解決できるか、できないか、問題を解くようなものであるが、問題が立てられれば、そこには解決がある。解法は一通りではないかもしれない。解決へのアプローチは方法を作るので、唯一の近道をどう探すか、遠回りでもよいかもしれない。問題のためには効率、能率は結果であるにすぎない。芸術は何かと問いをたてたとしよう。芸術は苦悩の産物だ、人間の解決出来ない、しかし解決をしたいという、あがきであるとすれば、その芸術が深くなればなるほど悩みも深いという相関である。芸術にはシンプルで分かりよい美があるときにも、それを生み出す人間の行為には悩み、苦しみを経てそれを表すということかもしれない。解決できるかどうかにかかって言えば、解決ができないこともあるかもしれない。それが芸術であるというたとえは、したがって、あてはまらない。問題が立っていても、その解決に時間がかかって、複雑になってしまえば、それをいくらほどいて見せようとも、問題となってしまったことがらが、そこで消滅するとは限らない。だから解決できるかどうかを、人間の行為として実現する。それは何になるであろうか。芸術よりも、わかりよくて、わかりにくい、人生である。
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