孔子29話 師の声が聞こえる 成の町に立てこもった孟孫氏。孟孫氏に隠し金を出させた少正卯は、定公をはじめとする魯の宮中への工作を画策する。それが功を奏し、成の城壁も孟孫家の私兵もそのままで良いと定公は命じる。孟孫氏は堂々と曲阜に戻るが、少正卯は一連の出来事の責任を押し付けられ国賊として牢に入れられる。そのころ、孔丘のもとには列国の祝賀の使者が次々と訪れていた。疲れ果てた孔丘はまどろみの中で亡き師、季札と再会して……。wowowオンラインあらすじ
天を識って仁を悟る
孔子 Confucius : B.C. 552頃~479頃
http://www.b-family.org/public_html/omoi/023/confuciusdoc.htm#word
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子曰く、その身正しければ、令せずして行われる
その身正からざれば、令すといえども従わず
子路第十三
訳) 上に立つ人間が自ら正しい行いをしていれば、
命令しなくとも指導は自然に行き渡る。
逆に正しくないことをしていれば、
いくら命令しても従わないだろう。
こうして、魯の国を自らの理想とする国家に造りあげた孔子。しかしながら宿願であった為政者としての経歴は、中都の宰・司空・大司寇を務めた五十二歳から五十六歳までのわずか五年間しか続きませんでした。自らが作り上げた安定が、わずか数年間でもろくも崩れ去るとは想像すらしていなかったことでしょう。彼の政治はいつしか民衆に息苦しさとして受け取られ、非難がどこからともなく湧いてきたのです。そして、失脚。孔子は自らの政治を誰も求めなくなったことを知りました。彼は絶望と哀しみの中で決意をします。それは自らを登用してくれる国を探し、弟子たちを連れ、長い流浪の旅に出ることでした。
天を識って仁を悟る
孔子 Confucius : B.C. 552頃~479頃
http://www.b-family.org/public_html/omoi/023/confuciusdoc.htm#word
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子曰く、その身正しければ、令せずして行われる
その身正からざれば、令すといえども従わず
子路第十三
訳) 上に立つ人間が自ら正しい行いをしていれば、
命令しなくとも指導は自然に行き渡る。
逆に正しくないことをしていれば、
いくら命令しても従わないだろう。
こうして、魯の国を自らの理想とする国家に造りあげた孔子。しかしながら宿願であった為政者としての経歴は、中都の宰・司空・大司寇を務めた五十二歳から五十六歳までのわずか五年間しか続きませんでした。自らが作り上げた安定が、わずか数年間でもろくも崩れ去るとは想像すらしていなかったことでしょう。彼の政治はいつしか民衆に息苦しさとして受け取られ、非難がどこからともなく湧いてきたのです。そして、失脚。孔子は自らの政治を誰も求めなくなったことを知りました。彼は絶望と哀しみの中で決意をします。それは自らを登用してくれる国を探し、弟子たちを連れ、長い流浪の旅に出ることでした。