日本語の文法で文型を作るのは、日本語教育の文型を情報としている。構文論では文の成分を説明し、教科文法は文の種類を上げるが、次の文構造で議論が分かれる。日本語学は、いわば、この例文からスタートしていると考えて、三上学説がいう、象は鼻が長い についての文解析である。
また主語廃止論を唱えて、その影響は、現代の日本語学で日本語文法に主語を認めない、主格補語としての記述説明が行われている。その体系には少しずつ、日本語の分析を進めて現代語文法を作るものがあるが、その勢いが、古典語の文法概念におよび、国語文法の成果は、これまでたしかにした古典文献の用例帰納にも変化があらわれている。
主語を必須要素としないと説明をすると、その文法単位は、主語をとらえるべく、文章、談話に単位を設定することになる。日本語は話者、言語の主体者を言語事象でどう表現しているか。難しいことではないのは、文の構造をとらえる方法である。話法として日本語に表現の段階が認められるということである。
日本語教育の文型に、国語助詞を使う文型でしめせば、-は―です 名詞を述語とするか、形容詞を述語とする文構造のほかに、…wa…ga構文とでも呼ぶものを立てる。先の、象は長いです を過不足なく表現して、象は鼻が長いです となる。この言いきりは、少しおかしい日本語と感じる向きもあって、象は鼻が長いのです と言わなくてはならないとする。または、象は鼻が長いことよ、となる表現である。
中国の教科書で、日本語会話のことで、教室は学生がいます という例文があった。そのもとには、学生は教室にいます という例文があって、普通に用いる会話であるから、このような文型となる。教室に学生がいます という存在文の文型を、教室には学生がいます というのをさらに進めて、先の、学生は教室にいます 教室は学生がいます という例文となってしまうものであった。これは、かなり日本語に使い慣れないと、その意味内容を把握するのは難しい。
丁寧体の発話でもあるから、これを、ふつう体の例文で、教室は学生がいる と言い切ったときに、その文には、教室には学生がいる 教室は学生がいるのである という文を変換して、その意味内容を探ることになるのであるが、それは文型習得には困難なことであり、学生がいるんです という表現法が日本にはある、東京方言に多い、というようなことで、日本語学習の中国人会話で1980年代に流行したことがある。1985、6年ごろの日本語学習であったか。
象は鼻が長いです という例文は、象は鼻が長いのです *ぞうははながながいであります という文変換を持つ構文であることを、気づくことで、鼻が長いことを含む複文の話法になることを知るべきである。