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日本語文法文章論 古河の製紙

2014-10-30 | 日本語文法文章論
現代日本語文法文章論 題材は、タイトルが、古河の製糸 無形の遺産 とある。副題に、民営工場が主導した産業近代化、富岡とは別の道 とある。エッセイである。日本経済新聞の文化面、20141030付けである。執筆者は、 永島盛次 氏である。なお、有料会員サイトであり、著作の全文をこのように言語分析に資料としているので、そのことをお断りするとともに、ここにお礼を申したい。

冒頭の文は、次である。

> 生糸の町といえば、製糸場が先ごろ世界文化遺産に登録された群馬県富岡市が有名だが、茨城県古河市もかつては生糸で栄えた。

末尾の文は、次である。

>形として遺産は残らなかったが、製糸業の盛衰史の中に息づいた自立の精神を後世に伝えたい。

書き出しの文段は、次のようである。

> 生糸の町といえば、製糸場が先ごろ世界文化遺産に登録された群馬県富岡市が有名だが、茨城県古河市もかつては生糸で栄えた。官営工場を礎に発展を遂げた富岡とは異なり、古河では中小の民間工場が切磋琢磨(せっさたくま)した。ただ、2005年に最後の製糸会社が事業から撤退。特別な「遺産」は残っていない。

末尾の文段は、次のようである。

> 戦時下の一時期を除いて、古河の製糸業は、国によって管理・運営されたわけではなく、大企業の下請けや系列として継続したわけでもなかった。形として遺産は残らなかったが、製糸業の盛衰史の中に息づいた自立の精神を後世に伝えたい。

段落は、見出しのもと、次のようである。

> 士族への授産が始まり
 その後も折に触れて変遷を調べ、このほど「生糸のまち古河」という本を自費出版した。日本の近代化の土台となり、推進力にもなった製糸業の歴史を古河の変遷を通して多くの人に知ってもらいたかったからだ。

> 電話や電灯、いち早く
 古河で電話が一般に開通するのは1907年ごろだが、小島館の工場では1902年前後には電話線が引かれ、電灯もいち早く導入された。製糸工場がこの地の近代化をけん引した一例だ。ただ、1922年に倉吉氏が亡くなり、投資の失敗もあって、小島館は翌年には閉鎖の憂き目にあう。

> 産業人から聞き取り
 太平洋戦争が始まり、戦時統制が厳しくなる中で、雷輔氏は国家統制をきらって自ら全国に同志を募り、約30の業者からなる「共栄蚕糸組合」をつくり、自ら理事長に就く。飯島製糸の変遷や雷輔氏の足跡は卒論執筆時に本人から聞いた。




春秋
2014/10/30付
日本経済新聞

 真夏の朝7時はもう暑いが、すこし涼しくする簡単にしてとっておきの方法がある。時計の針をちょいと進め、いまの5時を7時にしてしまえばいい――というわけで、東京五輪組織委員会会長の森喜朗元首相がサマータイム(夏時間)を導入するよう提唱したそうだ。

 6年後の五輪は7月下旬から8月上旬にかけての17日間。ニュースに天気予報に「酷暑」の二文字「熱中症」の三文字があふれる時期である。「マラソンをしたら倒れる人がいっぱいいるんじゃないか」という森さんの言を杞憂(きゆう)とは決めつけられない。選手も大変だが沿道で応援する市民の方がむしろ危ないかもしれない。

 だから森提案をくさしはしないが、気になるのが「東京五輪に向けて」の発想である。夏に時計を進めるサマータイムは日本でも占領下の一時期採用された。その後は何度話題になっても見送られている。省エネ効果を訴える声あれば睡眠への悪影響を懸念する声がある、という具合に侃々諤々(かんかんがくがく)、まとまらなかったからだ。

 そんな経緯を吹っ飛ばした「五輪に向けて」である。あれも五輪に向けこれも五輪に向け。反論を押しのけて進むエンジンに五輪ほど都合のいい旗印はないのだろう。サマータイムは人の生活にかかわる。是非はきちんと議論しなければならない。マラソンは早朝だろうとナイターだろうと、しっかり応援すればいい話だ。

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