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格物致知

2018-02-02 | 斯く書く
格物とは、物事の道理を窮めただす意とされている。大学に見える、致知在格物 物格而后知至 これを、朱子学では、物にいたる、陽明学では、物をただす と読む議論がある。礼記、大学の、致知在格物の意味を、朱子は、知を致すは物に格るに在り、と読むと、事物の理に至ることと解している。王陽明は、知を致すは物を格すに在り、と、心の不正を去ることと解している。




格致
[gé zhì]
1. [study the phenomena of nature to acquire knowledge] 格物致知的略语,考察事物的原理法则而总结为理性知识致知在格物,物格而后知至。 --《礼记.大学》

大学
知を致すは、物に格(いた)るに在り、
物に格り、しかるのち知、至る。
知、至り、しかるのち意(こころ)、誠なり。
意、誠にして、しかるのち心、正し。
心、正しくして、しかるのち身、修まる。
身、修まりて、しかるのち家、斉(とと)のう。
家、斉のいて、しかるのち国、治まる。
国、治まりてのち、天下平らかなり。




中国の古典 大学 儒家の学問のプログラム

三綱領
 明明徳  (明徳を明らかにする)
 親民   (民を親しく愛する)
 止於至善 (至善に止まる)
八条目
 格物
 致知
 誠意
 正心 
 修身
 斉家
 治国
 平天下


https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E6%A0%BC%E7%89%A9%E8%87%B4%E7%9F%A5/m0u/
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>かくぶつ-ちち【格物致知】の意味
出典:明解四字熟語辞典(三省堂)
物事の道理や本質を深く追求し理解して、知識や学問を深め得ること。『大学』から出た語で、大きく分けて二説ある。宋そうの朱熹しゅきは出典を「知を致いたすは物に格いたるに在り」と読んで、自己の知識を最大に広めるには、それぞれの客観的な事物に即してその道理を極めることが先決であると解釈する。一方、明みんの王守仁おうしゅじん(王陽明)は「知を致すは物を格ただすに在り」と読んで、生まれつき備わっている良知を明らかにして、天理を悟ることが、すなわち自己の意思が発現した日常の万事の善悪を正すことであると解釈している。他にも諸説ある。▽「致知格物ちちかくぶつ」ともいう。

格物致知の出典
『大学だいがく』「知を致すは物に格いたるに(物を格ただすに)在り」

格物致知の用例
古人の誠意を以もって徳行の本となし、格物致知以て選択の力を極めて、事理当然の地に止まらんと欲する。<伊沢修二・教育学>


格物致知の意味

デジタル大辞泉の解説
かくぶつ‐ちち【格物致知】
物の道理を窮め、知的判断力を高める意で、理想的な政治を行うための基本的条件、モットー。
[補説]「礼記」大学の「致知在格物」の意味を、朱子は「知を致すは物に格(至)るに在り」と事物の理に至ることと解し、王陽明は「知を致すは物を格(正)すに在り」と心の不正を去ることと解した。

大辞林 第三版の解説
かくぶつちち【格物致知】
〔大学〕
朱子学では格物において自己の知識をその極にまで推し究めること。また、陽明学では格物において自己の良知を練磨発揚すること。

世界大百科事典 第2版の解説
かくぶつちち【格物致知 gé wù zhì zhī】
中国思想史の用語。事物の道理を追究すること。窮理(きゆうり)ともいう。窮理はもと《易》説卦(せつか)伝に〈理を窮(きわ)め性を尽くし以て命に至る〉とあるのに由来する。格物致知は《大学》の語。しかし,これらの語が注目され,思想史の表舞台に登場するのは宋代に入ってからである。程頤(ていい)(伊川)は窮理と格物を結びつけ,一事一物の理を窮めてゆけば,やがて〈脱然貫通〉するに至ると述べた。彼を継承した南宋の朱熹(しゆき)は,《大学》にはほんらい格物致知の解説があったはずだと考え,自己の意をもって《格物補伝》を補った。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
格物致知
かくぶつちち
中国哲学の用語。『大学』に、学問(儒学)の規模を、格物、致知、誠意、正心、修身、斉家(せいか)、治国、平天下の8段階(朱熹(しゅき)のいう八条目)に整理して示した。その最初の2項目である。この語の解釈には諸説があり、とくに宋(そう)代以後『大学』が四書の一つとして重視されるにつれて、儒学者の間で多くの異説を生じた。それらのうちもっとも重要なのは宋の朱熹(朱子)と明(みん)の王守仁(しゅじん)(陽明)の説である。朱熹は程頤(ていい)の説を継承し、格は至る、物は事物、致は推し極める、知は知識の意であるとし、格物とは、事物に至る、つまり事物にはそれぞれその事物の理があるので、一事一物の理を十分に窮め知ること、致知とは、知識を推し極める、あらゆる事物の理を知り尽くすことであるとした。したがって格物致知は彼の説いた「窮理」と同じことになる。
 王守仁はこの解釈に反対し、格は正す、物は意の所在(意志の対象つまり行為)、知は良知(是非(ぜひ)善悪を判別できる先天的な知力)をいうとし、格物とは、意の所在を正しくする、つまり正しい行為をすること、致知は、彼の説く「致良知(ちりょうち)」と同じで、良知の判断を行為のなかに実現する(良知が是と判断したことはそのとおりに行い、非としたことは行わない)ことであるとした。この解釈によれば、致知の結果がすなわち格物ということになる。この格物致知の解釈の相違は、知的理解を重視する朱子学と、実践を重んずる陽明学の性格の相違を端的に示すものである。[湯川敬弘]



ウイキペディアより
>格物致知
格物致知(かくぶつちち)とは、古代中国における思想史上の術語。格致(かくち)とも略される。『礼記』大学篇(『大学』)の一節「致知在格物、物格而知至」に由来し、儒学史上、さまざまな解釈がなされた。宋代以降の儒教(宋学)において『易経』説卦伝に由来する「窮理」(理を窮(きわ)め性(せい)を尽くし以て命(めい)に至る)と結びつけられ、事物の道理を追究することとして重要視された。

四書・五経は儒教の経典である。この四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)の『大学』は、儒教の思想を簡潔かつ体系的に述べた書物であり、その内容は、三綱領、八条目に要約される。三綱領とは、「明徳を明らかにし、民を新たにし(民を親しましむと読む説もある)、至善に止る」の三項、八条目とは、「格物・致知」の二項と、「意を誠にし、心を正し、身を修め、家を斉え、国を治め、天下を平らぐ」の六項を合せた八項目のこと。これらは全体として、儒教思想の体系を巧みに論理だてて、説き明かしている。ところが八項目のうち六項目については、『大学』の文中で詳しい解説が与えられているのに対し、「格物致知」の二項については、一言も説明が加えられていない。「格物致知」が解らなければ、段階を追って組み立てられている八条目の思想が出発点から曖昧になる。そこで、特に宋代以降、儒学者のあいだで、この解釈をめぐって儒教哲学の根本問題として論争の的となった。代表的な学説を唱えたのが、朱子と王陽明である。

唐までの伝統的な解釈である後漢の鄭玄(127~200)注では「格」を「來」、「物」を「事」、「致」を「至」と解し、善や悪を深く知ることが善いことや悪いことを来させる原因になるとしていた。しかし、この時代、この一文はそれほど注目されたものではなかった。

重視されるようになったのは程頤(1033~1107)が格物を窮理と結びつけて解釈してからである。彼は自己の知を発揮しようとするならば、物に即してその理を窮めてゆくことと解釈し、そうすることによって「脱然貫通」すると述べた。

南宋の朱熹(1130~1200)はその解釈を継承し、『大学』には格物致知を解説する部分があったとして『格物補伝』を作った。ここで格は「至(いたる)」、物は「事」とされ、事物に触れ理を窮めていくことであるが、そこには読書も含められた。そして彼はこの格物窮理と居敬を「聖人学んで至るべし」という聖人に至るための方法論とした。この時代、経書を学び、科挙に合格することによって官僚となった士大夫に対し、格物致知はその理論的根拠を提供した形である。しかし、格物は単に読書だけでなく事物の観察研究を広く含めたため、後に格物や格致という言葉は今でいう博物学を意味するようになった。

近代になり、西洋から自然科学を導入するに際して格物や格致が使われたのもこのためである(ちなみに日本では窮理から理科や理学の語を当てたと考えられる)。

一方、明代中葉の王守仁(王陽明、1472~1528)は、「格物」は外在的な物に至るというものではなく、格を「正(ただす)」として、自己の心に内在する事物を修正していくこととし、「致知」とは先天的な道徳知である良知を遮られることなく発揮する「致良知」だとした。ここで格物致知は自己の心を凝視する内省的なものとされた。また清初の顔元は「格物」を「犯手実做其事」(手を動かしてその事を実際に行う)とし、そうすることによって後に知は至るとした。ここで格物致知は実践によって知を獲得していくこととされている。

従って「格物致知」の読み方もそれぞれ異なり、朱子は「知を致すは物に格(至)るに在り」と読み、王陽明は「知を致すは物を格(正)すにあり」としている。

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