述敬語と法 日本語の文法について その38 述語18
これは述語句に用いられる敬語のことを指す。話法、法、敬語法とならべると敬語の使い方が話法にかかわることがわかる。敬語法が日本語話法の直接話法においてかかわる。話し言葉に丁寧とする文体の用法があるからである。書き言葉には書簡文に準じて丁寧な文体が使われてきた。すると敬語を法としてみるなら形態意味範疇に分類されるとみてきたが、日本語の敬語法ではどうか。
形態統語的範疇は印欧語の統語において法則とする特徴が顕著であるので統語にはそのほかの法則を見ることは難しい。例えば日本語の敬語法が統語の範疇にあるとすることはできないように見える。しかし日本語の文法で敬語を文法規則としてみるかどうかの議論で明らかにされてないことがあるとしたら、それは敬語の用法としてそんなものはあり得ないのだが、動詞述語としての扱いである。
敬語には統語の規則があると言い出すとそれは意味範疇での捉え方でよいとされるだろう。一つの例で、来る いる 行く について、敬語を いらっしゃる とすると、そこには意味による類型を捉えて語の言いかえを捉えていることになる。見える お見えになる と言いわけると文脈に応じた表現であるし、おいでになる おいきになる を使う場面はその意味によって限られてしまうだろう。
敬語は主語を想定して動作主体がどうであるかをその用語に表しうる用法である。敬語を使えば、したがって主語が表現されなくても場面と文脈に応じて理解される。また動作主体に合わせて表現主体を明示することなくそれが表わされる用法である。この表現法を意味範疇だけで説明するのは困難であろう。動作主体と表現主体の関係を見て動作の受け手までをも文の中に表現しうるからである。
また一つの例を挙げるなら、敬語の用法を規則立てていることはそれが文法規則であるとする。表現法のような見方もあるが、文法規則である限り語彙範疇だけではとらえきれない場合があって、敬語法の説明を困難にするだけでなく実際の用法に照らして分析されなくなる。また一つの例を挙げると、申す と言う語に付いてこの語の本来の用法をとらえずに敬語法としたために、お申し出ください と言う用法の説明ができなくなっている。
敬語は文末述語に現われて動詞述語として働き文全体を敬語表現にすることができるという大きな統語特徴がある。文にあって接続法のときにも敬語表現を使うことがあるので、その文における主語、主体の受け止め方を文末述語と見るだけでなく、文に表される意味情報をもとにその文における主語と述語の意味内容を理解しなければならない。場合によっては複雑で高度な文法規則を見ることになる。
敬語の丁寧とする表現法が現代語で必要とされそれが使い方として規則をもって説明されるのは文法範疇の捉え方でいえばまさに敬語法であるからである。丁寧な言い方は日本語の発話における動詞の定、不定にもかかわることであろう。文体だけで処理されている丁寧体が普通体にとってどのような働きの違いがあるかを文法によって説明されなければならないのは述語敬語、述敬語にある。
これは述語句に用いられる敬語のことを指す。話法、法、敬語法とならべると敬語の使い方が話法にかかわることがわかる。敬語法が日本語話法の直接話法においてかかわる。話し言葉に丁寧とする文体の用法があるからである。書き言葉には書簡文に準じて丁寧な文体が使われてきた。すると敬語を法としてみるなら形態意味範疇に分類されるとみてきたが、日本語の敬語法ではどうか。
形態統語的範疇は印欧語の統語において法則とする特徴が顕著であるので統語にはそのほかの法則を見ることは難しい。例えば日本語の敬語法が統語の範疇にあるとすることはできないように見える。しかし日本語の文法で敬語を文法規則としてみるかどうかの議論で明らかにされてないことがあるとしたら、それは敬語の用法としてそんなものはあり得ないのだが、動詞述語としての扱いである。
敬語には統語の規則があると言い出すとそれは意味範疇での捉え方でよいとされるだろう。一つの例で、来る いる 行く について、敬語を いらっしゃる とすると、そこには意味による類型を捉えて語の言いかえを捉えていることになる。見える お見えになる と言いわけると文脈に応じた表現であるし、おいでになる おいきになる を使う場面はその意味によって限られてしまうだろう。
敬語は主語を想定して動作主体がどうであるかをその用語に表しうる用法である。敬語を使えば、したがって主語が表現されなくても場面と文脈に応じて理解される。また動作主体に合わせて表現主体を明示することなくそれが表わされる用法である。この表現法を意味範疇だけで説明するのは困難であろう。動作主体と表現主体の関係を見て動作の受け手までをも文の中に表現しうるからである。
また一つの例を挙げるなら、敬語の用法を規則立てていることはそれが文法規則であるとする。表現法のような見方もあるが、文法規則である限り語彙範疇だけではとらえきれない場合があって、敬語法の説明を困難にするだけでなく実際の用法に照らして分析されなくなる。また一つの例を挙げると、申す と言う語に付いてこの語の本来の用法をとらえずに敬語法としたために、お申し出ください と言う用法の説明ができなくなっている。
敬語は文末述語に現われて動詞述語として働き文全体を敬語表現にすることができるという大きな統語特徴がある。文にあって接続法のときにも敬語表現を使うことがあるので、その文における主語、主体の受け止め方を文末述語と見るだけでなく、文に表される意味情報をもとにその文における主語と述語の意味内容を理解しなければならない。場合によっては複雑で高度な文法規則を見ることになる。
敬語の丁寧とする表現法が現代語で必要とされそれが使い方として規則をもって説明されるのは文法範疇の捉え方でいえばまさに敬語法であるからである。丁寧な言い方は日本語の発話における動詞の定、不定にもかかわることであろう。文体だけで処理されている丁寧体が普通体にとってどのような働きの違いがあるかを文法によって説明されなければならないのは述語敬語、述敬語にある。