言語観とは、また言語についての意識とは、何かである。
これは国語審議会のなかで議論があったのだろう、報告にこの語が見える。
それによると、日本人の言語意識としたものは、心の通い合い、英語に高い価値を置いた、日本語は非論理的だ、話し言葉より書き言葉が大切である、と言われているというものである。
そして、その報告は言語観や意識に変化があって、次の点で再認識されるべきであるとする。
語種が複数あること、表記法が複雑であること、敬語の使い方に対して、音素の数が少ないこと、音節構造が単純な形式であること、文法規則に比較的例外が少ないこと、などを、認識しなおそうと指摘する。日本語の語順を持つ言語の数が世界の言語で多いことをあげて、言語として無視できない存在であるとも言う。
ここに現れた言語観そして意識はどういうことを言おうとしているのか、諮問に対する審議経過での議論がどうだったかと思われるが、いずれにしても日本人の言語観をとらえようとしたということであろう。はて言語観はそういうものであったか。
言語学に言語学者が唱える言語観はもうすこし議論があり、それを見ることになる。言語観は言語の現象をとらえて分析をする研究に味方を与えるものである。日本語の言語研究にその視点、立場を与える見方とは何か。上述のような日本人の言語意識の説明には言語をとらえる見方が何であるかとなる。わたしには、それは漢語を学び、英語を学ぶ、言語を学ぶ、日本語の言語観を見ている。
言語観のもとにあるものは、言語と事物の関係、言語と思想の関係であろう。この関係を言語研究にとって明らかにするためには、さまざまな言語観を歴史的にみることになる。
言語神授説がまずあるだろうか。これは宗教の言語観ともいえる。旧約聖書に言語を与える神がいる。アダムにヘブライ語を示す。このような言語のとらえ方を日本語では、当然のことであるけれど、していない。
しかし、この神授説が言語観として奉じられてきた事実もあり、時の流れの中に、哲学、論理学における言語観が議論される。その後には、言語名称目録観というふうに、言語観が捉えられる。近代言語学の祖、20世紀言語学がそれを言語観として否定することになって、現代的な言語についての見方が現れてくる。
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>第20期国語審議会 > 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告) > Ⅲ 国際社会への対応に関すること 諮問平成5年11月24日
①言葉を用いるよりも心の通い合い を大切にし,言葉を用いての伝達をどちらかと言うと軽視しがちであった。
②世界の諸言語の中で,欧米圏の言語(特に英語)に高い価値を置いてきた。
③日本語は,非論理的で特殊な言語であるので外国人には習得が難しい。
④話し言葉よりも書き言葉が大切である。
> 日本語は,和語,漢語,外来語など語種が複数あり,表記法が複雑で敬語の使い方も難しい,などと言われるが,音素の数が少なく,音節構造も「子音+母 音」を基調とした単純な形式で,文法規則も比較的例外が少ない。また,日本語のように「主語+目的語+動詞(実際は主語が省略されることが多い)」の語順 を持つ言語の数は,世界の言語の中では英語などの「主語+動詞+目的語」の語順を持つものよりも,むしろ多いとされる。
なお,ユネスコの統計によれば,1990年現在,日本語はその言語を第一言語とする人口で見ると,世界諸言語の中で第10位である。さらに,ある言語が 使用されている地域の国民総生産(GNP)との関連から,その言語の影響力を測るという見方もあり,そうした視点では,日本語は世界の言語の中でも無視できない大きな存在となっている。