日本文化論は失意のどん底から這い上がる日本を状況的にとらえる。そこには経済力と技術力の新生日本があった。戦後ではなくなったと経白書が宣言し、それに呼応するかのように経済進出が太平洋の向こうを脅かし、ふたたび日本とは何かが議論されたのが、貿易摩擦であった。そして菊と刀が再び読まれた。日本文化の解明であるかに聞こえてきた。
太平洋戦争で課せられた日本解明が、米国にとっての作戦であり敵国の分析であったが、それを敗戦後に公開した文書をもって日本研究の書と位置付けられた。翻訳されてしばらくは日本の情勢には関与しなかったが、文化論としては文化人類学にとらえられた。すべてがあべこべだと書く章の言及が特徴的であった。あらためて義理と恩義、恥について、日本がどうとらえられているかの論議が起こった。
太平洋戦争で課せられた日本解明が、米国にとっての作戦であり敵国の分析であったが、それを敗戦後に公開した文書をもって日本研究の書と位置付けられた。翻訳されてしばらくは日本の情勢には関与しなかったが、文化論としては文化人類学にとらえられた。すべてがあべこべだと書く章の言及が特徴的であった。あらためて義理と恩義、恥について、日本がどうとらえられているかの論議が起こった。