>20060609 雨のち曇り
カテゴリ:思い遥かに
朝方は激しい降りようだった。
しかし昼ごろは上がっていた、ここ東海地方。
入梅した空模様はそれなりに重く感じられる。
出勤時にぬれて、雨の国だなともうことしきり。
国内のパソコンのブロードバンド利用者数は、世帯普及率から換算して、37,568,000人で、低速回線を含めたインターネット人口は、73,619,000人だそうである。
これは普及率としては、41.4%になり、高速大容量通信を利用する世帯が増えた。
個人の利用形態は、アンケートの結果、ブログ、SNS、RSSなど、ブログばやりと知人との交流が増えてい、SNSの利用率は20代に高く、4人に1人が参加、ミクシーはシェア82.6%になる。
インプレスの調査、インターネット白書、電話調査をもとに推定、個人の利用形態はネットのアンケートの調査でネット使っていない人は対象外のものだ。
>ゼミの学習⑤
2006年06月09日03:02
そこでわたしは次のように考えるわけです
発表者はおもむろに自説を展開する
うまく考えれんかったけれど、いまはここまでです
発表者は纏め上げてたどり来た内容を締めくくる
聞いていて気づく、そうだ、ここにいまのいま、ロマンがアルんだ!
幕末ドミノ、詩とメロディー、狼の遠吠え、よく生きるとは、ん、なにか
素直に感動している自分がいて、今は、皆さんにとってこういう時期なのだろうと思うので
コメントはあえて出さない、このまま続けて追求、探究してください、と、語りかける
わたしは真剣である、真剣勝負である、まちがいなく
まごうかたもなく今も昔もこれからも、ゼミがある限り
ゼミを10年やって、そのときもそうだったし、11年のブランクがあって、と言って、いやちがった、ここでゼミを手伝っていままで10年になるので、5年のブランクか
ゼミは疲れるとこぼすと、天罰を受けそうな、疲れが心地よいと言えば許されるか、そんなことを漏らしたくもなる20年だったような気がするので、この想いはやはり真剣に参加してくれるゼミ生にとって同じだろう
それでもやらねばならない、それでもとはなに
どれでも、みんなで議論して解決のつかないような問題に答えを見つけ出すべく作業をして、そのなかから思索の回路を作り出す
考えることがわかるかい、考える楽しさが、知的発見の数々が、見えないものが見えてくるだろ
見えないものは見えない、って、そんなことはない、見えているんだよ、そこに、答えがあるんだよ
人間の声が声になるまでのプロセスを膨大な歴史と言う時間に見据えて、あなたがたどろうとするのは、たどり来たったのは、そこによこに犬がいたからだ、ずっと人間とともにあり続けた、それは正しい思索だ
野生が猟犬となり番犬となり、ときには食用でもあった、その犬はことばを語ることなく、しかし、遠吠えをするだけ、ほえるだけでもなく、そばにいて人間と一緒だった
その事実を捉えれば、どうほえるか、そこにいる人間がどう鳴き声を聞くか、人間にすれば自分たちの耳と口で聞きまねて、そうするしかないから、言語音を使って聞えるように聞えたと思い、自分から話すように語りかける、そこに音声があり、地域と集団によっての違いがあって当然なのだ、なぜならば・・・、と推論は展開される
暗号は解ける、もう少しだ、と思うが、ここからが長いか短いか、遠いさきか、今の瞬間か、ひらめきを待つ
生きることを問うか、よく生きることを、か、それが焦点であると導いた、そこだ、その論点は正しい、それで、あなたはどうだ、きみはどうだ、と、哲学を正面にすえる
人間の存在を明らかにするとメッセージを送ってきた
人間の営みを問い続ける、わたしたちの本能的とも見える理性、知性、経験の数々に、その答えがあるか
思想をスル、思想を生きる、それに対して、哲学をする、哲学をイキル、どちらが言えるか、いつからか、哲学はするようになって、思想を生きるもの、となった
生きるとはどうすることか、自分は生きたい、だから哲学に答えを探す
それを哲学の歴史と人生の歩みに重ねる
自分の生と思索につかう時間の連続は死ぬまで哲学の歴史の時間に相当する
哲学が命題としてきたのは自分の成長にあらわれた自らへの問いかけなのである、死ぬとは、精神と肉体はどうなるか、生とは、なぜなに、いきねばならぬのは何かと悩み、来し方行く末の時間と、そこに悠久を思い、それでも人間存在を考える哲学の歴史は自分の生の歩みにほかならず、万能をかたや見据えて、神とはちがう人間であることを思い、自らを知る作業に瞑想をする