音声言語、文字言語と見ると、それは音形をとらえる言語では、ともに発音を重視することになる。そして言語記号は聴覚映像、古い翻訳用語であるが、いかにも音韻を表していて、それを基にする考え方である。記号は不可分に概念と結びつく。いわばコインの表裏一体であるところに、その音形と概念つまり意味に形式と内容という見方をしている。音声は発音のことで、言語科学に音声学の分野となりうるが、それを言語ごとに発音のこととすれば、ある言語の発音は一方で音韻として分析抽出されている。日本語音韻は言語の音韻分析として音素を析出する。そして実際の発音意識には音素レベルから音素また音素結合となる音節を捉えて発音をしている。言語使用のレベルで国語は音韻をもとにした仮名を用いている。その仮名が発音を表すために工夫された仮名文字としてある。音声言語、その言語の発音は音韻によるとするので、日本言語は音素レベル、音節レベルで見れば、文字言語として音節を意識する。
日本言語4
2018-12-18 18:48:30 | 国語と日本語
日本言語、日本語、この表記に言葉をもってすると、日本、言語ともにその内実をとらえていてもなお、名づけとしてわかりにくい語である。にっぽん、にほん、げんご、ごんご、げんぎょ というふうに、それぞれを読み分けるのは、Nippon、言語学、言語道断、言語四種論 となるときである。漢字漢語を概念に言葉をとらえてきたのであるから、ことば、言語、語としての使い分けは、音形であることば、文字に写した言語、そして字形の語がある。言語活動の言葉に、言語と語がある、それはとらえようによって、言語と言であって、字形そのものも、場面に応じた言、発言にもそれはいわば字形に対する音形としての、語と言である。語は文字、漢字をもってする、その現象がカタカナ、ラテンをもってすることを語として拡大し、言は記録手段に電子情報のもと、さまざまな場面用法を編み出している。日本語をとらえるには、漢語、中国語である語と、西洋渡来の語、欧語をもって、雑種混合の言語そのものになりつつある。
日本言語3
2018-12-16 21:33:02 | 国語と日本語
日本語に文字を入れて言葉をとらえた。ことば を言葉としたように、音形に対して字形がある、ことば には、言葉、言端 辯 詞 辞、などをあてて、文字とした。文字をどう受け止めたか。漢字を得て文字とした、その漢字から音標文字を作り出した。同じ文字とした仮名には日本語発音を表した。漢字が持つ言葉の意味を、漢字の発音と、日本語読みをすることで、文字をそのままに言葉とした。
日本言語2 文章、章句、詞、辞
2018-12-16 13:26:15 | 国語と日本語
日本語を文章にする。文章で書くという行為は、日本語作文を綴ることではあるが、書きことば、話し言葉という便宜、捉え方にその用途によっての説明に対して、言葉を用いて表そうとすることを文章にするということがあってよい。したがって文章を書くか、書かないか、日本語になる、書くという作業となる。ここに、文章、章句、詞、辞とならべれば、おのずとこれは文章における言葉の分け方になる。文章はまとまった章句の連続体となるし、章句としてみる塊が、それで文章となってよい。章をつくるのは句であるから、句の分け方が言葉の一つ一つを明らかにしている。句は詞を連ねる。句にはまた、そのほかに辞を見ることができる。日本語文章の言葉は、詞と辞とから成り立つ。句を例にすれば、言葉がまとまって。その一つを見るならば、句の様々な現われがあるが、そこには詞があり辞があるということである。言葉に出して、あるいは文字にして、今日は良い天気だ、という句は、今日は よい 天気だ というふうに、詞また詞と辞をもってまとまる言葉が現れる、と、そこには、句としての意味内容を持つ。きょうは といいだせば、その時間を見るし、よい といえば、その様子をさして、天気 のことを意味と理解する。それを、天気だ ということで、日本語の句になる、まとまった表現の句がある。句が連なって章句となると、まとまった意味内容がそこに表現されていることを読み取る、また、聞き取ることになる。
日本言語
2017-12-15 23:17:06 | 国語と日本語
国語を日本語にする。日本語は、訓読みをすれば、やまとことばである。すると、国語を和語にする、ということである。国語が近代のイデオロジーによって形成されたとするなら、日本語は現代の言語学によってみることである。その日本語には、漢語、外来語、外国語、和語があり、カタカナ語にコンシュ語が加わる。混用する種類のことばである。またイデオロジーの国語を和語にすれば、その和語は倭語にまでさかのぼる。しかし、その和語つまり倭語を記録するものはない。