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内包的意味・外延的意味 connotative meaning・denotative meaning

2020-12-24 | 日本語意味

外延と内包について問う。概念における捉え方である。それを外延的意味、内包的意味と術語をもって説明するものがあって、

「外延」と「内包」 - Corecore.ac.uk › download › pdf
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しかしながら,「外延的意味」は“denotative meaning" として,「内包的意味」. は connotative meaning' として明示している例も多いことは確かである。 上のように, Webster's Third New International Dictionary による定義にお. いて, "meaning' ...
森下盈 著

また、

内包と外延
では,まず,どういうときに「概念」という言葉使われているのか.
たとえば,「果物」という概念について考えてみる.「果物」とはなにか.
「果物」とは(辞書的農林水産省的には)「食用になる果実や果実的野菜」だ.
いっぽうで,このようにも答えられないだろうか.「果物」とは「『リンゴ』や『ミカン』や『モモ』や,時々『スイカ』も果物と呼んでいるけれど,まあそういうもの」.
前者のような辞書的な答えは,概念の「内包」という.いっぽう,後者のように様々な具体的な果物の名前を列挙していく答えを,概念の「外延」という.
内包は,概念が共通してもっている性質のことだ.外延は,その概念に具体的にどんなものがあるを指す.
>言語学における「内包的意味」と「外延的意味」という用語は,これまでの内包・外延の定義とは違うので注意が必要である.
たとえば,「犬」のイメージは{愛くるしい,従順,人懐こい,癒やされる……}などを挙げられるとすれば,これらが内包的意味とされる.
いっぽう,「犬」の辞書的な意味や状況に依存しない{哺乳類,イヌ科の動物,歯は42本……}などは外延的意味
https://gengo.info/archives/80

となる.




次に内包的意味と外延的意味の違いについて、辞書の定義を引用
『心理学辞典』(1991)中島義明 [ほか] 編集、有斐閣.
内包的意味・外延的意味 - 教育認知心理学講座cogpsy.educ.kyoto-u.ac.jp › Kusumi › keyword › jisho3

内包的意味・外延的意味 connotative meaning・denotative meaning
 [ I ] 言語学,言語心理学においては, 外延的意味は,文脈や状況から独立した概念的,辞書的,明示的意味を指す。たとえば,「母」は,{女性,一世代上,直系,..}という意味特徴からなる。内包的意味は情緒的(affective),連想的,含意的,暗示的意味であり,言語文化,個人のイメージや経験に依拠する。たとえば,「母」に対して,{やさしい,愛情深い,...}等の意味特徴があるが,必要不可欠の特徴ではない。しかし,「母のような愛」といった比喩表現は内包的意味に依拠する。外延的意味は分類法,内包的意味はセマンティック・ディファレンシャル法,連想法で測定できる。
 [Ⅱ] 論理学,認知心理学においては,外延は,概念に包括される指示対象を指す。したがって,内包によって決定される。一方,内包は概念内容を指す。外延から共通性を帰納することによって決定される。たとえば,「哺乳類」の外延は{ヒト,ウマ,...}などの個々の事例,内包は{胎生,肺呼吸,...}などの定義的(defining)あるいは特徴的(charactaristic)特徴である。

通信2「言葉のもつ外延的意味と内包的意味」 | 応用心理学 ...www.ssu.ac.jp › applied-psychology
声をかけた人は、その人を励まそうとしたつもりであっても、うつ病の人にとっては、その言葉が負担となり、かえって病状を悪化させ逆効果になる、というのである。 言葉には「外延的意味」と「内包的意味」がある。今、筆者がこの文章を ...


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1 コメント

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「内包」の語感 (Maria)
2020-12-24 21:40:19
うちらは、けっこう鉱物関係に興味があります。
で、「内包物」というと、「草入り水晶」みたいなものを想像してしまいます。
「水晶の結晶」のなかに、何かが包含されているので、「単なる水晶(の結晶)」ではなくて、「その結晶」として認識されるのではないかと思います。
たとえば、「私の父親が愛用していた万年筆」と「同じモデルの万年筆」って、同じなのか違うのか?というレベルの話にはなるわけですよ。
「同年製の同じモデルの万年筆」というのは、「内包」的には同一かもしれませんが、「自分の父親が愛用していた万年筆」と代替可能なものなのでしょうか?
ですから、「代替の利かない、『そのもの』『それ自体』の存在」というのが「外延」であって、「まったく区別がつかなければ、『それ』」だというのが「内包」なのではないでしょうか。
お札(「おふだ」ではなくて「おさつ」です)なんかは、基本的に内包的な存在ですが、そのお札に思い入れがあったりすると、それは「外延」的な存在になるだろうな、と思います。
「内包」というものは、人間によって貼りつけられたもの、という見解はあるわけですが、「外延」というものも、「そのように意味づけられたもの」と考えられるので、ある意味「人間によって貼りつけられたもの」という見解があるのではないかと思います。
人類が地上に誕生する以前から、「天体としての月」は存在していたわけで、わたしたち日本人にとっての「月(つき)」というのは、また別の外延としての「月」なのではないかと。

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