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漢文

2016-07-17 | 日本語文章
漢文は文言文である。文章の言葉になる。対して、白話があり、話し言葉である。現代中国語は白話文である。


>もちろん話し言葉のレベルでは変化が大きく、また地域差もあったが、このような変化が書き言葉に影響を及ぼすことはなく、むしろ様々な口語を話す東アジア諸民族は共通文語である漢文によって結び付けられていた。逆に各地域の口語こそ漢文から強い影響を受けてきた。普通話・台湾語・広東語・ベトナム語・日本語・朝鮮語などは著しい地域差を持ちながらも、漢文によって一定の共通項を持った言語群の形成につながったと考えられる。近世に入ると、中国でも民衆文化が花開くようになり、民衆の話し言葉(白話)を取り入れた小説なども編まれていく。しかし、決して官僚の政論や上流階級の文学作品のようなものに取り入れられることはなかった。

20世紀初頭には、中国では魯迅らの働きによって、正則漢文を捨てて話し言葉の文体が試みられた。ここに、現代中国語文が確立した。現代中国語文も、漢字を並べて書くという点では従来の漢文と異ならないが、一種の変体漢文であり、文法的には漢文と大きく異なるようになった。それゆえ、現代中国語文を漢文と呼ぶことはまずない。なお、現代中国では「漢文」は日本で言うところの漢文のほか、白話文、現代中国語文など漢民族の書記言語の総称として用いられ、日本語の「漢文」に相当する語は文言文(単に文言とも)である。これはちょうど日本人が変体漢文を正則漢文と区別しないのと似ている。日中いずれの場合も漢文を自己の属する文化のものと見なしている。日本の高等学校の漢文も国語科の一つである。

中華人民共和国成立以降は、正則漢文で文章が書かれることは、滅多になくなった。たとえ正則漢文を真似る場合でも、口語の影響で崩れた漢文がほとんどである。

現在の中国語社会は白話文を主に文章に用いているが、漢文は今なお重視されており、白話文に対し一定の影響力を持っている。現在でも多くの人が好んで白話文を書く時に漢文の"典故"や"詩詞"を引用し、また華人社会で普遍的に作られる対聯などで漢文が用いられる。また中国文学を学ぶ人間にとって、漢文の訓練は欠かせないものである。中国大陸と台湾では、漢文は必修である。学生は小学5、6年生の段階から漢文に触れはじめ、段々と量を増し、高校の段階では漢文は基本的に国語の授業の主体となる。

現在、中華地区の経済の急速な発展に伴い、人々は段々と自身の伝統的な中華文化を重視し肯定するようになった。よって漢文もより重視されるようになった。漢文復興は、現代中国文化復興運動の焦点の一つである。漢文の発生と中国文化復興運動の発生は、ともに深い歴史的背景を持ち、中華民族復興運動の有機的部分である。漢文復興は一見すると、胡適らの提唱した白話文の否定のようだが、実際には白話運動の連続上にある。白話文の推奨は極限まで広義の文化の受け手を増加させたが、しかし伝統中国文化の直接の受け手を少しずつ少なくしてしまい、中国文化の伝承は未曽有の脅威を受けることとなった。完全に正確に中国文化を伝承するという需要に基づき,漢文復興は歴史の必然となった。漢文復興は白話文の存在や価値を否定するものではない。

中国大陸の漢文復興は80年代にその萌芽がみられる。漢文復興という概念は、青年学者の劉周が「中国文化復興的第一歩(倡議書)」で提出したもので、2007年に提出された『光明日報』「百城賦」で、国家の漢文復興を遇する態度を表明した。武漢大学哲学学院教授の彭富春は、古代中国語教育の強化をするべきと提案し、また漢文の国語教育での比重の強化や、漢文は白話文を上回るべきであるということや、国家レベルでの古代中国語言語テストの設置などの提議をした


ウイキペディア 漢文訓読

漢文はその発生の初めから知的に整理された中国の文章語で、紀元前の文献である『論語』や『孟子』のころにはすでに記載語として成立していた。その文章は当時の口語の煩雑さを整理して、より簡潔な形に凝集させたものである。そしてこの文体の志すところはその簡潔の美のみではなく、もう一つの重要なものとして、リズムの美があった。

簡潔さの例として、まず漢文では時制が省略される。ゆえに現在か未来か過去かは読者の判断にゆだねられる。また句と句、語と語の間の関係が、条件と結果であるとき、順接であるとき、逆接であるとき、いずれも概ね語順によってのみ示され、これも読者の判断にまかされる。ゆえに漢文の文法は簡単であるが、常識によって理解されるという特徴がある。さらに助字(而・之・於・者・焉の類)も省略される。中国語には助字を添加してもしなくても文章が成立するという性質がある。よってこれを日本語に訓読する場合は、「てにをは」を添加する必要がある。

漢字の周りや内部に点や棒線などの符号をつけることによって、その符号の位置で助詞や助動詞などを表し、音節など区切りを示して訓読の補助にする。博士家点の右上から時計回りに「ヲ、コト、ト、ハ、…」となることから乎古止点と呼ばれる。

漢文に「を」や「こと」などを補うのに興り、返り点(かえりてん、旧:かへりてむ)で読む順番を示したり、送り仮名や句読点、片仮名などで日本語の訓で読む助けにしたりして発展した。ヲコト点・返り点・送り仮名・振り仮名などを総称して訓点という。

奈良・平安時代には始まったとされ、流派や時代によってそれぞれ符号の数や位置が異なり、百を超える種類があるといわれている。


漢文訓読の形にして読解したものを漢文訓読語あるいは単に訓読語と呼ぶ。漢文訓読自体は漢文が中国大陸から入るようになった古代の段階で既に存在したと考えられているが、その語形が表記されるようになったのは、9世紀頃とされている。漢文訓読語では、文章そのものには触れず、読解時に日本語の文法に合わせて上下を転倒して適切な助詞・助動詞・活用語尾などを補い、それ以外のものは漢語として読んでいく方法が取られる。そのため、訓読自体も漢語の影響を受けやすく翻訳口調になることもある。一方で、その歴史の長さから古い日本語の形態を現代に伝える読み方や反対に仮名文字の発生以後行われなくなったものや類似の意味の日本語に置き換えられたものもある。

また、漢文訓読語においては、音韻面ではイ音便は~テ・~デ、ウ音便は~ス・~シテに続く場合が多いが助動詞のイ音便・ウ音便は少ない。チ・リからッに転じる促音便が多い(ただし古くは大文字のツを用いた)。撥音便では、ニ・リ・ビ・ミからンに転化したものが訓読には多いが反対に助動詞の撥音便は少ない。これは通常行われていた古代日本語とは反対の傾向を示している。語法面では「来る」「蹴る」は一般的なクル・ケルとは読まずにキタル・クヱルと読ませていた。使役用法に用いるサスは用いずにシスを用いた。打消のザリの連体形ザル・已然形ザレは訓読独自の用法であり、一般的にはそれぞれヌ・ネを使用した。推量のラム・メリ・ケム・ラシ、伝聞推定のナリ・係助詞のコソは訓読では少なく、係助詞ナムや終助詞・間投助詞はほとんど用いられなかった。反対に比況のゴトシは本来は訓読のみに用いられた用法であった。




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