedia - ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/LGBT
LGBT(エル・ジー・ビィー・ティー)または GLBT(ジー・エル・ビィー・ティー)とは、女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の各単語の頭文字を組み合わせた表現である。LGBTという言葉は性の多様性と性のアイデンティティからなる文化を強調するものであり、性的少数者という言葉と同一視されることも多いが、LGBTの方がより限定的かつ肯定的な概念である。
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バリエーション
LGBTにクィア(Queer)のQを加えたLGBTQも、一部で使われることがある。男性と女性の両方の性的な特徴と器官があるインターセックス(Intersex)
LGBTは頭字語であるが、これ以外に英語において、様々な、類似した性的多様性の集団を表現する頭字語がある。以下は、概略である。
LGB
レスビアン、ゲイ、バイセクシュアルのイニシャル語で、三つの性的指向集団。
T
トランスジェンダー(TG)のことで、これと、LGB が組み合わさって、LGBT となる。
LGBTQ
LGBT に Q が加わったもので、この Q は、クィア(Queer)を意味している場合と、クエスチョニング(Questioning、セクシュアリティのアイデンティティについて未確定の人)を意味している場合がある。
LGBTT
LGBT に今一つの T が加わる。この T はトランスセクシュアル(Transsexual, TS)の場合が一般。
LGBTTT
上の LGBTT に更に T が加わる。この T は、トゥー・スピリット(Two-spirit アメリカ・インディアンの伝統的な共同体などにおける、二つの性別を行き来する人々)の頭文字である。
LGBTI
LGBT に I が加わる。これはインターセックス(Intersex)の頭文字である。この概念は2010年8月ジョグジャカルタ原則の解説と同原則を踏まえた世界の人権団体の活動について書かれた文書「Activist's Guide」において一貫して用いられている
LGBTA
LGBT に A が加わる。これは無性愛(エイセクシュアル、Asexual)のイニシャルである。別のイニシャルの場合もある。
LGBTTQQIAAP
LGBT に 上述のtranssexual、queer、questioning、intersex、asexual、ally(ストレート・アライの略。支援者)、pansexual(全性愛、パンセクシュアル)が加わる。
QUILTBAG
上述のqueer と questioning、intersex、lesbian、transgender と two-spirit、bisexual、asexual と ally, gay と genderqueer の頭文字。
以上の他に、別のパターンの頭字語も存在する。
SGL
同性愛コミュニティを意味する。アフリカ系アメリカ人のあいだで、LGBT を白人優位コミュニティの言葉として捉えて使用される。(Same gender loving のイニシャル)。
LUG、GUG、BUG
主として若い女性が使用する滑稽語である。レスビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)の頭文字に、Until Graduation(卒業まで)の頭字語(UG)を加えて作られている。大学時代に機会的同性愛・両性愛を経験した者を指す(参照:lesbian until graduation)。
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LGBTという用語にまつわる歴史
1960年代の性の革命に至るまで、「異性愛=正常」とされる人々のコミュニティで使われていた軽蔑的な意味の言葉以外に、上述したような人々やその集団を表した中立的で一般に知られた用語は存在しなかった。第二次世界大戦以前には、第三の性(Third gender)」という言葉が使われていたが、大戦後、この用語は使われなくなった。これらの人々が性にまつわる権利を主張する運動が組織化していく過程で、自分たちは如何なる存在であるかを、肯定的な形で表現するための用語が必要となった。(異性規範性=ヘテロノーマティヴィティ、Heteronormativity と比較)。
最初に使われた用語である "Homosexuality"(ホモセクシャリティ)は、否定的で余分な意味をあまりに強く帯びていたので、主として男性同性愛者の間で "gay" (ゲイ、陽気の意)という用語に置き換えられた。そしてレスビアンたちが自分たちのアイデンティティを錬成させて行くにつれ、ゲイとレスビアンという用語は更に一般なものとなった。このことは間もなく、メジャーな一般社会のなかで、法的に正当な集団範疇としての承認を求めていたバイセクシュアルとトランスジェンダーの人々によって踏襲された。
しかし、1970年代後期から1980年代初期には、感覚的な受け取りにおける変化が始まり、一部のゲイ・レスビアンからは、バイセクシュアルやトランスジェンダーの人々に対する反感・蔑視を表明する動きが表面化する[注記 1]。1990年代に至るまで、人々が「ゲイ、レスビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人々」を、それぞれに同等な尊厳を持っている者として語るのは、通常のことになっていなかった。
1990年代半ば以降、LGBTという言葉は北米、そして欧州においては一般的な用語となった。