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勉強会

2018-12-08 | 木瓜日記

すぐる大忘年会のあった、この1日にCHEERSの方にお目にかかって、名刺交換も果たせずご無礼とばかりであったので、FBに出た勉強会の案内に、なにかのご縁と、にわか作りの名詞で参加してきた。ボケ日記であるからそれを書くと、会場にたどり着くまでに地下鉄出口の8番から出てコンビニが見えない、9番出口から出てそれらしきビルの3階には歯科があって、また通りにでてほどなく、しかし大きなビルにコンビニがあったが、そのビルは閉まっていて、その店で訪ねると、ホテルの方面にもう一軒ありますよと教えられて、3軒目のストアにたどり着いた。9番出口にも、10番出口にもあったコンビニとビルは空振りで、もとの8番出口からそのままホテル目指してその名駅よりに、ホテル建物の隣りのコンビニと知れば、5分もかからないようなところであった。というわけで、受け付け開始にと思って早い目の足運びが、何とか間に合うことであった。

さて勉強会は盛会であった、ように見受けた。日本語教育の現場にそれだけADHDの学習者がいるのだろうかと悩んでしまった。文科省の支援教育では現実に10年前から診断特定者の普通教室での扱いを通達しているから、発達障害というのは発達障害者を指すことでもって教室、試験、集会場での配慮事項となる。症状がもっとも重要なポイントであって、それをとらえて、本当はそうであったなどどとなることは、教育の場合に限らず、基本的な人権に触れることだけに避けなければならないことがたくさんあるのである。公平、平等な教育現場があるとすれば、エリート教育、スキル教育を並存させる困難を思うことになる。日本語学習者がストレスと生活の必要性から、それは多く教師の叱責によってそうなってしまうのかもしれないと推測すると、教師の人格に病因があるのかもしれない、かもしれない、例のいうところの母源病、父源もあってよいが、それに似たような現象である。日本語のスキルの過程でかざす試験合格の恐怖指導にある。

限られた少ない経験で、小学校に、中学校に、そして高校にはさすがいなかったのであるが、大学時代にもそのような友人がいる環境であったので、大学入学の力を持つもので障害を抱えているのは大変なことで、仲の良かった友は社会人となって障害が減じたことの変化で、そして、早世してしまった。友からの最後にもらった手紙は、生への感謝がつづられていた。その後、立場を変えてさまざま、この10年ほどの激変にあって、アスペルガー症候群に悩むゼミ生を抱えて、その他の症状を持つ学生たちの、わたしの教育の現場で、支援教育では解決ができないものとなったが、それは個別のケースでうまくできたとき、そうでなかったときのそれぞれの苦労は語れるものではない。おさないころからの友人にその傾向を見い出せば生を求めるしかない本能となる。さきのゼミ生はわたしを拒否して、広汎性であるがゆえに、他のゼミに転じて事なきを得ていた、という経験を持てば、ADHDなどとくくれるものでなく、ADでありHDであるので、注意力散漫、多動発作と、そのありのままに、あるいは、アスペルガーには自覚する行動を妨げないような、その集中力を発揮させることになる、ということにあったのである。



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